高学歴芸人はなぜつまらないのか

高学歴を売り物にしたり、笑い以外のビジネスで「成功」する人は芸人なのだろうか?

厳しい番組制作の現場

今、テレビ番組を見渡せば、バラエティはクイズ、ドラマは刑事ものが圧倒する。これは制作費やクレーマー対応という、がんじがらめの状況を象徴する。ひょうきん族や全員集合、コント55号やゲバゲバ90分といった昭和のテレビバラエティ全盛期を堪能できた世代として、現状の規制だらけの番組制作を強いられる制作者や芸能人の皆さんには心から同情申し上げる。特に本格的コント番組は、制作費がかさむことや、言葉狩りのようなごく一部のクレーマーによるスポンサーへの気遣いからほとんど作られることが減った。

クイズ番組も、かつてのような普通の素人参加型のようなものは限りなく減り、代わって東大生や高学歴有名人、インテリ芸能人による難問が増えている。同時にクイズ番組で活躍するインテリ芸人と呼ばれる人たちを生んだ。弟子修行せずともプロダクションの養成学校を経ることで芸人になれる道もでき、東大やらハーバード大やら、高学歴を売り物にする芸人もどんどん出ている。

しかし、こうした高学歴芸人は、笑いで勝負できているのだろうか。ネタ番組も減り、ひな段トークなど機会も限られている環境は同情できる。しかし芸人である以上、わずかなチャンスをも逃さず笑いを取りにいかないように見えるのはどうなのか。

笑いへのガッツ

明日のスターを夢見る芸人さんたちは、コンテストや深夜のガヤ番組でも必死に爪痕を残そうと頑張っている。高学歴芸人と呼ばれる人々は、どちらかといえば深夜番組で熱湯を浴びたりやローション相撲するより、笑いではないニュース特番系バラエティやNHKなどで見かけることが多いように感じる。

中にはビジネスでの成功を語る講演やセミナーで活躍する人もいるが、正に本末転倒としかいいようがない。

必死にわずかなチャンスも活かそうと、ガヤなのに食いついてくるようなギラギラしたアクや、せっかくのチャンスを得てもうまく回せずに大スベりのような、これはこれでバラエティとしては「あり」なオチになることも少ない。もちろん芸能は笑いだけではない以上、全員が笑いをとらなければならないものではない。しかしそれは芸能人一般のことであって、少なくとも俳優や歌手などのシリアスな本業を目指すならばの話である。

元スポーツ選手のような、単なるタレントと呼ばれる人たちもいる。こうした人たちが緩い笑いを取ることに問題はない。本業があるからだ。では高学歴「芸人」はどうか?芸人部分がなければ、それはただの高学歴者である。高学歴であることに価値があるのは、現在の社会では当然だとであり、少子化でかつてほどの厳しさは無くなってきているものの、高偏差値大学のハードルは厳然と存在する。

高学歴の限界

東大を頂点とする偏差値序列上位大学卒だからというだけで、卒業後のキャリアが保証される時代ではなくなった。

私はそうそうたる超高偏差値大学・大学院卒の学生の就職指導に長年携わっているが、大学名の効果は十二分に理解しているものの、大学名だけで就職が決まるほど、現在の企業が甘くないことも熟知している。高偏差値大学でも、在学中に就職の目処がつかず、延々就職活動を強いられたり、就職できずに卒業を迎える学生は毎年いる。

繰り返すが、高偏差値、高学歴に価値がないのではなく、実社会では、実力の伴わない、単なる高学歴「だけ」の人間は淘汰されててしまうことが全く珍しくなくなった、企業社会の現実を言っているのである。

芸人として世に出る以上、そこには超人気スターの子供であれ、他分野での素晴らしい実績であれ、「笑い」という水増しのできない偏差値一本で評価される。M1暴言事件のように、この偏差値は受験のような、単純で明確な尺度ではない。不合理さや運不運も内含した理不尽さを乗り越えた者だけが手にできるものである。イケメン・美人ではない顔や肉体も笑いの武器である。ただしそれだけで笑いがとれるほど、笑いの世界は甘くはない。

笑いを生み出す能力の無い人間は、どれだけ他の肩書きがあっても芸人とは呼べないだろう。

ビジネスで成功した「元」芸人

一旦は芸人として人気を得た後、笑いを捨て、シリアスな芸能に行ったり、芸能から離れてビジネスに進む人もいる。元お笑い芸人という抜群の知名度を活用すれば、インターネット中心に一定のビジネスができる環境は存在している。そこで何万部の本が売れようが、何億円のビジネスができようが、それはお笑いではない。

長い間たけし軍団やダチョウ俱楽部は下品なだけだとの批判がされてきた。全裸になったり尻を出すだけなら誰でもできると言われた。しかし笑いの押し引きや、裸になるタイミング、また個人芸ではなく集団芸として、チームワークで笑いに向かって盛り上げていく構成もできない、ただの素人が尻を出したところで笑いなど起きる訳がない。

大学サークルの素人程度では、プロの笑いなど作ることはできない。片岡鶴太郎さんは、一時期笑いを捨てたと言われた時期があったが、その前にすでにオデン芸や村西軍団などの下品な芸風で笑いを確実に取っていた。その上で大河ドラマ太平記での北条高時の名演技や、ドラマ男女7人シリーズの引いた演技などで俳優としての実力を見せつけた。ビートたけしさんや明石家さんまさんのように、爆笑コントを積み重ねてきた人たちにとって、シリアス演技はむしろ楽なのかもしれないという感覚すら与えるほど、お笑い芸人の実力者たちの演技力は飛び抜けている。

笑いという、人類の叡智によって、われわれに幸福な時間を与えてくれる芸人という仕事に、私は心から尊敬と感謝しか感じない。一方、その一番肝心な仕事で活躍することなく、どれだけ名声を得ようが、大金を稼ごうが、それはただのビジネスの成功に過ぎない。

今この時、食うや食わずの生活で、あるいは芸人としての収入がバイト給料の1/10にも満たないものであっても、笑芸能は人類にとって欠かせない仕事であり、その笑い作りをあきらめない限り、収入は乏しくとも、その人は確実に芸人なのだ。

芸人を捨てて得た富と名声は、単に成功したビジネスパーソンの1人でしかない。超高学歴でも、差別や下品なコントで爆笑を世界に広められたモンティパイソン。彼らへの賞賛は、決してオックスブリッジ卒だからではない。

学歴も収入も関係なく、腹の底から笑わせてくれる芸人さんに、心より感謝を述べたい。