女王様のご生還 VOL.52 中村うさぎ

私たち女は、自分の「性」の扱い方をまだマスターしきれていない、と、私は思う。



私たちは「視られる性」であり「欲情される性」であり、それゆえに「査定される性」であり「蔑まれる性」でもある。男はしばしば、自分の欲情を女の責任にしたがるからだ。

そんなアンビバレントな「性」を持つ私たちは、自分が性的な存在であることを恥じたり責めたり悔しがったりしながら、その一方でその「性」の力をうまく使えば男をコントロールできることも知っている。

「性」は私たちにとって諸刃の剣だ。男に対する武器にはなり得るが、己を傷つける凶器にもなる。



この剣の扱い方をマスターしなければ、私たちは生涯、自分の「性」に振り回されて生きることになる。

そんなのは嫌だ。

望んで女に生まれたわけでもないのに(それは男だって同じだか)、常に視られ査定され、欲情を一方的に押し付けられたり謂れなき蔑みを受けたり、酷い時には暴力に晒されることすらあるなんて、どう考えても不公平ではないか。



「女を性的な目で視るな、勝手に査定し欲情するな」と訴える女性たちの気持ちは、私にもよくわかる。そのような視線は常に私たちを傷つけ、自己評価を揺るがすからだ。

が、男に「欲情するな」と言うのは無茶な話であり、「そんな目で視るな」と言われても彼らが「視てしまう」のは避けられない。

私たちは男に対してそれを要求するのではなく、自分自身の「性」を自分がどう考えどう扱うかを、もっと試行錯誤すべきではなのだろう。



私たちが男から欲情される「性」であるのは、べつに私たちの責任ではないし、欲情する男たちが悪いわけでもない。

男の「性」も女の「性」も、そういうふうに作られているから仕方ないのだ。

私たちに必要なのは、男が作った「女の性の査定」を白紙にし、自分の「性」を自ら査定することではないだろうか。

男から欲情されないと自分の価値が下がるという思い込み、あるいは男から無理やり欲情を押し付けられたからといって自分を恥じたり自分が穢れたと感じたりする自責の念……そういったものから自由になって、「男から張られた値札」を自分で貼り替える試みである。

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