【MBの"超"思考】あるがままに生きる





▼皆「あるがまま」で良いはずなのに...

最近私は事あるごとに「普通」という言葉の重みを感じています。

私は極めて「普通」に生きています。無理をせず肩肘張らず自然に普通にあるがままに生きています。

好きだから洋服を買って着て、

広めたいから洋服の良さを多くの人に広めて、

飲みたいから好きな人や愛する人とお酒を飲み、

有難いから育ててくれた親に感謝し、

起きたい時間だから起き、寝たい時間だから寝て・・・

極めて自然に極めて普通に暮らしています。

しかしこれら「こうしたい」「これが好き」という「普通」は、世の中では踏みにじられることも多く、また無理やり矯正されてしまうものです。会社組織にいれば嫌いなことも歯を食いしばり実行しなければなりません。当然好きなことをする時間、好きなものに触れる時間は短くなってしまいます。嫌いな仕事をするために愛する人と一緒にいる時間が制限されることだってあるでしょう。起きたくない時間に起きなければならず、乗りたくない電車にも乗らねばなりません。

そう・・・世の中で表現されるところの普通とは「多くの人がやっている」という意味での「普通」であり・・・「自分のあるがまま」「自分のありのまま」という意味での「普通」ではないのです。

「多くの人がやっている普通」にあなたの幸せは落ちていません。なぜならそれは他人の価値観で形成されたものであり、自分の願望や希望が微塵も込められていないからです。皆と同じようにすればあなたは幸せでしょうか。皆と同じような将来像であなたは満足できるでしょうか。皆と同じ理想と希望を持って同じように生きるのが人間なのでしょうか。ロボットじゃないんだからそんなわけないでしょう。人はそれぞれ自分なりの希望や願望や理想があって然るべきだし、それを求めて生きるのが「普通」なはずでしょう。

他人の価値観や他人が設定した正解だけを求めようとする姿勢では、絶対に幸せは生まれません。人はロボットの様に同じ目的で動いているわけじゃないからです。

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