「ダメダメ社員が社長になるに至った道筋とは?」~現場で生まれたマネジメント格言集(3)~俣野成敏の『トップ1%の人だけが知っている「お金の真実」』実践編 Vol.115

こんばんは。俣野成敏(またのなるとし)です。

私は、新卒入社した会社で計19年間、サラリーマン生活を送りましたが、前半の9年間は、平社員として勤務していました。その後、会社が50年振りの赤字を出すに至り、公募されていた社内ベンチャー制度に応募。在庫処分店を社内起業します。お店をチェーン展開し、そこで10年のマネジメント経験を積んだ後に独立しました。

独立した当初、何名か前職の時の社員が私を慕って付いてきてくれました。しかし1名を除いたすべてが、その後、私の元を去りました(残った1人がこの度、社長に就任した間宮です)。なぜ、同じ人間がつくった会社で、働く人も同じだったのに、2度目は上手くいかなかったのでしょうか?主な理由は、“マネジメント手法の違い”からでした。

★俣野成敏の『トップ1%の人だけが知っている「お金の真実」』実践編

【Vol.115『マネジメント格言集(3)』目次】

〔1〕本文:「ダメダメ社員が年商5億円企業の社長になるに至った道筋とは?」〜現場で生まれたマネジメント格言集(3)〜

1、“管理職”という洗礼

 ◎初めてのマネジメントで、お店が立ち直った!

 ◎先輩店長の謎の失踪で、絶体絶命のピンチに

2、“目からウロコ”のマネジメント格言集3

 ◎稼いでいる人は、給料袋をたくさん持っている

 ◎ブラック企業と稼働率は、どう関係するの?

 ◎訓練次第で、相手の気持ちも分かるようになる

〔2〕次回予告(予定):「もっと投資を身近に感じてみよう!」〜投資の素朴な疑問に答えるQ&A集2〜

〔3〕編集後記:今年も「あの」季節がやってきました!

〔4〕今後の特集スケジュール:2018年12月〜2019年1月予定

◆〔1〕本文:

「ダメダメ社員が年商5億円企業の社長になるに至った道筋とは?」〜現場で生まれたマネジメント格言集(3)〜

私の最初の起業は、形式上、親会社が資金を提供し、私はサラリーマン経営者という体裁でした。それに対して、2度目の起業は自分で出資もしたビジネスオーナーという立場でした。サラリーマン経営者のトップマネジメントとは、「自らがマネジメントを行う」という意味では、自分もプレイヤーの1人です。しかし、ビジネスオーナーとしてのトップマネジメントとは、「経営も誰かに任せる」という点で、大きく違います。

もちろん、当時の私は経営者として未熟な部分もありましたが、この違いは実際にオーナーになってみて、初めて分かることです。これをお読みの読者の方には、「マネジメントにも種類があり、それぞれのノウハウには同じ部分と違う部分とがある」ということを、ぜひ知っておいていただきたいと思います。

さて。前置きが長くなりましたが、今回は「現場マネジメント格言集」の3回目をお送りします。前回Vol.111に引き続き、本文は弊社「株式会社つながり」の社長に就任しました間宮秀樹(まみやひでき)に語ってもらいます。それでは、“万年平社員男”だった間宮が社長に就任することになった道筋をたどってみることにしましょう。

■1、“管理職”という洗礼

読者の皆さま、こんにちは。株式会社つながりでこの度、社長に就任いたしました間宮秀樹です。まだまだ若輩者にて、分からないことばかりですが、せっかくですから以後、ここで私の社長奮闘記も公開していきたいと考えています。もし、応援していただけたら嬉しいです。

これまでお話した通り、かつての私は転職回数2桁に迫る、超ダメダメ社員でした。俣野がサラリーマン経営者をしている時にその下で働き始め、それがご縁で俣野が立ち上げた弱小ベンチャー企業に転職いたしました。前回は、俣野の元部下たちが、仲間割れの末に会社を去ってしまったところまでをお話しました。それまで私は別部門にいましたが、異動してDr.ストレッチ幡ヶ谷店の店長となり、初めて部下を持つこととなりました。

本特集では、世間に存在している企業がどのようにして不安定なベンチャー経営を抜け出して成長軌道に乗ったのか、その時にどのようなマネジメントが行われていたのか、その軌跡を見て取れるのではないかと思います。

【初めてのマネジメントで、お店が立ち直った!】

Dr.ストレッチとは日本初のストレッチ専門店で、プロのストレッチを一般の方が受けられるお店として、現在は日本全国に120店舗、海外ではシンガポール、上海、台湾などに10店舗を展開中です。弊社はそのフランチャイジー(加盟店)として、都内に4店舗を運営しています。

Dr.ストレッチ

Dr.ストレッチでは、アルバイト・社員に拘らず、本部での施術研修が必修となっています。私ももちろん研修を受け、晴れて店長となりました。とは言え、技術はやっと人並みで、部下に対して「俺の背中を見ろ」といった親方マネジメントはできません。ところがちょうど、前任者がボスマネジメントによる“恐怖政治”を敷いていたため、スタッフたちは私に“デキる店長”を求めてはきませんでした。彼らが求めていたのは、「楽しく働ける環境」でした。

私が幡ヶ谷店に配属された当時、お店には2人のエースがいました。エースとは、技術が突出しており、そのお店の稼ぎ頭ともいうべき人材のことです。ここではその2人をAさん・Bさんとしておきましょう。どちらも施術に関しては遜色ありませんでしたが、Aさんにはグチっぽいという癖があり、Bさんは幡ヶ谷店とお客さまが大好きだったものの、視野が狭いところがありました。

私は、「売上を上げるためには、この2人にストレスなく楽しく働いてもらうことだ」と直感しました。当時のお店の状況から、上手くいけばこの2人だけで売上目標を達成できる、と考えました。それまでは、ボスマネジメントで「施術が終わったら、必ず回数券を売る」などと決められており、その通りにしないと怒られました。それがスタッフたちを萎縮させていたため、私はそうしたルールを一切廃止し、本人たちのペースに任せました。

続いて、私は2人のエースのうち、常にAさんと組むようにして、Bさんとは極力、シフトを一緒にしないようにしました。Aさんのグチは長く、それがBさんの集中力を途切れさせる一因になっている、と思ったからです。私はAさんのグチを根気よく聞き、ついでに技術面での指導も仰ぎました。この作戦によって、Aさんは私にグチを聞いてもらえるし、技術の先生にもなれて大満足。Bさんも、これによってAさんのグチから解放されることとなりました。

こうした改革の効果は絶大でした。スタッフは伸び伸びと仕事ができるようになり、お店の売り上げも伸びていきました。私は異動後1年ほどで、幡ヶ谷店をほぼ問題ない状態にまで持っていくことができました。マネジメントと言うと、難しいように感じられるかもしれませんが、要は人の配置や組み合わせを考え、スタッフが自ら働きたくなるように環境を整えることが第一だと思います。

【先輩店長の謎の失踪で、絶体絶命のピンチに】

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