女王様のご生還 VOL.172 中村うさぎ

以前から何度も言っているように、我々の脳はじつに都合よく記憶を書き換える。

私がこの事実を痛感したのは美容整形をした時だ。



美容整形の結果に満足して理想に近い顔を手に入れた場合、私は速やかに以前の顔を忘れる。

手術後はしばらく「新しい顔」にうっとりしているのだが、その顔に慣れ親しんでいくと手術をしたという事実は忘れないものの、術前の顔がどんなだったかという記憶が曖昧になっていくのだ。

したがって数年前に撮った術前の自分の写真が机の引き出しなどからひょっこり出て来た際、一瞬、「え、これ誰?」などと思ってしまう。

いや、もちろんそれが自分だってことはわかるんだよ?

着ている服やシチュエーションを見れば、そんなもの一目瞭然だ。

だから赤の他人だとまでは思わないものの、その顔をまじまじと眺めつつ「私ってこんな顔だったのかなぁ?」なーんて他人事みたいに感心してしまうのだ。



ならば、私は自分の顔に何か変化が起こった場合、それが長期化すれば変化前の顔を忘れてしまうのか?

答は「否」である。

たとえばステロイドの副作用で顔がパンパンにむくんでしまった時期がある。

それはかなり長い期間だった。

鏡を見るたびにおたふく風邪に罹ったような自分の顔と対面することになる。

だが、私は全然、その顔に慣れなかった。

その場合、ステロイド以前のすっきりした輪郭の自分の写真を見ても「え、誰これ!?」なんてことは全然思わない。

むしろ、それが自分の「本来の顔」であり、今のおたふく顔は「私の顔じゃない」と感じてしまうのである。



つまり、「私が望む方向への変化」はすんなりとアイデンティティに馴染み、「望んでない方向への変化(老化もそのひとつだ)」はいつまでたっても違和感が消えない。

これは、我々の脳が「望むことしか受け入れない」からであろう。

アイデンティティの重要な基盤となるはずの「顔」ですら、このように簡単に書き換えられてしまうのだ。

人生における様々な出来事が、我々の記憶の中で、あるものは異様に美化され、あるものは必要以上に悪質に歪曲して書き換えられるのは当然であろう。

だが、我々はそれが書き換えられたことにも気づかず、「これこそが真実」と信じて生きている。



私がホストに騙された話を聞いて「なんでそんな見え透いた嘘を信じちゃったの?」と尋ねる人が少なからずいる。

その問いに対して私は「信じたかったからじゃない?」としか答えられない。

私だってホストに対する恋愛熱が冷めて以降は、「なんで私、あんなアホな男の言いなりだったんだろう?」と不思議でたまらなかった。

「恋は盲目とはこのことだねぇ」などと他人事のように感心したりもした。

あの頃の私が今の自分と同じ人間だとは思いたくないが、紛れもなくあれは私だったのだから、しぶしぶ承服するしかない。

だからその事実を否定する気はないが、「何故信じたのか」という謎を解こうとして思いつくのは「私はただただ信じたかったのだ。恋愛ホルモン漬けになってたあの頃の私の脳は信じたいものしか信じず、見たいものしか見なかったのだ」という仮説だけだ。



美容整形後の私が「嫌いだった自分の顔」を忘れて「理想に近い自分の顔」を記憶に上書きしたように、恋愛中の私の脳は「自分を傷つける現実」から徹底的に目を背け「自分に都合のいい理想の脳内現実」を「私の現実」にしようと努力していたのである。

子育ての経験はないが、これは「親バカ」と呼ばれる現象とまったく同じであろう。

「整形バカ」も「恋愛バカ」も「親バカ」も、元はといえば「ナルシシズム」の働きだ。

自分を守りたいから、自分を愛したいから、自分を肯定したいから、我々は記憶や現実を歪めてまで「幸福」に辿り着こうとするのだ。

そういう意味では、我々は無自覚な虚言者である。

我々の脳がそもそも生来の嘘つきなのだから、それはもう仕方ないのだ。

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