女王様のご生還 VOL.83 中村うさぎ

日曜日に開催したトークイベントで、教師が「正しさより優しさを」と黒板に書く映画のワンシーンが話題にのぼった。



人は他者に対する時、正しさより優しさを採るべきなのか。

だが、優しさは本当に人を救うのか。

優しくしてあげると際限なく要求してくる相手もいるではないか。

その場合、優しくすることが必ずしも相手のためになるとは言えないのではないか。



と、こういう問題提起をいただいたのだが、確かにそうである。

正しさは他罰に走りやすいので他者を救うとは思えないが、それなら優しさが他者を救うかといえば、これまた微妙だ。



しかし、帰宅してよくよく考えてみて、こう思った。

人を際限なく依存させる行為は、はたして「優しさ」なのだろうか?

それ、「甘やかし」じゃないのか?

でも、「優しさ」と「甘やかし」はどう違うのだ?



おそらく、「優しさ」には、ある種の「厳しさ」も必要なのだろう。

「優しさ」と「厳しさ」は対極のようだが、そうではない。

「厳しさ」を含まない「優しさ」こそが「甘やかし」となって、相手をスポイルするのだ。



この場合の「厳しさ」は、覚悟を要する。

相手に嫌われたり恨まれたりする覚悟だ。

この覚悟がなかなか容易ではない。

人に優しくする人というのは、基本的に人に嫌われたくない人だからだ。



我々は何故、人に嫌われることを恐れるのか。

嫌われたくないばかりに自分を押し殺したり、誰にでも迎合しているうちに自分を見失ったり、そのようなちっとも得にならないことをやってしまうのは、嫌われるよりもその方がマシだと判断しているからか。

でもさ、どんなに他人に優しくしても、嫌われることはあるよ?

「なんか偽善っぽいよね」なんて陰で言われてさ。

嫌われないまでも、すごく粗雑に扱われることもある。

誰にでも優しい人は、マウンティング型の人間に見くびられやすいのだ。

依存型の人間には付け込まれ、マウンティング型の人間には粗雑に扱われる。

これじゃ、いいとこなしである。

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