女王様のご生還 VOL.72 中村うさぎ

前回に引き続き、「ナルシスト」の愛について考えたいと思う。

我々はすべて「ナルシスト」ではあるものの、その度合いが病的に酷いと、自分にも他人にも迷惑をかけまくることになるからだ。



たとえば、過度のナルシストが恋愛をした場合、その人は「自分がどれだけ愛されているか」にしか関心がない。

だから相手の愛を試そうとして途方もないワガママを言ってみたり、相手がどれだけの犠牲を払って自分を優先するかを確かめずにいられない。

で、相手が自分の要求に応えないと激怒し、「あなたに傷つけられた!」と大騒ぎして相手を責め、それでも相手が謝らないと酷い暴言を吐いて相手を傷つけようとする。

自分が傷ついたんだから相手も傷つくべきだ、というのが彼ら彼女らの理屈だが、あなたが傷ついたのはあなた自身のナルシシズムのせいで、相手の言動のせいではないのだ。

しかも、自分が傷ついたから倍返ししてやる、という幼稚な復讐心もきわめて醜悪である。



先にも述べたように、我々はすべて「ナルシスト」であるから、相手の愛を試したくなったり、勝手に傷ついて激しい復讐心を燃やしたりする気持ちに関しては、誰でも身に覚えがあるだろう。

だが、「愛」とは他者に犠牲や我慢を強いることではないのである。

相手が自分のために何かを犠牲にしてくれたとしても、それはあくまで相手の意思であるべきだ。

「愛される者としての当然の権利」として強要するべきものではない。



「タイタニック」みたいな映画を観て、恋人が自分のために命を捨てるシーンに感動どころか不快感を抱く私は、そこにヒロインのナルシシズムを感知してウンザリした気分になる。

そして、これを観たすべての男女が「愛とは相手が私のためにすべてを棄ててくれること」などと勘違いするのを想像すると、身震いするほどの嫌悪を覚えるのだ。



新約聖書に「人がその友のために自分の命を捨てること。これよりも大きな愛はない」というキリストの言葉が記されている。

まぁ、確かにそこに一理はあると思うが、雑な捉え方をされるとこれは非常に危険な思想でもある。

「友」という言葉を「国」に書き換えたら、どうなる?

お国のために同胞のために命を捨てろ、という極端な愛国心(私はこれを愛国心などとは思わないが)の称揚に繋がり、テロや戦争の正当化になる。

そこにさらに、「命を捨てるべし」という同調圧力が加わると、ますます始末に負えない。

人が何に命を捧げようが、本人の自由だ。

だから誰かが国に命を捧げても、それが本人の自由意思に基づく選択であれば、私はそれを非難する気はない。

問題は、そこに「他者への強要」が働くことだ。

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