世界を驚かせた日本製の鋳物ホーロー鍋バーミキュラ~倒産寸前の町工場、大逆転の秘密/読んで分かる「カンブリア宮殿」

いつもの料理が絶品に変わる~町工場が生んだ「魔法の鍋」

愛知県名古屋市にあるレストラン「チェザリ」。去年、無形文化遺産への登録が決まったナポリピザ。その世界チャンピオンに輝いた職人のピザが売りで、1日に1000枚を売り上げることもある。

そのピザを焼く窯に「魔法の鍋」が入っていた。鍋の中身はイタリア料理の「ポルポアッフォガート」(タコの溺れ煮、1458円)。500度の窯で加熱し、鍋ごとお客に振舞う。シェフの牧島昭成さんは、鍋を変えたところ、料理の味が変わったと言う。

「それまでもよく似たフランス製の鍋を使っていたのですが、水蒸気と一緒にうま味が逃げていってしまう。鍋を変えてから特にお客様に好評なのはミネストローネです。お客様が『野菜の味がする』と言ったときに、『よし』と思いました」

鍋の名前は「バーミキュラ」。東京・新宿の伊勢丹新宿店では、この鍋を使った料理教室が開かれ、予約殺到となっている。

細かく刻んだ野菜をたっぷり鍋に入れ、水を入れないで蓋をした。火にかけて30分、スープができていた。「無水調理をして、野菜の水分とうま味を完全に引き出した状態です」と言う。「チェザリ」でも評判になっていたミネストローネだ。

「バーミキュラ」は日本製。2万円以上する(18cm、2万3760円~)が、常に売り上げ上位に入っていると言う。

「バーミキュラ」の製造元は名古屋にある愛知ドビー。中を覗くと、そこは鋳物工場だった。溶かした鉄を鋳型の中へ。鋳型は砂でできていて、鉄が固まったら型を壊して取り出す昔ながらの製法だ。

この会社にはキーマンが二人いる。「完全に『バーミキュラ』のメーカーになったので、建屋以外は全て中身が変わりました」と言うのは社長の土方邦裕(43歳)。もう一人はその弟、発想豊かな開発者である副社長の智晴(40歳)だ。兄弟で違う役割を担って「バーミキュラ」を世に出し、会社を下請けの町工場から一大メーカーに変えた。

「バーミキュラ」の無水調理のポイントは鍋と蓋の接触面にあると言う。

加工する前の蓋は、「薄い紙を通すと入るくらい、隙間が空いてしまうんです」(智晴)。

その蓋を機械にセットし、接触面を職人が少しずつ削っていく。許される誤差は100分の1ミリ以下。1時間がかりの作業だ。これにより隙間がまったくなくなった。

この蓋なら密閉できるので、食材の水分やうま味が外に逃げず、水なしでスープができる。

「鋳物ホーロー鍋を100分の1ミリの精度で削っているのは、世界でうちだけだと思います」(智晴)

バーミキュラは鋳物をホーロー加工した鍋。このホーロー加工にも料理がおいしくなる秘密がある。ガラス成分の入った塗料を吹きかけ、800度の窯で3回焼き、鋳物の鍋をコーティング。ガラス成分は遠赤外線効果を発揮するので、食材を芯から温め、料理がおいしく仕上がる。精度の高い技術力が「魔法の鍋」を生み出しているのだ。



客の声から新レシピが続々~「魔法の鍋」が炊飯器に

驚きの光景はオフィスにもあった。顧客対応のコールセンター「オーナーズデスク」。クレームや修理の問い合わせかと思ったら、オペレーターの辻尾恵美子が受けたのは「バーミキュラで離乳食を作れないか?」という相談だった。

席を立った辻尾の隣にはキッチンが。1本の電話から試作が始まった。作ったことのない料理の相談を受けたら、すぐにやってみる。そのために専属シェフまでスタンバイしているのだ。

シェフはまず野菜を無水調理。それを濾してスープをとった。野菜成分100%の離乳食だ。濾した野菜を潰して混ぜてペースト状にしてもOK。辻尾が早速電話で返答する。

こうしたお客の声を聞く姿勢から、画期的な商品も生まれている。それが「バーミキュラ・ライスポット」。鋳物ホーロー鍋とIH調理器を合わせた世界に一つだけの炊飯器だ。

実は「『バーミキュラ』でご飯を炊くと、ふっくらおいしい」という声がたくさん届いていた。その一方で「火加減が難しい」という声も。そこで「誰でも失敗せずに想像を超えた味を出せる調理器具になると考えついたんです」(智晴)。

IH調理器に最適な火加減がプログラムしてあり、ボタンひとつで鍋の底と側面から加熱を開始。すると鍋の中は、釜戸の釜と近い状態になり、中で米が激しく踊るのだ。

最先端の家電を揃えた東京・世田谷区の「二子玉川 蔦屋家電」でも「ライスポット」は話題沸騰。お客に試食してもらうと、反響が凄いと言う。

プロの料理人もこぞって使い始めている。東京・杉並区の「器楽亭」は気さくに本格的な和食が楽しめる知る人ぞ知る居酒屋割烹。何冊もグルメ本を出している食通芸人、アンジャッシュの渡部建さんもブログで絶賛した店だ。

そのカウンターの奥に「ライスポット」が。ご主人がその味に惚れ込み、半年前にガス釜から交換。するとお客がこぞって褒め出したと言う。店主の浅倉鼓太郎さんは「特に白米が評判いいですね。米の甘味、うま味が最大限に出ている。感動しました」と言う。

「ライスポット」(8万6184円)は、発売から1年で5万台以上が売れた。その結果、「バーミキュラ」の発売以降、ゆるやかに伸びてきた売り上げが一気に3倍に増えた。

「世界中で販売できるすばらしい鍋になると思ったので、諦めなければ最後は必ず成功する、と」(邦裕)

下請けからメーカーへ~愛知ドビー苦闘の歴史

 愛知ドビーはもともとドビー機を作っていた会社だ。ドビー機とは、繊維工場の機織り機の動力源となる機械だ。愛知ドビーは1936年、兄弟の祖父、土方司馬一が創業。社員70人でドビー機を作っていた。

当時の自宅は工場の隣。土方兄弟は工場の職人たちによく遊んでもらった。

「キャッチボールをしたりサッカーをしたり、小さい頃は毎日のように遊んでもらって、他人のような気がしないわけです」(邦裕)

やがて繊維産業が下火になると、愛知ドビーは船舶や建設機械の部品を作る下請け工場に転換。両親の希望もあり、邦裕は後を継がず豊田通商に就職。為替ディーラーとして、エリート街道を突き進む。

しかしバブル崩壊後、愛知ドビーのような下請け工場はますます厳しくなっていく。

「昔、遊んでくれたスタッフが少しずつ減っていくのは寂しい思いをしました。僕が会社に入って貢献することによって、食い止められるようになるんじゃないか、と」(邦裕)

邦裕は世話になった職人たちがいる工場を守るため、安定した職を捨て、2001年、愛知ドビーに入社する。しかし、会社の状況は想像以上に悪化していた。売り上げ2億円に対し、負債が4億円以上という債務超過になっていたのだ。

その頃、弟の智晴はトヨタ自動車で経理の仕事に就いていたが、彼もまた職人たちのいる工場が気になっていたと言う。

「名物工場長がいたのですが、『クニさんはどうしているんだろう』と思ったり。『やりたい』という思いもあったんでしょうね。兄と一緒に油まみれでやってみるか、と」(智晴)

兄に遅れること5年、智晴も愛知ドビーに入社。二人は技術を覚えるところから始め、やがて工場にあった全ての機械を使いこなせるようになった。ガムシャラに下請け仕事をこなし、業績を改善させた。しかし、労働コストの安い海外に仕事をとられることも多く、受注は安定しなかった。

「注文を取っても、ちょっと量が増えると海外調達に切り替えられたり」(邦裕)

「『中国では3分の1の価格だから3分の1でやってよ』とよく言われました。無理なんですよ、どう考えても」(智晴)

このままでは未来はない。そんなことを考えていた智晴は、2007年のある日、本屋で一冊の本と出会う。それはフランス製鋳物ホーロー鍋を使った料理本。「料理が劇的においしくなる」と書いてあった。

「鋳物の鍋ならうちでも作れる」と思った智晴は、早速その鍋を購入し、野菜スープを作ってみた。驚きのおいしさに、兄、邦裕の元へ走った。

「メーカーになると自分たちで市場を開拓できるし、値段も決められる。それなら1回やってみようか、と」(邦裕)



世界にないものを~汗と涙の「バーミキュラ」開発秘話

2007年、二人は試作を開始した。鋳物で鍋を作るのはお手のものだったが、ホーロー加工は初めてだった。ガラス成分の入った塗料を吹き付けて800度の窯で焼くと、表面に気泡ができてしまうのだ。

一緒にホーロー加工で試行錯誤した職人の小松忍は、「副社長なんか頭を抱えて座り込んで、『なんでだろう』と。ひどいときは、その日ホーローをかけたものが全滅したこともあります。ため息しか出てこない放心状態でした」と、振り返る。

吹き付けるガラス成分、さらには鍋本体の鋳物の成分を微妙に変えては焼き上げ、最適な成分比率を探し続けた。最初は3ヶ月もあればできると高を括っていたが、気がつけば1年が経過。二人はなんとかホーロー加工の技術にメドをつけた。

ただし、これではまだフランス製鋳物ホーロー鍋の類似品に過ぎない。次に智晴が目をつけたのが、密閉製が高く、無水調理のできるステンレス鍋。遠赤外線が出る鍋と、無水調理の出来る鍋。この二つを併せると、どこにも負けない鍋になる。

早速、鋳物ホーロー鍋に密閉性を持たせる加工に取り組んだが、今度は「ひずみ」の壁が立ちはだかった。

「いくら精密加工をしても、800度で焼いたときに、グニャッとひずむ。それで密閉性のないものになってしまう。炉を開けてみると全部不良品だったという夢で、毎朝、起きていました」(智晴)

そんな悪戦苦闘の真っ只中に起きたのがリーマンショックによる大不況。愛知ドビーの下請け仕事も激減。工場は週に3日しか稼働しないと言う事態に。こんな時も昔からいる職人は励ましてくれたが、開発は思うように進まない。失敗作はなんと1万個に及んだ。

それでも二人は諦めない。もう少し、もう少しと続けられた開発は結局3年に。そんなある日、一つだけ「これなら」という試作品ができた。智晴はその鍋で無水調理を試した。

作ったのはニンジンたっぷりのカレー。弱火で煮込むこと1時間。野菜からたっぷりスープが出ていた。そこにカレールーを混ぜた鋳物ホーロー鍋の無水カレーだ。

「社長の嫌いなニンジンを入れておいたのですが、そのニンジンを『おいしい』と探して食べていたんです。その姿を見て、これはいけると思った」(智晴)

苦労を共にした仲間にも食べてもらうと、驚きの反響が。崖っぷちでも折れなかった二人の心。長いトンネルを抜け、ついに魔法の鍋が産声をあげた。

町工場から世界に挑む~炊飯器で作るローストチキン

名古屋市のレストラン「ルコネッサンス」で、「ライスポット」を使った料理教室が開かれている。「下ごしらえだけ。あとはボタンを押すだけ。失敗しないです、絶対に」と言うのは講師の安形元晴さん。そして鍋に入れたのは大きな肉の塊だ。

実はライスポットには調理モードがあり、ご飯を炊くだけでなく、いろいろな料理が作れる。この日のメニューはローストビーフ。1度単位で保温設定できるので、低温調理も楽勝。仕上げに焼き目をつければ、プロ顔負けの出来栄えに。誰でもローストビーフが作れる。

この簡単調理器で愛知ドビーは世界進出も目論む。失敗なく料理ができる「ライスポット」は、アメリカ人にも受け入れられるはず。

「本気でアメリカ市場を取りにいきたい。勝機はあると思っています」(智晴)

既に現地へスタッフも派遣し、準備をしてきた。この日はサンフランシスコでモニター調査。よく料理をするアメリカ人を集め、実際に「ライスポット」を使ってもらい、反応を見る。

「炊飯機能と調理機能が付いていて、とても簡単ですよ」と説明するのはアメリカ事業開発責任者の林正明。これまで見たこともない調理家電に、みんな興味津々だ。

この日作るのは、アメリカでは家庭料理の定番、ローストチキン。まず「ライスポット」で30分じっくり火を通し、その後、鍋だけ外してオーブンへ。こうすれば、外側はこんがり、中はふっくら、ジューシーなローストチキンに仕上げることができる。

「ローストチキンはいつもササミがパサパサになってしまうんだけど、これは柔らかくジューシーです。こんなにおいしいのは初めてです」「鋳物ホーロー鍋は使い方が難しいけど、これはボタンで温度管理できるからとてもいいと思う。ニーズは必ずあるね」と、評判も上々だ。

まずは今年9月、ネット販売からスタート。愛知ドビーが世界へ羽ばたく。

~村上龍の編集後記~ 

多くの中小企業は後継者不在という危機に瀕している。「愛知ドビー」は兄弟が協力して後を継ぐという理想型で再建された。

だが、その道のりは、厳しい、ではなく、「ほぼ不可能に近い」だった。

異業種出身の二人はあきらめなかったのではない。あきらめることができなかったのだ。

バーミキュラは革命的な鋳物ホーロー鍋で、料理人が変わったのではないかと錯覚する。さらにレシピの種類が、鍋が持つ可能性にまだ追いついていない。

兄弟は社名を変えなかった。「愛知ドビー」創業以来の、技術力への誇りが刻まれている。

<出演者略歴>

土方邦裕(ひじかた・くにひろ)1974年、愛知県生まれ。1997年、豊田通商入社。2001年、愛知ドビー入社。

土方智晴(ひじかた・ともはる)1977年、愛知県生まれ。2003年、トヨタ自動車入社。2006年、愛知ドビー入社。