女王様のご生還 VOL.57 中村うさぎ

父から電話があって、最近の母の状況を聞いた。



認知症は、日々進行しているようだ。

とはいえ、これは必ずしも鬱的展開ではない。

むしろ、その逆である。



認知症が進行して、母は以前のように激昂することが減ったという。その代わり、始終ぼんやりとして、半分夢を見ているような状態らしい。

これは介護者にとって、大変助かる状況だ。以前のように突然興奮して罵ったりするようなことが頻繁だと、介護者は心身ともに疲れ果ててしまう。



そして、おそらく本人にとっても、これはいい状況なのではないかと思う。

母だって好きこのんで激昂していたわけではなかろう。

ある時、突然、世界が変わってしまう。自分がおかしいのか、周りがおかしいのか、わからない。ただもう恐ろしくて疑心暗鬼になり、自分に対する苛立ちも募って、やたらに攻撃的になってしまう……そのような母の心情は、わからないでもない。



世界が、そして何より自分自身が信じられなくなるのは、本当に恐ろしいことだ。

私も数年前、薬の副作用で記憶を失くしたり感情をコントロールできなくなったりした時は、本当に死んでしまいたいと何度も何度も強く願った。

私が私でなくなるなら、私は消えてしまいたい!と。



おそらく母も、そんな気持ちだったのではないかと思う。

激昂した後は、泣きながら「もう死んでしまいたい」と言っていたから。

だが、彼女はその地獄から解放されつつあるようだ。

「私」を失くしていく過程は苦しいが、失くしてしまえばそこは天国かもしれない。

そこにはもう、「私」もいなければ「他者」もいない。



結局、「私」の苦しみとは、「他者」に傷つけられるがゆえの苦しみではなく、むしろ私が「私」であることの苦しみだったのだ。

私が「私」である限り、他者は「私」ではない、という苦しみだ。

だから人は他者の言葉や態度に傷つくし、嫉妬や憎悪や恨みを抱く羽目になる。

私を苦しめているのは、他ならぬ「私」自身の存在、もっと言えば「私」という自意識そのものなのである。

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