語彙の豊富さが不安を減らす~午堂登紀雄の「フリーキャピタリスト入門」

読書は自由を得るために必須な体験のひとつ

精神的な自由を得るためには重要なことがあります。それが本を読むことです。

ひとつの理由は、以前書いた通り、たくさんの本を読んで世の中のルールや仕組みを知れば知るほど不安は消え、希望が宿ります。なぜなら、知識があればその不安を解消したり、壁を乗り越える方法がわかってくるからです。

本を読めば、自分を取り巻く環境がどうなっているのか、自分が生きる社会とは全く違う世界があることがわかります。いろいろな人生や経験を、疑似体験することができ、視野が広がります。

知識が増えると、疑問が湧きます。疑問が湧くということは、知らないことがあることに気がつくことです。それを知ろうすれば、ますます知識が増え、世の中を理解する枠組みが増える。

そうやって社会を認識するパターンが増えれば、未来予測もできるようになります。それは株価や為替レートの予想などではなく、「自分がこう動けば、周囲はこう反応するだろう」「今起こっていることはこういう影響があるだろう」といった読みのことです。

プロ棋士が瞬時に数十手も先を読み、適切な打ち手を出せるのは、膨大な量の棋歩パターンがインプットされているからです。プロテニスプレーヤーも、膨大な対戦パターンの蓄積から「こう打てば相手はこう返してくるはず」という読みにつながるわけです。

もうひとつの理由は、語彙の多さと幸福感には相関関係があり、語彙が豊富であればあるほど、幸福を感じやすいからです。

語彙力や表現力は、思考のためのベースであり、コミュニケーションの基礎です。他人と仲良くする、人を動かす、自分をわかってもらう、ケンカをするにも、言葉の力が必要です。

表現方法が多ければ多いほど、自分の思いを的確に伝えられます。上手な言い換えや比喩を使って相手の腹に落ちれば、自分のために動いてくれる可能性が高まります。トラブルになるリスクも下げられる。

しかし少ない言葉では相手が理解できず、動いてくれないかもしれない。言葉のアヤで険悪になるかもしれない。それではイライラや不満がたまるでしょう。

つまり表現力のセンスは、より自分の思った通りに生きることにつながるわけで、そのセンスを磨く有力な方法のひとつが読書なのです。

・語彙が増えれば、世界と自分をより深く理解できる

自分の考えや主義主張を、自在に表現できる人とできない人とでは、人生の幸福感に大きな差が出ると述べましたが、それは自分の感情の処理についても同じです。

たとえば不安や葛藤、なんとなく感じる閉塞感といった感情の動きでさえ、論理的に言語化できるならば、「今自分が感じている不安はこうである」と特定することができます。

特定できれば「ではこのように捉えてはどうか」などと解決方法に向かうことができますし、それができない場合でも「そういうことだよな」と自分で納得することができます。それは自分の状態や感情をより快適にしていく作業に他なりません。

しかし自分の悩みを言語化できなければ、「悩みの原因はこれである」と特定できません。原因がぼんやりしていればどうしていいかもわからず、悩みは悶々と続くことになります。

「自分では一生懸命努力しているつもりなのに、なにもかもうまくいかない。どうしても生きることがつらく、しんどい。」と感じている人は、自分の感情を言語化できていない、つまり自分をよく理解できていないからです。

私たちは言葉で世界を認識し、言葉で自分を認識します。だからこそ、「言葉にできる」能力は非常に重要であり、「言葉にできない」人との幸福度には大きな差ができるのです。

特に若い世代ほど、正確に言語化することを面倒くさがります。たとえば「ヤバイ」という言葉は、文字通りの「ピンチである」というだけでなく、「おもしろい」「かわいい」「すごい」「おいしい」「楽しい」という意味になります。さらには「くだらない」「どうしようもない」という正反対の意味でも使える便利なフレーズです。

それはある意味、「このシチュエーションで意味を汲んでよ」という、相手に理解を丸投げする行為ですから、表現力が高まることがありませn。

大人になってからも、「ヤバい」に限らず「ビミョー」とか、流行りの短縮表現やマルチ表現ばかり使っていると、不安や悩みを言語化できず、自分の中で納得したり解決策を考えたりできない。だから若者世代のほうが悩みが多いのだと考えることもできます。

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