女王様のご生還 VOL.38 中村うさぎ

前回の「ハリガネムシ」の続きである。



私たちが「私」だと思っている自分は、意識という水面に現れた氷山の一角に過ぎず、水面下には「見えざる無意識」の広大な闇が広がっている、と、私は解釈している。そこはまぁ、フロイトやユングが言っているとおりだと思う。

そして、例の「ハリガネムシ」……私の中にいて私の意思とは逆の方向に突き動かそうとする謎の生物は、この「無意識の私」だと感じるのである。

つまり、私が「私」だと感じていた私は、私の一角に過ぎない。私が私として一貫性を保つためには、矛盾する「私」や、整合性からこぼれ落ちた「私」を、無意識下に封印するしかない。そうでないと昨日の私と今日の私は別人になってしまうため、自分自身も困惑するし、周囲にとっても非常に都合の悪いことになる。

が、じつのところ、人間というのは多くの矛盾を抱えた生き物であり、昨日の私と今日の私が別人で当たり前なのかもしれないのだ。ただ、アイデンティティ(自己同一性)という言葉があるように、私たちは一貫性や整合性を保たないと自我が崩壊してしまう。よって、ジグソーパズルを完成させるように、いろんな形をした「私」のピースを組み合わせて全体像を構築していくわけだが、その作業の中で多くの「どこにも嵌まらないピース」が捨てられ、さらに「どのピースも嵌まらない空白」が生じてしまう。私たちはその「空白だらけの私」を埋めようとして「自分探し」などしてしまう一方で、多くの「どこにも嵌まらない変な形の私のピース(欠片)」を無意識下に捨てているわけである。



んで、この「無意識下に捨てられたピース」が、例の「ハリガネムシ」の正体だと私は考えているのであった。ハリガネムシは、私に捨てられた「私」なのだ。そのピースは私の中で寄り集まって形を成し、畸形嚢腫のような異形の「私」となって、私の内側から私を乗っ取ろうとする。私の買い物依存症は、まさにその「私vs私」の戦いだった。

私を狂わせ破滅に導こうとするのも私なら、それを必死で食い止めようとしていたのも私である。

心の底から本気で、破滅なんか絶対したくなかったよ。だって怖いじゃん。でも、破滅へと追い立てる衝動は、抗い難く本物だった。恋愛とかでもそうでしょう? 自分の理性を突き破って「別の自分」が現れる。この恋に走ったら自分が傷つくことも、悪くすれば破滅するかもしれないこともわかっているのに、どうしてもやめられない。むしろ、「破滅してしまえ」と囁く自分が確実に存在する。それは、「理性」という殻の中で整合性のある自分を作り上げてきた私たちが無意識の泥沼に捨ててきた、理性では統合できない「私」のピースなんですよ。私たちの中の「反理性」なんだ。



水面の「意識」の世界が「理性」や「合理性」や「整合性」に統治されているとしたら、水面下の「無意識」の世界は「反理性」であり「不条理」であり「矛盾」に満ちた混沌の世界だ。それは理性の神が「光あれ」と言う前の、「整合性」と「矛盾」が、「合理性」と「不条理」が、区別されずに何もかも入り混じってマグマのように沸騰しているカオスの闇だ。しかし、その闇がなければ、人間は「生き物」たり得ないのではないか。理性のみの存在なら、人間はコンピュータと一緒である。

生き物とはそもそも矛盾と不条理に満ちた混沌であり、決して整合性や合理性など保っていない。何故なら、この世界そのものが不条理な存在だからだ。多少の法則性や因果律はあるにしても、それは世界全体の氷山の一角に過ぎない。そこから生まれた私たち人間もまた、理性で統合できるのはほんの一部で、その大部分は混沌に属するのだ。

記事の新規購入は2023/03をもって終了しました