女王様のご生還 VOL.182 中村うさぎ

来月、63歳になる中村であるが、もう自分の年がわからなくなり、てっきり62歳になるのかと思い込んでいた。

まぁ、62歳も63歳も変わらないのであるが、自分の年がわからなくなるという現象に愕然とした次第である。

私、ボケてきたんだろうか?

それとも、例の病気で死にかけて脳が一時的に機能停止したり薬の副作用で記憶が飛んだりしたせいで、時間の感覚が1年ほど消えてしまったのだろうか?



まぁ、病気のせいか加齢のせいかはわからないが、思考能力が大幅に低下したのは実感している。

物事を考える持久力と集中力がなくなり、考えている途中に「あ、そうか!」と天啓のごとく現れる閃きみたいなものもなくなってしまった。

引きこもりライフのおかげで毎日が単調になったので、刺激がなくなったせいもあるかもしれない。

閃きは常に刺激から生まれるものだからだ。

思考力と閃きを失ってしまったら、人はどんどん愚鈍になる。

新しい考えを生み出せなくなった私は、今までの思考によって生み出された自説に固執するようになり、自分の価値観を自らぶち壊して新たな価値観を築いていくという作業もできなくなった。



もとより私の思考能力など知れているのでべつに問題ないっちゃ問題ないのではあるが、「価値観の破壊と再構築」という愉しみを喪ったのは辛い。

何か新しい経験をするたびに今まで見えてなかった扉がいきなり開いてまったく違う世界が見えてくる……その瞬間の興奮と快感こそが私の人生を突き動かしてきたからだ。

加齢に伴う脳の機能低下には個人差があり、60歳を超えてもなお溌溂と脳を働かせている人は大勢いる。

それを考えると、私は常人より劣化のスピードが速いようだ。

脳の劣化に比例して肉体も急速に衰弱し早死にしてくれればありがたいが、このまま思考能力を失いながらだらだらと長生きしてしまったらどうしよう。

脳が活発なうちに肉体が死を迎える人間と、脳が劣化しているのに肉体だけは頑健で長生きする人間と、どちらが幸福なのだろう?



私の母は明らかに後者の道を歩んでいる。

もはや自分の年齢も家族の顔もわからなくなった彼女は、現実との接点を失い、夢の中のように非論理的な脳内世界で生きている。

なんか、それはそれで幸せそうにも見えるのだが、本人ではないので実際にはどんな気分なのかはわからない。

楽しい夢の中ならいいけど、恐怖や不安に満ちた夢の中に閉じ込められる可能性もある。

認知症になって論理的思考や時間軸の概念を失い、支離滅裂な夢の世界に生きる事になった場合、それがどんな夢の世界になるかは本人の生き方に関係するのだろうか?

我々は自分がどんな夢を見るかをコントロールできない。

が、各人が見る夢は明らかに本人の性格や感受性に影響されている。

夢は我々の脳が創造した別世界なので、どんなに突拍子もない世界であれ、我々の性向や思考経路から大きく逸脱することはないのだ。



私の伯父はボケた際、時間軸が第二次世界大戦中に戻ってしまった。

夜中に部屋で大きな物音がするので家族が見に行くと、壁からエアコンを引き剥がそうと奮闘していたそうだ。

驚いて「何してるの?」と尋ねたら、「軍曹殿の命令でこの装置を撤去中であります!」と真顔で答えたらしい(笑)。

また、家族とハワイ旅行に行った時、ホテルのロビーに飾られたカメハメハ大王の肖像画を明治天皇と思い込み、いきなり深々と最敬礼したという。

その話を聞いた時は私も若かったので大笑いしただけだったが、今にして考えてみると、せっかく戦争が終わって平和になったのにボケて再び戦時中の時間軸に閉じ込められるなんて気の毒だ。

もっといい時代もあっただろうに、わざわざ戦時中に戻ったのは、彼にとって良くも悪くもその時代がもっとも印象的だったという事だろうか?

ボケていない頃にも彼は、しばしば戦時中の夢を見ていたのだろうか?

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