女王様のご生還 VOL.7 中村うさぎ

「ディスコミュニケーション」という言葉が「和製英語」だということを知って、新年早々、ひどく衝撃を受けた。てっきり英語だと思っていたからだ。

よくよく考えてみれば、今まで英語だと思ってた言葉がじつは和製英語だったなんてことはざらにあったに違いないのに、何故この「ディスコミュニケーション」という言葉に限ってはあれほど衝撃を受けたのか、自分でもよくわからない。

それだけこの言葉が私の中でしっくり来ていたというか、私が常々考えていた「同じ言語を話しているのにまったく言葉が通じてないと感じる、あの絶望的なコミュニケーション不能感」というものを表すのにぴったりな言葉で、「そうそう、これよ! これなのよ!」と、なかなか埋まらなかったパズルのピースをようやく見つけたような気持ちにさせられたのに、それが誰かの造語だったことが私の安堵感をひどく揺るがした、ということらしい。

それで思い出したのだが、昔、NHKのTV番組の取材でアメリカまで行ってカレン・カーペンターの友人にインタビューしていた時、私が「彼女はお兄さんに対して深いコンプレックスを持っていたと思いますか?」と質問したところ、通訳の日本人から「アメリカ人にはコンプレックスとか劣等感という概念がないので、それを表す言葉も存在せず、今のご質問を英語で通訳するのは不可能です」と言われてひどく衝撃を受けた。

え、嘘でしょ? アメリカ人には「コンプレックス」とか「劣等感」という概念がないの? 概念がないということは、そういう気持ちが存在しないということ? そんなはずないでしょう! あんなに熾烈な能力主義の競争社会に生きていて、常に自分と他人を比較しているような人々が、「コンプレックス」や「劣等感」を一切抱かずに生きていられるはずがないじゃない!

「そんな概念は存在しない」というのが通訳の勝手な考えなのか(つまり、それに該当する英語を彼女が知らないだけだとか)、それとももし本当に「そんな概念はない」とアメリカ人が本気で思ってるのだとしたら、彼らはどれだけ大きな問題に蓋をしたまま生きているんだろう? なんか、ものすごい「闇」を感じた私である。

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