女王様のご生還 VOL.113 中村うさぎ

昨日、所用で久々に新宿の紀伊国屋書店に行き、その店先でしばらく人を待ちながら、そこでずっと「長いお別れ」という映画か何かの宣伝の音声を聞いていた、

どうやら認知症の父親の物語らしいのだが、なんだか感動的な「家族の思い出」の話のようで、「うちの母親とはえらい違いだなぁ」と苦笑してしまった。



この「長いお別れ」の映画も原作も知らないので多くを語る資格は私にはないが、宣伝文句を聞いている限りでは「記憶を失くしていく父がずっと心に持っていた大切な家族の思い出」を妻や娘が探す話らしい。

だが、我が母の認知症の物語は、何度も書いたように感動的でも何でもない。

滑稽で物悲しくて、しかも彼女が心の底にずっと隠し持っていた家族に対する怒りや不満や嫌悪が露わになって私と父を慄かせるという、なんとも苦い物語だ。



正直、宣伝の音声を聞きながら「ちっ、綺麗事言いやがって」という気持ちにならないでもなかった。

が、認知症の症状は人によってさまざまだ。

友人の父親も認知症らしいが、うちの母親と違って子供のように無邪気で穏やかだという。

これはもう、本人たちの性格や人生の在り方に大きく左右されるのだろう。

少なくともうちの母親は、決して幸福ではなかったようだ。

傍目にはたいした不幸にも遭わず順風満帆な人生に見えただろうが、本人は幸福と感じていなかったのだ。

何事もない安泰な人生を望み、そのとおり何事もない人生を送れたはずだが、その波風ひとつない静かな湖面の水面下では、彼女しか知らない怒りが激しく渦巻いていたのである。



では、穏やかな認知症患者たちの人生は幸福だったのか?

件の友人の父親は、10年ほど前に自分の息子を亡くしている。

それはもう、彼にとっても家族にとっても衝撃の事件だった。

当時、その事件を友人から聞いた私は深く同情したものである。

だが、認知症になった今、おそらく友人の父はその不幸な事件も忘れているのだろう。

彼にとって、認知症による「記憶の喪失」は救いであったのかもしれない。



一方、家族を亡くすという悲しい事件も経験せず、これといって衝撃的な不幸に打ちのめされたこともない母は、いまだに「夫も娘も自分勝手な人生を楽しんでまったく私を顧みなかった」という怒りと不満に身を焦がし続けている。

確かに父も私も彼女を顧みなかったが、それは彼女が自分の望みや不満を口にしなかったから気づかなかったということもあるし、そもそも家族とはいえ個別の人生を歩むのは当然なのだから、彼女より優先すべき課題があるのはそんなに恨まれるようなひどい仕打ちなのだろうか?

彼女は私たちに何を望んでいたのだ?

口にせずとも彼女の孤独や不満を先回りして察して慰めることか?

しかし、それなら彼女は、私や父の孤独や苦悩を認識していただろうか?

家族といえども、他人である以上、互いの気持ちはわからない。

そんなことは当たり前じゃないのか?

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