グレタさんに反発を感じたことから学ぶ反論の技術

地球温暖化への警鐘でノーベル平和賞候補とも呼ばれたスウェーデンのグレタさんですが、熾烈なスピーチが大注目を浴びるとともに、反発も呼びました。なぜグレタさんのスピーチに反感を持つ人がいるのか、「反論」「反対論」を述べる上での技術を考えるヒントとなります。

・怒りのスピーチの波

地球温暖化への警鐘を、怒りとしてスピーチしたスウェーデンのグレタさんは世界から注目を浴びました。温暖化対策に賛同する人たちからは絶賛され、ノーベル平和賞候補にも祭り上げられたほどです。

一方、そこまで温暖化には関心がなかったり、どちらかといえば保守的な人たちからは、その怒りの姿勢に対して反感や批判の声が上がりました。特にグレタさんが若い女性であることから「小娘」とか「子供」が勝手なことをいったという批判は目立ちました。

イタリアではグレタさん人形を脅迫のように吊るす事件が起きたり、政治家や著名人からの批判も少なくありませんでした。未来を真剣に憂う若者を一躍ノーベル賞候補に!という賛辞の反作用もあり、トランプ大統領やプーチン大統領までコメントするほどの巨大な波紋だったといえます。

・やってはいけない否定方法

会議やその他の場で反対意見を述べたり、自分の意見に反論されることは当然あります。そんな時に反論に対処することは重要なコミュニケーション技術です。

一部の反論にある差別的なものに代表される、主旨とは関係ない属性攻撃が一番ダメな反論です。反論として成立しないだけでなく、自らの意見をも貶めかねないできの悪いものです。会議でも本筋の反論ではなく「そんなことだから仕事ができないんだ」的な、議論と関係ない理由で人格否定をする人がいますが、正にこのタイプ。議論するインテリジェンスのない人というイメージしか持たれません。

参考とすべきはディベート技術です。感情的な反応を排して、論理的に矛盾を突くことこそ正しい反論であり、また自らの意見を通すには避けて通ることはできません。コワモテ派の人たちに多く見られた「女子供が」という反論にならない反論は、単なる差別にとどまらず、自らの知性をも疑わせることになりかねないでしょう。

・ドサ健の名言

阿佐田哲也氏の名作「麻雀放浪記」で、主人公・坊や哲がサイコロ博打の場で、いかさまサイコロを使うおりんの八百長をゆすります。しかしドサ健は坊や哲に「自分だけが気がついていて、他人が節穴なんて事は無い」と喝破します。おりんのサイコロのことなど、皆知っているのでした。(ちなみにおりんさんは男性です。84年の映画では内藤陳さんが「アタシを女だと思ってバカにしやがって」と名演されていました)

不自然なほど突然、周囲がチヤホヤする現象にいかがわしさを感じるのは自然かも知れません。しかしそれを性別や年齢、その他自分の意志ではどうにもならない属性への批判として口に出してしまうのは、やはり愚かだと思います。ドサ健は熱くなれば勝負は負けることを理解しているのでしょう。

ムカついた時、反論された時、自分が反論する時に、いかに冷静に客観的な論理矛盾を挙げることができるかこそ勝負です。グレタさん批判の中で、怒りのスピーチは計算だというものも見られましたが、そうだとすればそれに反射的に差別的言辞で批判することは、相手の手のひらで踊るようなもの。

相手が本気であれ演技であれ、自分の中にイラついた感情が生まれた時こそ意図して冷静さを意識しましょう。非論理的感情を排した、論理的な表現こそ最も有効な反論になります。