女王様のご生還 VOL.76 中村うさぎ

数年前、車椅子から杖で歩けるようになって半年後くらいに、ひとりで近所のマクドナルドまで行こうとしたら転んでしまい、左手の中指を突き指してしまった。

痛みも腫れも酷かったので、近くの外科病院に行って手当てを受けた。

医師は「骨には異常なし」として指に金属製の板を添えて包帯で巻いた。

指は少し曲がってしまったが、日常生活に特に支障はないので気にしなかった。



ところがここ2週間くらいで、その中指が直角に曲がったまま固まって動かなくなり、ひどい時には左手全体が突っ張るようになって、物を持ったりキーボードを叩いたりするのに大いに支障が出るようになった。

不思議である。

何年も経って、なんで今頃、急激に悪化したんだろうか?



突き指を治療した医師が何か見落としたのか、それとも例の神経の病気が再発して左手に影響を及ぼしてるのか、原因はわからない。

おそらく、かかりつけの大学病院の主治医にもわからないだろう。

私の身体に何が起きているのか、じつのところ、誰にもわかっていないのだ。



面白いのは、身体の左側ばかりに障害が発生することだ。

現在も私は足がしっかりしなくて杖歩行だが、左足の足首が上がらないので、歩行が安定しない。

で、このたびも、指を伸ばした状態では左の手首が反り返らなくなってしまった。

もしこの「身体の左側に障害が出る」ことに何か意味があるのだとしたら、数年前の突き指とは関係なく、これは私の神経の症状なのだろう。



歩けなくなった次は、手も使えなくなるのか。

こうやってキーボードを打つのもひどく時間がかかり、うまく打てないからミスタッチが多い。

そして、疲労度もハンパない。



足も萎え、手も萎え、と言うと、だるまを思い起こす。

ただし、私の場合は「左だけだるま」現象だ。

このまま進行すれば、いわゆる「半身不随」になるのかもしれない。



まぁ、半身不随の度合いにもよるが、左半身が使えなくなることへの恐怖はさほどない。

今でも充分に不自由なのだから、もう不自由な身体に慣れてしまった。

健常な者ほど、その健常さが失われることを恐れるのだ。

既に健常じゃない者は、ままならない己の身体を受け容れるしかない。

もしかしたら車椅子に逆戻りし、最終的には寝たきりになるのかもしれないが、それもやむなしといった心境である。

夫の手に負えなくなったら、施設にでも入ればいい。

もうね、そういう未来は予測できてるから大丈夫(笑)。



住んでるマンションの隣のタバコ屋さんに、年老いた猫がいる。

日がな一日、座布団の上で丸くなって寝ている。

「以前はこのテーブルの上にピョーンと飛び乗ってたんだけどね、もうジャンプしても届かなくなっちゃったのよ」と店の奥さんが言っていた。

犬猫は、自分の老いと衰えをどう感じているのだろうか?

喪われていく、という意識はあまりなくて、「あれ? 跳べなくなっちゃった。ま、いっか」みたいな気分なのだとしたら、幸せだなぁと羨ましい。

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