仙台でイジメを苦にした母娘心中が話題になっているのをヤフーニュースで見た。
どんなイジメを受けていたのか詳細を知らないのであまり軽々しく意見を言いたくないが、ヤフーニュースで見る限りではクラス全体のイジメとかではなく、女子二人に置き去りにされたり仲間外れにされたりといった類のものだったようで、私にとっては「自分もされたことあるなぁ」的な「小学校あるある」イジメだったので、母娘がそこまで追い詰められたことに驚いた。
私は小学生の頃、特定の女子グループにひどく嫌われて、あからさまな仲間外れや呼び出しくらって数人に罵られたり靴を捨てられたりした経験があるのだが、「死にたい」と思ったことは一度もなかった。
彼女たちに仲間外れにされても、他のクラスメイトと遊べばいいと思ってたからだ。
クラスには何十人も生徒がいるから、5、6人の女子に嫌われたところで、居場所がなくなるわけでもない。
私が彼女たちを避けて他の子と遊ぶようになっても、彼女たちは執拗に私を追い掛け回して嫌がらせをしてきたが、もちろんウンザリはしたものの、「うるさい虫」みたいに思っていた。
そういう私の傲慢さがますます彼女たちを苛立たせたんだろうと今は思うが、だからといって当時に戻って彼女たちに媚びへつらう気はさらさらない。
彼女たちには本当に申し訳ないのだが、とことん愚かでヒステリックで、どこからツッコんでいいのかわからないほど間違った正義を振りかざして攻めてくるので、「何をそんなにムキになってるんだろう?」と不思議でならなかった。
私は今でも他者の正義や常識に懐疑的だが、もしかするとその傾向はあの時期に形成されたのかもしれない。
彼女たちがそれほどまでに私を攻撃する意味がわからなかったので、母親に相談してみたところ、「そんなのただの嫉妬でしょ」と、これまた母親らしい独断的な意見が返ってきたので、私はますます彼女たちを見下すようになった。
なんだ、私が羨ましいだけなのね、と。
いや、我ながら、マジでムカつく女である。
彼女たちが躍起になればなるほど、私は彼女たちに冷ややかな侮蔑を募らせ、両者の確執は卒業するまで続いたが、死にたいという考えは1ミクロンも湧かなかった。
仙台の女子小学生がどんなイジメを受けたの知らないが、「イジメ」というのはイジメられている方が悪いのではなく、イジメている方に何か問題があるのだということを、周囲の大人がきちんと教えてあげればよかったのにな、と残念に思う。
「そんなの、ただの嫉妬よ」という母の意見は大雑把で乱暴で傲慢であったかもしれないが、少なくとも当時の私に「自分は悪くない」と思わせてくれた。
そして、イジメてくる相手を軽蔑することで、脆弱ながらも自尊心を維持することができたのだと思う。