連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」 肖像写真集を読む/ナダールとザンダーを中心に

「なぜ人は人を撮り、写真に残そうとするのか」

4月16日に開かれた、月に1度の連続講座「飯沢耕太郎と写真集を読む」は、そんな問いを出発点に“肖像写真”について見ていきました。

(これまでの講座の様子はこちら

写真集食堂めぐたまにずらりと並ぶ5000冊以上の写真集から、本の持ち主、飯沢さんが選んだのは19世紀にポートレート様式を確立したナダールと、20世紀にその時代に生きる人々の姿を残そうとしたアウグスト・ザンダーの2人の写真集です。

写真が発明される以前は画家に自分の肖像画を描いてもらうことだけが、自分の姿を残す手段でした。お金も時間もかかる肖像画を描かせることができたのは王族や貴族など特権階級の人々に限られ、肖像画は権威の象徴であったと言えます。

19世紀になり、写真の登場によって新しい肖像画のスタイルが確立します。

飯沢さんはこの新しいスタイルを「牛丼」に例え、写真は肖像画に比べて「安い・早い・うまい(正確な描写)」と説明します。19世紀の産業革命とともに、写真館が次々と登場し、肖像写真は瞬く間に中流階級の人々の間で広まっていきました。

安価で手軽な肖像写真が普及すると、人々は写真に写る自分の姿に個性を求めるようになります。19世紀、古典的な肖像写真の様式を確立したのがフランスの写真家ナダールです。元々、風刺画家だったナダールは写真の時代を感じ、1854年にスタジオを開設。顔に表れる内面性やその人のもつ雰囲気をライティングやポーズによって引き出し、演出する方法を模索しました。

ナダールの確立した様式は、肖像画のスタイルを踏襲するものであり、20世紀になると肖像写真に限らず、絵画的な写真を否定する動きが見られるようになります。

そのきっかけとなったのが第一次世界大戦であり、写真はありのままの現実を写すべきではないのかという問いが肖像写真にも向けられるようになりました。

その問いを問い続け、「20世紀の人間たち」を余すところなく写真に残そうとしたのがドイツの写真家、アウグスト・ザンダーです。

彼は20世紀に生きる人々を職業や社会的な立場によって分類し、あらゆる立場の人々を対等に写真に収めようとします。ザンダーの写真はその人の身なりやその人のいる場所、表情、しぐさを捉え、1人の人生が1枚の写真によって語られています。

そしてその写真は職業や社会的な立場で分類されることによって、固有の物語ではなくなり、人間の有り様として私たちに「人間とは何か?」と語りかけてきます。

ナダールとザンダー、19世紀と20世紀を代表する2人の写真家の肖像写真から、自分の姿を残したいという人々の変わらない欲求と、時代によって変化し広がっていく肖像写真の可能性を見ていきました。

次回のテーマは「ヌード写真」です。こちらも写真を通して人間の姿や欲求、なぜ写真を撮るのかを一緒に考えていく時間になりそうです。

(2016年4月16日開催・写真/文 館野 帆乃花)



「飯沢耕太郎と写真集を読む」はほぼ毎月、写真集食堂めぐたまで開催されています。

2017年1月開催分からは解説のたっぷり入ったロングバージョンをお届けします。

次回開催予定の講座:飯沢耕太郎と写真集を読む Vol.28 「ラテンアメリカ写真を語りて、世界を震撼せしめよ!」(2017年1月29日)

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