女王様のご生還 VOL.17 中村うさぎ

この話は先日ツイッターで少し呟いたので、フォロワーの人たちは同じ話を読むことになって「あー、またその話?」と思われるかもしれないため、先に謝っておきます。

すみません。



先日、両親が大阪から上京してきたのだが、母の認知症が予想以上に進行していて、少しばかりショックを受けてしまった。

彼女は、自分がどこにいるのかわからない。

東京に来ているのに大阪にいるとばかり思い込んでいて、タクシーに乗っていても不思議そうに窓の外を眺めては「ここはどこ? こんな道、初めて通るわ。いつもと違う道を走ってるの?」などとしきりに尋ね、どんなに「お母さん、ここは新宿だよ。あなたは今、東京に来てるのよ」と説明しても「どうしていつもと違う道を走ってるの? これから家に帰るんでしょ? これはいつも家に帰る道と違うわよ」と繰り返す。



そんな母を見ているうちに、自分がよく見る夢を思い出した。

方向音痴のせいなのかどうかわからないが、私は昔からしょっちゅう道に迷う夢を見る。

知っているはずの道を歩いていると、急にあたりが見知らぬ風景に変わり、目的地に辿り着けなくなるのだ。

途中で変なお寺の中をうろうろとさまよったり、長い長いトンネルをひたすら進む羽目になったかと思うとそこがお化け屋敷に変わったり、駅を見つけて電車に乗るとこれまたとんでもない場所に連れて行かれたり(一度なんか、電車を降りたらイタリアだったよ)、次から次に途方もない展開になって、まるで「不思議の国のアリス」になった気分だ。



そうか、母は今、「不思議の国のアリス」状態なんだな。

どこか知らない場所に迷い込んで、意味不明の出来事が次々に起こる。

なのにパニックにならないのは(時々なるけど)、夢の中でどんなに奇想天外な事態が勃発しても意外と平然と受け容れてしまう、あの奇妙な精神状態と同じなのだろう。

リアル世界で不可解な事が起きたら、まず「何故?」と考えてしまうのに、夢の中では「あれ? なんか変だけど、そういうもんかなぁ」みたいにするりと非論理的な展開を了解してしまう。

夢の中で脳がどういう働き方をしているのか知らないが、私が素人なりに思うのは、おそらく夢を見ている時には左脳より右脳の活動が優勢になっていて、論理性や合理性が吹っ飛んだイメージ先行のイリュージョン世界(すなわち「不思議の国」)が脳内に広がっているのではないか。



そう考えるならば、母もまた、今や半分夢の世界に生きている、ということになるのだろう。

父の話によると、母は時々、その場にいない人間を見るらしい。

それはとっくに亡くなった祖母だったり、東京にいるはずの私だったり、横浜に住んでいる叔母(←母の姉)だったりするようで、面白いことにいずれも自分の血縁ばかりだ。

で、「あら? 今そこにお母さんがいたけど、もう帰ったのかしら?」などと父に尋ね、父をぎょっとさせるのだという。

それもまた、夢の世界によく似てるなぁと思う。

ご存知のように、夢ではとうに死んだ人間が普通に現れて話をしたり、もう何年も会ってない親戚や知人が当たり前のように家にいたりするからだ。

しかも、それを不思議とも何とも思ってない自分がいる。

そして、さっきまでそこにいた人物が忽然と姿を消すことも多々あって、「あれ? どこ行ったんだろ」なんてボンヤリと首を傾げたりするのだ。

ああ、本当に、母は夢の世界にいるんだなぁ。

「夢の中へ、夢の中へ、行ってみたいと思いませんか」と歌ったのは井上陽水だが、彼にぜひ教えてあげたい、「ボケたら行けるよ、夢の中へ」と。



私ももしボケたら、亡くなった学生時代の友人や自殺した従妹と会えるのかな。

彼ら彼女らが普通に家の中にいて笑ってて、私も怖いとか不思議とか全然思わずに近づいて行って「ねぇ、どうしてたの?」なんて、いろいろと積もる話をしたりするんだろうか。

そんなことを想像すると、ボケるのも悪くないなと思ってしまう。

ボケを脳の劣化と捉えずに、夢の世界に行くことだと解釈すれば、いろんな不思議な事が起きたり会えないはずの人に会えたりして、ちょっと素敵じゃない?

もちろん悪夢だったら嫌だけど、母を見てると、恐怖や不安に苛まれてるわけでもなさそうだ。

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