「うんこドリル」を買い与えるべきか問題

大ベストセラーとなった「うんこドリル」。子供が大好きなうんこという単語をすべての例文にまぶした、それまみれのドリルということで人気を呼び、バカ売れだそうです。多少下品でもそれで子供が漢字ドリルをやってくれるなら買ってみようというお父さんお母さん、自分が子供だった時のことも思い出してみましょう。

1.昭和の子供をわしづかんだカトちゃん

「8時だヨ全員集合」といえば、昭和に子供時代を過ごしたお父さんお母さんたちがみんな見ていた怪物番組です。その中でも志村けんさんが大人気をつかむまで独壇場だったのはカトちゃんこと加藤茶さん。たくさんの持ちギャグでも秀逸というか、バカバカしさの極致だなと子供だった私も思ったのは「うんこチンチン」です。

50歳を過ぎた私がこうして文字打ってるのもどうかと思うくらい、身もフタもない単語の合体。しかし子供が大好きな単語の合体で、案の上けっこう流行りました。しかしこうした不適切な単語が子供は大好きです。やはり親から怒られるような行為には独特の魅力があり、悪の魅力、影の存在に子供ながらに惹かれるのは本能的なものかも知れません。

で、うんこドリルですが、見事にこうしたマイナスの魅力を顕在化させ、ヒットにつなげたといえると思います。だって本来おもしろくもなんともない国語ドリルの例文がそれにまみれてるなんて、おもしろすぎですね。子供がキャハキャハいう絵が浮かびます。でも・・・・

2.タブ―の魅力

これまたドリフターズのカトちゃんは「タブー」という、当時ストリップのテーマ曲だったペレス・プラードの「TABU」という曲に合わせてストリップのマネをするというギャグが大流行しました。もっとも大人になってからストリップで使われるテーマ曲がどうだったのか、そもそも「TABU」が本当に使われていたのか、いまだに不明なのですが。ストリップの意味もよくわからない小学生だった私も大喜びでマネしてました。いや私だけでなく、当時の二寺小のクラスの男子ほぼ全員やってました。

お笑いの世界でタブー、とまではいかずとも品のないものとされるのが、「楽屋オチ」「出オチ」です。演芸用語で、楽屋オチは楽屋、つまり身内の芸人さんたちやスタッフ間での共通認識をいじった笑いのこと。82年から93年までの12年間視聴率3冠王を維持し続けたかつてのフジテレビは、自分たちの楽屋オチを世間の共通認識にさせてしまった無敵の腕力がありました。

また出オチはおもしろい顔や扮装など、絵が映った瞬間に笑いを呼べるオチがくるというもので、これまた奇抜でとんでもない場所やタイミングでやらかすハプニング的笑いも、黄金時代のフジのお家芸でした。古典落語など伝統芸能の方から見れば、こうしたゲリラ的笑いは邪道であり、いくらウケても笑いの質としては低いという批判は当時でもたくさんありました。

私は笑いは笑ったら勝ち、笑えなければ負けという勝ち負けの明確な芸術だと思います。不謹慎さも笑いの重要なファクターで、本来あっていけない・やってはいけない行為(=正にそれがタブー)だから笑いが起こり、大人以上に厳しく常識を教育されている過程にある子供たちは、そうした不謹慎さにより強い魅力を感じるといえるでしょう。

3.タブーを侵したうんこドリル

タブーが喜びを倍増させるというのは人間心理ですので、いけないこと・ダメなことには誰しも弱みを持っています。ただそれが一歩道を踏み外せば犯罪などにもなりかねないため、常識を子供にしつけ、大人は法律で縛られるのは道理なのだといえます。

うんこドリルの発想はおもしろいと思いますし、それを発売まで持って行けた実行力はたいしたものだと思います。で、それを見た親たちが勉強嫌いの子供になんとか興味を持たせようということで結果大ヒットになったのであれば、企画意図も含め大成功であることは間違いありません。

私はビジネスとしての成功は、非合法でない限りなんでもありだと思っています。つまりこの本を出した出版社は成功者そのもので、批判もすべきではないと考えます。うんこチンチンで子供たちを大喜びさせたカトちゃんは・・・・あ、全国のPTAから番組視聴反対運動起こされてましたね。ん、まあでも結局子供たちは親の目を盗んで全員集合は見てたしね。いずれにしても企画販売と、その成果について批判はありません。

問題はそれを買った親ではないでしょうか。要するに子供が自分でこっそり買う分にはきわめて健康なものかも知れませんが、親が買い与えるのはどうなのかと思うのです、特に小学校低学年はともかく、来年中学という小6にまでうんこドリルを親が与えるのは。

4.「9歳の壁」

子供時代、特に思春期になれば親との距離感はどんな家庭でも問題になります。ただこれは子供の発達段階の通過儀礼であり、ごく普通のこと。とりわけ非行や深刻な家庭問題に至らなければ、大小の差はあれどんな家庭にでもあることでしょう。むしろそうした親子の葛藤が無い方が異常ではないかと思うほど、自然なことです。

ここで子供との距離感を適正に保つのは恐らくその後の生育にも大きく影響すると思われます。文科省の審議会でも指摘される「9歳の壁」とは、発達心理上自己と他己の認識が進む時期といわれます。小学校高学年から思春期にかけて、大きく心身が変化する時期、こうした自己認識や自己肯定感、あるいは勉強が徐々に難しくなることでの敗北感や自己否定感など、複雑な感情が芽生えていく時期でもあります。

うんこドリルも子供が自ら進んで手に取って買う分には何も問題ないと思います。しかし子供が喜ぶからという一点突破で親が与えるのはどうでしょう。まして世間で流行っているからということで、書店だけでなくスーパーやホームセンターですら売り始めた姿を見ていると、余計なお世話ながらそれを与えられた子供のことを考えてしまいます。

タブーの魅力やそうしたネガティブな部分を親が介入して促進するというのは、子供の心をかき乱すことにならないのでしょうか。子供の教育のためには勉強をさせる以上に、価値観の涵養が重要だと思っています。答を渡し与えるのではなく、文部科学省の学習指導要領改定案にも盛り込まれる、アクティブに学ぶ姿勢を養う方が大切でしょう。

新たな学習指導要領での思考力や主体性は、これからの大学入試にも反映されるといわれています。タブーとの接点は、自らがそのリスクや罪悪感と戦いながら価値観を学び取る重要なチャンスでもあるのです。

5.気持ち悪い「恋人同志みたいな母と息子」

ずいぶん時代とともに変わったと言われていますが、男の子であれば母親との関係はやはり私の世代ですとあまり距離感が近すぎるのは気持ち悪く、ほとんど口も利かない、いちいち口答えする程度の反抗の方がノーマルな時代でした。テレビCMのような「恋人同士みたいな母と息子」なんて、現実の母親はYOUさんじゃないし、仮にそうだとしても気持ち悪いとしか感じません。ましてもし万が一、親がエロ雑誌をくれたらと思うと、想像だけで耐え難い苦痛しかありません。そうゆうものじゃないんです。

ここから先は有料になりますが、特段超絶なノウハウがある訳ではないこと、先にお断りします。毒吐きコーナー読みたい方、投げ銭代わりに読んでやるという方は、ぜひご一読いただければ幸いです。(作者・増沢)

記事の新規購入は2023/03をもって終了しました