十勝産の食材で農家と共存!地域密着型のパン屋さん/満寿屋商店/読んで分かる「カンブリア宮殿」

北海道十勝の恵み~家族が殺到する老舗人気店

北海道十勝地方は小麦の生産量・日本一。酪農王国でもある。そんな十勝の中心地、帯広市にあるのが、行列のできるパンの店「麦音」。満寿屋が運営している。

買いたくなる理由の一つは、目の前でパン職人が調理していること。そこから焼き立てのパンが次々に出てくる。焼き立てをすぐに食べたい人のために、イートインスペースもある。イートインからさらに外に出て行くと、そこには広々とした150席のテラス席が。「麦音」の敷地面積は東京ドームのグラウンドとほぼ同じ1万1000㎡。ベーカリーでは日本最大の広さだという。

ここはただパンを食べるだけではない。定期的に行われているのは音楽の無料ライブ。芝生では子ども達が大はしゃぎ。農家をテーマにしたプレイランドになっていて、思いきり遊ぶことができるのだ。

満寿屋商店4代目社長・杉山雅則(43)が目指すのは、地元と共存できるパン作りだ。

「私たちの大好きな十勝をもっと豊かにしていくためには、地産地消が一つのやり方だと思っています」

満寿屋の本店はJR帯広駅から歩いて5分ほどのところにある。そこには昔ながらの菓子パンがズラリと並んでいる。創業は今から70年ほど前。客との付き合いも長い。人気の理由を、客の一人は「地元の小麦を使っているので、安心して食べられます」と言う。

満寿屋の地産地消の最たるものは、すべてのパンが十勝産小麦100%であること。十勝産小麦だけで作るパン屋は、日本でも満寿屋だけだという。

日本で使われる小麦の9割近くはアメリカやカナダからの輸入物。国内産は1割ほどに過ぎない。しかも国内産小麦の大部分は、うどんなどに使う中力粉や、ケーキなどに使う薄力粉。パンに使える強力粉は14%しかない。

「パン用の小麦は収穫時期に雨が降ると状態が不安定になる。なかなか農家さんも作りづらい小麦なんです」(製造管理部部長・天方慎治)

しかし、満寿屋は地元農家に働きかけ、品種改良したパン用の小麦を作ってもらうことに成功。7年前、日本のベーカリーチェーンとしては初となる全商品国産小麦100%を成し遂げた。

小麦だけではない。イースト菌や天然酵母も十勝産。これらを使って生地を練っていく。

裁断や成形は機械でやる店が多いが、ここではほとんどが手作業。

「作業も気温や湿度によって変わっていく。パンは生き物なので、そこに人間が合わせていくということです」(杉山)

こうしてできあがった十勝産小麦のパンの特徴は、モチモチの食感にある。



究極のベーカリー~オール十勝で東京にも上陸

十勝産はパンの生地だけではない。煮込んでいたカレーパンの具の牛肉やタマネギなども十勝産。これをパン生地で包み、十勝産のコーンフレークをまぶして揚げると、人気の「十勝若牛カレーパン」(160円)になる。「麦音あんパン」(119円)も小豆はもちろん、砂糖まで十勝産だ。

さらに、足寄町の「しあわせチーズ工房」が作っているのは、地元の牧場の搾りたての生乳を使ったチーズ。ここではチーズを「ヨーロッパの昔ながらのスタイルで作っています」(本間幸雄さん)という。

熱を伝えやすい銅釜を使い、直火で加熱。すると香ばしさが増し、深みのある味わいが特徴のラクレットチーズができあがる。これとパルメザンやモッツアレラなど、5種類の十勝産チーズをトッピング。これを焼いたのが、満寿屋の一番人気、「とろーりチーズパン」(250円)だ。

満寿屋商店会長・杉山輝子(68)は、12年前、長男の雅則に社長を任せ、今は裏方に徹している。その輝子の思いが詰まったパンが「私がこちらに嫁いで来た時に考案した」という「白スパサンド」(194円)だ。十勝産小麦で作ったパスタを、地元産のハムや野菜と自家製マヨネーズで和えたもの。以来40年以上、帯広名物にもなっている満寿屋の看板商品だ。

満寿屋は十勝地方に6店舗あるだけの小さなベーカリーチェーンだが、3年前、東京・目黒区の都立大学駅近くに出店して東京進出を果たした。この店も、もちろん、十勝産にこだわっている。

「十勝をそのまま持って来たイメージで作りました。テーブルも十勝の木を使っている。壁も十勝のカラマツという木です」(杉山)

こだわりは水にも。パン生地を仕込む水は北海道・大雪山の湧き水。「十勝の小麦の味を一番引き出しやすい」と言う。そして店で働くスタッフも十勝から。パン職人のほとんどを十勝から派遣したという。スタッフのひとりは「地元がいいなと言ってもらえると嬉しいです」と言う。

今年4月には国立にも出店。今後さらに、都内に店を増やすという。こうして満寿屋は売り上げを順調に伸ばし、去年は過去最高を記録した。

「地元のものを食べれば、体も地元の資源とつながっていく。人間らしい心地よさ、豊かさをいろいろな形で伝えたいですね」(杉山)



日本初、十勝産小麦100%のパンはこうして生まれた

北海道芽室町。十勝でパン用小麦の刈り取りがもうすぐ始まろうというある日、満寿屋の一行が畑にやってきた。小麦農家の山川健一さんによれば、実は十勝でさえ、パン用小麦を生産する農家は、まだまだ少ないのだという。

「山川さんのようにチャレンジをしてくれる農家さんがいるからおいしいパンを作ることができる。これからも作っていただきたいですね」(杉山)

満寿屋の歴史は、十勝でパン用小麦を生産する歴史でもある。満寿屋の創業は1950年。東京のパン屋で修業した現社長の祖父・健一はふるさと帯広に店を開く。わずか6坪の小さな店は、1日2500人もの客が訪れるほど繁盛した。   

息子の健治もパン職人を目指し、高校卒業後に上京。高円寺の人気ベーカリーで修行を始めた。そこで出会ったのが、アルバイトで働いていた東京育ちの輝子だった。やがて二人は結婚し、帯広の店を任される。76年には現社長の雅則が誕生した。

健治は十勝を盛り上げようと、地元産の食材にこだわった。しかし、一つだけ、納得が行かないことがあった。

「父はお酒が好きだったので、毎晩、十勝ワインを開けて、酔っ払いながら小麦のことを言っていました。『これだけ目の前に小麦畑があるのに、それを地元のベーカリーが使えないのはおかしい』と」(杉山)

「十勝の小麦でパンを作りたい」という健治の思いは日に日に強くなっていく。だが当時、国内でパン用の小麦はほとんど生産されていなかった。

やがて健治に願ってもない追い風が吹く。北海道の農業試験場がパン用小麦の「ハルユタカ」を開発したのだ。

さっそく健治は地元の農家に集まってもらい、「ハルユタカ」の栽培を依頼する。しかし農家はこぞって反対。「獲れたぶんはすべて買う」と言っても、色よい返事はくれなかった。

そんな健治に手を差し伸べた泉吉広さんは「やりたいという熱意にほだされた。自腹で種や資材を買っていたから」と言う。なんと健治は自腹でトラクターまで購入し、無料で貸し出したのだ。

それでも「ハルユタカ」を作る農家がなかなか増えていかない中、わずかな小麦でパン作りを始めると新たな壁が立ちはだかる。それまで使っていたレシピは外国産小麦用。「ハルユタカ」には通用しなかったのだ。

何度焼いても思うように膨らまない。試行錯誤すること2年、健治はようやく十勝産小麦で作ったロールパンの完成にこぎつけた。だが、パンの種類を増やしたいという思いは叶わなかった。健治の体はガンに侵されていたのだ。

すでに抗がん剤も効かず、ベッドから起き上がれない状態になっても、健治が長年続けてきたパン作りのすべてが書き込まれていたノートを手に、命を削るように十勝産小麦でのパン作りを輝子に伝え、思いを託した。



十勝の小麦と格闘した23年~親子3代悲願のパン作り

1992年、健治は44歳という若さで亡くなる。その遺志を継いだ輝子は3代目社長に就任。十勝産小麦のパン作りを進めようとした。

「うちの姿勢として、社長の遺言ですから、どうしてもやらなければいけなかった」(輝子)

輝子も小麦農家に足を運んだが、十勝産小麦でのパン作りはなかなか前に進まなかった。

一方その頃、あとを継ぐ気がない息子の雅則は、航空工学を学ぶため、鹿児島の大学へ。しかし、そんな雅則に転機がやってくる。「自炊を始めたら食べ物の味が気になるようになり、食べ物に興味が湧いてきました。気づいたらパン屋でバイトをしていた」と言うのだ。

「焼き立てのパンを持っていくと、お客さんが喜んで買ってくれる。お客さんの表情を見ているうちに、パン屋はいい商売だな、と」(杉山)。

パン屋を継ぐことを決心した雅則は、アメリカでパンの専門学校に通い、有名ベーカリーでも修行を積んだ。だが、十勝に帰って、現実を目の当たりにする。

「十勝産小麦のパンが食べられている実感がなかったんです。社内でも、使用量は10%ないぐらいでした(杉山)」

「十勝産小麦でパンを作る」という父の思いは息子へと引き継がれていく。

雅則は、十勝産小麦を作ってくれる農家にパンを届けて回った。実際にそのおいしさを確かめてもらい、パン用小麦の生産を増やしてもらうためだ。そのパンに影響された一人、前田茂雄さんは「それがうちの家族が初めて食べた、自分の作った小麦で作ったパンでした。すごくおいしいと感じて、僕はそこから本当に農業が楽しくなった」と言う。

そんな地道な活動を後押しするように、パン用小麦の新品種が次々と開発され、それによって新たに作り始める農家も増えていった。

2007年、雅則は4代目の社長に就任。十勝産小麦のパンを増やす拠点として2009年にオープンしたのが「麦音」だった。

父の健治が取り組みを始めてから23年。2012年、満寿屋はついに全商品十勝産小麦100%を達成した。



十勝パン王国計画~地域と育む新たなパン作り

満寿屋には大きな夢がある。それは「2030年、十勝パン王国計画」。雅則がその計画を描いた絵には十勝ブランドの全国展開から世界進出まで、さまざまなものがあり、そのいくつかは、すでに形となっている。

たとえば荷台にピザ窯が積んだ「ピザ窯カー」。この車で十勝の各地を回って、年間約80回、ピザ教室を開いている。この日はJAの婦人会に呼ばれ、十勝産小麦で生地を作り、地元の食材をのせて実際につくってみた。「十勝産小麦を使って作るのが勉強になっていい」と、参加者の一人は言う。

また、帯広畜産大学とはパンの可能性を広げる共同研究を行っている。その成果の一つが「満白(ましろ)」というパン。耳まで白く柔らかいから、小さな子どもでも耳を残さず食べるそうだ。

「地元の学校と共同で活動すること自体が、地域活性につながると考えています」(杉山)

さらに満寿屋は2年前から4つの団体と手を組み、新たなプロジェクトを始めた。そのカギとなるのが帯広名物の「ばんえい競馬」。まず馬小屋に敷いた麦わらで堆肥を作る。その堆肥でマッシュルーム「とかちマッシュ」を生産。マッシュルームが生えていた菌床は肥料になるから、それを使って小麦を作る。刈り取った麦わらは、再び馬小屋の敷きわらに使う、というものだ。

目指すのは、農業廃棄物を極力なくす十勝ならではの「循環型農業」の実現。地元の協力があってこその一大プロジェクトなのだ。

もちろんその輪の真ん中に、満寿屋がいる。使うのは、細かく刻んだマッシュルームと小麦粉。これを生地にしてパンを焼く。その名も「うまっしゅパン」(55円)。「馬」と「マッシュルーム」から名付けた。

地元十勝と手を取り合いながら、パン王国実現の夢は続く。



~編集後記~

新しいことに挑戦する人は、「なぜやるのか」と自問しない。その前に行動を開始している。故・健治氏が目指した「十勝産小麦100%のパン」は輝子さん、雅則氏に受け継がれ、23年という長い歳月をかけて完成した。

わたしは「地産地消」の本当の意味を知った。単に「地元産のものを地元で消費」ではなく、「地元の恵み」を活かし、その恩に報いる。

父親は息子に事業継承を語らなかった。しかし息子は父親の足跡を辿ることになる。きっと健治氏は、十勝の大地から聞こえる、麦の穂が風に揺れる音を聞いているだろう。

<出演者略歴>

杉山輝子(すぎやま・てるこ)

1951年、東京都生まれ。1969年、ジャパンライン(現商船三井)入社。1971年、東京演劇アンサンブル入団。1987年、満寿屋商店専務就任。1992年、社長就任。2007年、代表取締役会長就任。

杉山雅則(すぎやま・まさのり)

1976年、北海道生まれ。1994年、第一工業大学入学。1999年、アメリカ製パン研究所に留学。2000年、日本製粉入社。2002年、満寿屋商店入社。2007年、4代目社長就任。 

(2019年8月15日にテレビ東京系列で放送した「カンブリア宮殿」を基に構成)