【MBの"超"思考】経済活動は「命の交換」である

先日イベントにお呼ばれしたのがきっかけで、今をときめくブランドSTUDIOUSの代表谷さんとじっくりお話して親睦を深める機会がありました。過去何度もご挨拶はしていましたが何気に時間をとってじっくり語り合ったのは初めて。同年代ということもありとてもシンパシーを感じる内容が多かったです。

STUDIOUSは現在設立10年目、店舗数は全国で45店舗、年商およそ100億円。マザーズに上場し不況が続くアパレル業界の星として各方面から注目されている会社です。代表の谷さんは34歳にして好きな「洋服」を事業としてまとめ上げ形にしています。その秘密はどこにあるのか・・・私は話してみて何より「自分の役目を意識している姿勢」に感心しました。



▼全てのものには意味と役割がある

私は人間であれ法人であれ物であれ空間であれ全てに意味があるのだと考えています。例えば人間社会において「お米」は我々が食べて命を繋ぐために存在します。「椅子」は座ってもらうために存在します。「ゲーム」は余暇を楽しく遊んでもらうために存在します。この世の中のあらゆる全てのモノには意味が存在し、また意味がないものは必要がないため消えていく宿命にあります。(いわば自然淘汰です)

社会においてなのか地球という環境においてなのかはさておき、何かしらの必要があるからこそそれは「モノ」や「命」として存在しているわけです。だとすると全てのモノには「役目」があるはずです。

お米が栄養もなく、食べても美味くもなく、見た目も美しくもないものだったとしたらこんな風に世の中に存在していないはずですね。メリットがあり意味があり、そうして初めて社会に存在を認められるわけです。これは会社や事業も全く同じことです。

会社は何のためにあるのか、事業は何のためにあるのか。それは社会において意味があるから存在出来ているわけです。この「役割」を定義することが事業を成功に繋げる最も有効な手段です。

STUDIOUSの代表谷さんは「洋服を広めるのがSTUDIOUSだから、余計なことはしない」と語ってくれました。起業した人ならば理解できると思いますが、事業を進めていくとついつい色々なことに手を出したくなるものです。洋服屋さんでも例えば「ライフスタイルを提案してみよう」だとか、「コーヒーショップを併設してみよう」だとか、「メンズブランドだけどレディースもやってみよう」だとか。もちろんそれらが事業のアイデンティティの中で存在し得るのならば良いのですが、無為に広めることには何の意味もありません。



▼無意味なものは「エゴ」である

「コーヒーショップをやったらもっと人が来るんじゃないか?」

これも例えば「自社がコーヒーショップを手がける”社会的な役割”が存在する」のなら着手するのも良いでしょう。例えば「細部まで細かいわかりにくい洋服だから、お客様にもっとゆっくり店内を過ごしてもらうためにコーヒーを出すことにした。」とか。こう考えるのならば単に「コーヒーショップを併設する」というだけでなく・・・目的は「お客様にゆっくりと居続けてもらう」ことなのだから広々とした椅子を用意して、椅子の隣にはラックを置いて洋服をじっくり眺めながらコーヒーを飲んで休憩できる環境作りをしてみたりね。

もしくは例えば「日本でこんなに美味しいコーヒーは飲んだことがない!!」というのならばそれを提供するだけで存在する意味があるでしょう。

何の考えもなく「コーヒーショップをやったらもっと人が来るんじゃないか?」というのは社会にとって何の役割もありません。ただの洋服屋のエゴでしかありません。美味しいコーヒーを出すお店は山ほどあるし、手軽にコーヒーを飲む場所はあらゆるところにあるし、洋服屋さんがコーヒーショップを出す意味がないのです。

「レディースの方がパイがデカイから、レディースをやったらもっと売れるんじゃないか?」

これも「うちがレディースを作ると、こんな人たちを幸せにできる」という定義が出来ているのなら意味がありますが、そうでないのならやるべきではありません。

STUDIOUSはそういった「存在する意味」「社会的な役割」をきちんと意識しています。だからこそ変にライフスタイルを提案したり、変にコーヒーショップを併設したりはしない。意味があればそういったことも今後手がけるでしょうが、意味を感じることができない今はやらない、そういうスタンスです。



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