女王様のご生還 VOL.51 中村うさぎ

人間は何故、「誰かに愛されたい」という想いを捨てられないのだろうか。



犬や猫も愛情を求めるが、人間ほど「愛されないこと」で傷ついたりはしない。母猫に邪険にされても元気に育つし、群れの中で孤立していてもあまり気にしてないように見える。

おそらく「孤独」を感じないのだろう。野良猫なんか、たった一匹で自由気ままに生きてるし。相手を必要とするのは発情期だけだ。しかも、その関係も一期一会。



なのに人間は生涯の配偶者を求めたり、結婚願望はなくても心の拠り所を他者に求めたりする。特定の他者でなくても、たとえば「社会な貢献したい」などという欲求で他者との繋がりを求める。

人間は、誰かに必要とされなければ生きていけないのだろうか? でもそれ、いつから? 人間が群れを作って生きるようになってからか?



この「誰かに愛されたい、必要とされたい」という欲求が人間を「助け合う生き物」にしているのは確かだが、その一方で「自分は誰にも愛されない、必要ともされてない」という想いが我々を苦しめ、自分を無価値な存在と感じさせてしまうのも事実である。

他人にとって何の価値もなくたって、それで自分の価値が決まるわけではないのに、だ。

人生の価値なんて自分で決めればいい。他人が査定するものではない。そんなことは百も承知でも、やはり我々は「誰にも愛されない」ことに傷つくのだ。



だが「愛されたい」という欲求は、はなはだエゴイスティックなものである。何故なら我々は、自分が選んだ者の愛しか受けつけない。愛してくれるなら誰でもいい、というわけにはいかないからだ。そのくせ、自分が愛した相手には「愛して欲しい」と強く望む。これをエゴと呼ばずして何と呼ぼうか。



ちなみに私は、他人から期待されるのが嫌いである。私は他人の期待に応えるために生きているわけではない。他人の期待なんかに応えてたら、自分の生きたいように生きられないではないか。

だが、他者の「愛」はしばしば私に対する「期待」を伴うので、それがウザくて仕方ない。そんな重荷を背負わされるくらいなら、愛してなんかくれなくていい。

他の人たちは知らないが、私には「無償の善意」など存在しない。たとえ金銭的な見返りはなくても、たとえば私が誰かを助けたとして、それが私の自己満足や自己肯定感に繋がるのであれば、それは「有償」である。したがって、私自身の自己満足に繋がらないような相手には、自分の時間を割いてまで善意を示すつもりはない。要するに「助けたい人しか助けない」のだ。

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