株価指数CFDへの挑戦~午堂登紀雄の「フリーキャピタリスト入門」

現代は孤独恐怖症、孤独拒否症に陥っている

現代社会は、人との絆やつながりこそ重要であり、「孤独は悪」という圧力をかけています。友達が少ない人や孤独な人は、人間として失格であるかのような価値観を押し付けます。

そのため多くの人は孤独を避けようとし、ひとりでいるところを見られまい、知られまいと振る舞います。

そうした風潮はSNSとの親和性が高く、たとえば仲間と一緒という姿を痛々しいほどアピールするなど、過剰な自己防衛行動となって現れます。

雑談をテーマにした本が流行ったり、間を持たせる会話術や、初対面での話題作りなどの講座や書籍が人気なのも、「コミュニケーションしなきゃいけない」と過剰に反応している人が多いということなのかもしれません。

もちろん対人関係能力は、仕事で成果を出すにはもちろん必要ですし、人生を楽しく快適に過ごすためにも重要なスキルではあるでしょう。

しかし一方で、そうした社会の圧力が、孤独力の低い人を追い詰める要因のひとつにもなっています。

「友達がいない自分は寂しい人間なんだ」「孤独な自分は人間としてどこかおかしいんだ」などと自分を責めます。

・孤独を恐れる人は集団で騒ぎたがる

たとえばサッカーの試合のパブリックビューイングでは、大勢のファンが集まって楽しそうに応援しています。ハロウィンや年末年始の渋谷では、これまた大勢の若者が集まって深夜まで騒いでいる様子がニュースで放映されます。

それを見て思うのは、人が集まって周囲と一緒に騒ぐことで、連帯感の中で自分が生きているという実感を味わいたいという、孤独感を癒そうとする若者の心理があるようにも感じます。

もちろん、若い人はまだ自分の精神世界が狭く、自分の居場所を自分で作る能力も低いため、集団に所属することを求める傾向が強いものです。しかし大人になっても集団行動を求める人も少なくありません。

私の周りでも、頻繁にイベントやパーティーを開催するような人がいますが、実は夫婦の関係が冷めているとか、幼少期に親からの十分な愛情を受けて育っていないなど、愛情飢餓感の強い寂しい人によく見られます。

孤独を埋めるために人の輪を求める。赤の他人であっても連帯感、一体感を感じたい。

しかし孤独を避けたいと思う感情は、みなと同じでありたいという欲求でもあります。

先ほどのパブリックビューイングなども、周囲と同じように盛り上がることで一体感を得ようとする。

そういう人は、違う人間はハブられるという恐怖感がある。しかし周りとは違う自分も感じている。それが不安で、無理して周囲と同じであろうと振る舞う。

しかしその行為は、自分の個性や本音を抑えることにつながります。しかし個性のない人間は、透明であり風見鶏でもあり、誰からも魅力的には映らないのです。

・孤独を恐れる人は、自分と他人の違いを認めない

そもそも人と違うからといって、相手が悪いわけではなく、自分が悪いわけでもありません。ただ価値観が違う、生き方が違うということ。それはつまり、住む世界が違うということです。

だから本来は別々の世界で生きればいい。違いがあったとしても、それはお互いに礼儀正しく認めて、ぶつからないようすれ違えばいいだけなのです。

たとえば「自分にはムリ」という人と、「やればできる」という人とでは、根本的に生きている世界が違います。思考構造が違うため、使っている言語体系も異なるわけで、周囲にはその人が何を話しているか理解できないからです。

たとえば上司や会社の愚痴を言う人は、やはり同じような人が集まる傾向があります。そんな場面で、他人の悪口を言う発想がない人は、たとえば「だけどあの人もいいところあるよ」といった言葉を発することになるでしょう。

しかしそんな発言をしようものなら、「あんた何言ってんの?」と白い目で見られ、空気読めないヤツのレッテルを貼られてしまう。

だから、自分が職場やグループ内で浮いてしまうとしても、それは仕方がないことです。住んでいる世界が違うのだと割り切り、そのグループとは距離を置くことです。それは無視するのでもなく避けるのでもなく、自分からは近づかないようにするということです。

水と油は交わることはありませんが、乳化剤という化学添加物を使えば強引に混ぜることができます。しかしコーヒーフレッシュに代表される乳化剤は健康に良くないと言われるように、強引に交わろうとすることは、心の健康にも良くないのです。

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