竹内義和の「猫の目コラム(CATS EYE ′S COLUMN)」 第一回 「フレームの向こう側」

竹内義和の「猫の目コラム(CATS EYE ′S COLUMN)」

第一回 「フレームの向こう側」

果たして、このままでいいのでしょうか?流されるままに流れていっていいのでしょうか?マスコミから一方的にNEWSを供給され、なんの疑問もなく追認する……それでほんとにいいのでしょうか?考えてもみてください。映画にしろ、テレビにしろ、我々は常に客席から舞台を、茶の間から画面を見ているにすぎませんよね。ホリゾントの裏側、フレームの向こう側はどう足掻いても見れないわけです。つまり我々視聴者は、自由に情報に触れてるように見えて、実はメディアを牛耳っている親父たちの意のままに操られているにすぎないと言えます。そう言う意味では情弱の徒ですね。唯々諾々なおバカさんと言っても過言ではないのです。考えてもみてください。我々は、なんの力も持たない一般人。おとなしく銀幕や舞台やテレビ画面を見続けるしかないのです。所詮はメディアを牛耳っている大物たちの掌で弄ばれているか弱い存在なのですね。もちろん、それは今に始まったことではありません。一方通行の情報の流れは昔からありました。僕が物心ついた時からその図式は存在していました。僕たちは、ブラウン管から吐き出される情報を鵜呑みにして、それを元にああだこうだ言うしかなかったのです。ただ、そうであることを自覚して画面をみつめるのか、漫然と見ているだけなのかで状況は大きく変わるはずでしょ。フレームで切り取られた画面の向こうにある「本質」を想像してみる……それだけで今まで見えていなかったもの、つまり「本質」が見えてくるかもしれないのです。NEWSを疑う、ドラマの向こう側に思いを馳せる、ブラウン管のフレームの外を想像してみる……それだけでもほんとに見え方が違ってくるのです。与えられた物事をそのまま受け入れるのではなく、与えてる彼らの思惑を類推する、そこから見えてくる景色が必ずあるはずなのです。1度自らの意思を持って、テレビ画面と相対してみませんか。漠然と見てた時には気づかなかったことに気づいてくるはずですから。端的に言うと、地上波とネットの意識の違いがありますよね。地上波はスイッチをオンにすれば流れる。で、流れてるから見てるだけ。だけど、ネットは違うでしょ。ネットは、自らが積極的にアクセスし確認しようとしますよね。その違いが大きいのです。僕が言いたいのは、ネットにアクセスするくらいの気持ちを込めてテレビやマスコミに向かい合おうということなのです。そうです。もう安倍さんから鮨を奢られていい気になっているマスコミからのNEWSに一喜一憂するのをやめませんか。内閣支持率が、地上波とネットでこんなにも格差があることに興味を持ちましょうよ。トランプの暴言の向こうで右往左往している旧来の支配者に思いを馳せましょうよ。ドラマやコマーシャルの不条理を突っ込みましょうよ。この「猫の目コラム」は、そんな思いを込めて発信するコラムです。全ての物事に僕なりの妄想の視線を投げ掛けながら、その問題点を炙り出していきます。映画、ドラマ、バラエティ、ドキュメント、NEWS、CM……おそらくは考えられるメディアの全てにスポットを当て、フレームの向こう側にある「もうひとつの真実」を僕の言葉で発信していきます。それはある意味、僕の魂の変遷でもあろうと思います。皆さんにお願いです。どうか、このコラムの読者となって僕の「心の旅」にお付き合いください。よろしくお願いしますね。