女王様のご生還 VOL.54 中村うさぎ

「家族」とは何だろう。

母が認知症になってから、私はこれを頻繁に自分に問うようになった。



私たちは生まれてきた時に、自分の家族を選べない。

物心ついた時に「これがおまえの家族だ」と周囲に教えられた他者たちを、疑いもなく自分の家族と認識する。その後、疑い始める者もいるだろうが、私の場合は特に疑うこともなく、そのまま60年を過ごしてきた。

だが、その根拠は単に遺伝子上の繋がりに過ぎず、要するに私が父と母のDNAの混合物である、というだけのことだ。世の中には血の繋がらない家族もいるし、血が繋がっていても面識すらない親子も存在する。前者が家族ではないのかといえばそんなことはなかろうし、後者の場合は家族とは認識しづらい。

家族とは血の繋がりではなく、関係性を指すのだろう。

主に血の繋がりを頼りに、ある時期まで共同生活を営んで関係性を育み、家を出た後も同じコミュニティに属する存在として互いを認識し続ける……それが私たちの「最初の家族」だ。



だが、その後、私たちは婚姻制度のもとに(まぁ、必ずしも結婚という形態は必要ないが)、新しく自分の家族を作ることができる。この場合、血の繋がらない赤の他人を「人生のパートナー」として選ぶことができるのだ。「最初の家族」と大きく違うのは、配偶者を自分で選べること、そして何度でも別の配偶者を選んで作り直せることである。

不運にして「最初の家族」に恵まれなかった人も、今度こそ自分の選んだパートナーと一緒に理想の家族を作れる……はず、なのだが!

これがまた、なかなか思い通りにいかないのである。孤独から逃れるために家族を作ったのに、気づいたら家族の心はバラバラで、結婚する前よりもっと孤独になってしまう、という皮肉な結果になるケースが多々ある。



私もそうだった。最初の結婚で、私が一番痛感したのは「ひとりでいる時の孤独より、ふたりでいる時の孤独の方が苦しい」ということだった。愛し合ってると思って結婚したのに、その愛はたちまち見えなくなってしまったからだ。理解し合えない寂しさ、隣にいるのに遥か遠くに感じる寒々しさ。これなら、ひとりでいた方がずっと楽だった。ひとりは寂しいけど、まだ耐えられる。でも、愛しているはずの人とふたりでいるのに心が通じない寂しさは、ひとりの孤独よりずっと耐え難いものだ。

結局、私は彼と家族になることができなかった。両親と心が通じ合ってると思ったことはないが、前の夫とはさらに心が通じなかった。



結婚すれば自然に家族になれるわけではない。血が繋がっているからといって家族と言えるわけでもない。

ならば、家族とは何なのだ?

そもそも我々は、他者と心を通じ合わせることなどできるのか?

血が繋がってるから、一緒に暮らしているから、愛し合った末に結婚したから、心が通じ合うとは限らない。いやむしろ、血が繋がってるからこそ、一緒に暮らしてるからこそ、一度は激しく愛し合い求め合ったからこそ、心が通じ合ってるはずだと勝手に決めつけて相手に過剰な期待をしてしまい、その結果、あまりにも離れている心の距離に愕然として身の凍るほどの孤独を味わうのだ。

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