女王様のご生還 VOL.44 中村うさぎ

先日、プエルトリコのトランスジェンダーを取材したドキュメンタリーを観ていて、ふと考え込んだ。

以前からずっと頭の隅でくすぶり続けていた疑問だ。



トランスジェンダーとは何なのか?



トランスジェンダーとゲイとはまったく違う存在で、きちんと区別されるべきものである……と、LGBT界では言われてきたし、私も「なるほど、そうなのか」と思っていた。

トランスジェンダーとは、簡単に言えば「自分が男(あるいは女)に生まれたことに違和感を抱き、性別を変えたいと望む人々」である。

一方、ゲイは自分の生まれながらの性別に違和感を持つことはなく、男でありながら男を、女でありながら女を愛する、いわゆる「同性愛者」だ。

要するに、自分の性別を受け容れているかどうかが要というわけだ。



が、実際のところ、両者の違いは言葉でいうほど明確ではない、と、私は感じている。

ずっと自分をゲイだと思っていた人が「やっぱり自分はトランスジェンダーだった」と宣言して性転換するケースも身近に見てきたし、その逆で性転換した後に「元の身体に戻りたい」後悔する人もいると聞く。

こうなると、「自分の性別に違和感がある」という彼ら彼女らの主張も、どこまでが思い込みなのかわからなくなるではないか。



まぁ、そもそも私は自分の性別に違和感を抱いたことがないので、彼ら彼女らの気持ちをリアルに共有することはできないし、あくまで想像するだけである。

だから、「性別に違和感がある」というのが実際にどういう感覚なのかはわからない。

でも、少しでも理解したいと思うからトランスジェンダーに会うといろいろ訊きたくなるのだが、話を聞いてもどこか腑に落ちない感覚を拭うことができないのだ。

そもそも、彼ら彼女らが「私は男(女)じゃない!」と強く確信した根拠は何なのか?



ドキュメンタリーの中で、ひとりのMTF(男性から女性に性転換したトランスジェンダー)がこのような発言をしていた。

「モデルみたいに美しいトランスジェンダーたちをたくさん見てきたわ。でも、美しい女になりたいというのは、本当のトランスジェンダーではない。真のトランスジェンダーは、魂が女なのよ。男の身体に女の心を持って生まれてきたの。だから女に戻りたいだけ。バービー人形になりたいわけじゃないのよ」



「うーむ」と、ここで私は唸ったね。

「魂が女って、どういうことなの?」

そもそも「心」や「魂」に性別なんてあるのか?

どんな動物であれ、「雄か雌か」を何より明確に決定するのは身体的特徴である。

男性器があれば雄、女性器があれば雌だ。

そして動物たちはおそらく自分の性別に違和感は抱かないと思う。

「俺は本当に雄なのか?」などと考え込むことはなかろう。

たとえ雄らしくない行動を取ったとしても(たとえば雌に欲情せず同性である雄に欲情したとしても)、それを根拠に「俺は雄じゃない」などという結論は下すまい。これはゲイたちが自分の性別を疑わず、単に「同性愛者」と自認しているのと同じだ。動物にも同性愛的行為はあるが、それは彼らの「性別自認」とは関係なさそうだ。



ところが人間の場合、「身体は男だけど心は女」と言い切る人たちが存在する。

この場合の「心」とは何か?

「雄と雌」ではなく「男と女」になった途端に、身体的特徴以外に心的な「性別」が加わるのか?

だとしたら、「心的な女性(あるいは男性)」とはどういうものなのか?



私はここが知りたくて仕方ないのである。

で、トランスジェンダーの人たちに「何故、自分を女だと思うのか?」と質問してみると、「子どもの頃からズボンか嫌でスカートが穿きたかった」とか「車のオモチャより人形遊びが好きだった」とか言うのであるが、それと同じことを言うゲイも少なからずいるし、そもそも女だってスカートが嫌いでパンツスタイルを好む人もいれば「人形遊びやおままごとにまったく興味がなかった」と語る女子もいる。

そして、その人たちは「女(男)っぽい服が好き」「女(男)っぽい遊びが好き」というだけで己の性別自体を疑うことはない。

トランスジェンダーの言う「心が女(男)」というのがその程度の根拠なら、単にこれはジェンダーの問題ではないかという気がしてくる。

「男は男らしく、女は女らしく」というジェンダーの縛りが崩壊したら、トランスジェンダーたちは己の性別を受け容れられるのか?

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