1店舗で年間3億8000万円~日本一お菓子を売る店の秘密
食い倒れの街、大阪は道頓堀の心斎橋筋商店街。300を超える店が軒を連ねる日本最大級の商店街だ。
活気あふれるアーケードに、ひときわ客を吸い寄せている人気店がある。お客のお目当てはお菓子。こぞって大量買いする店の名前は「お菓子のデパート よしや」。
おなじみのお菓子が並ぶが、驚きはその安さ。品揃えも目を見張る。売られているお菓子は全部で1400種類。まさにお菓子のデパートだ。
スーパーやコンビニには置いていない、珍しいお菓子もある。「生姜つまみ」(193円)はショウガ味の甘いおせんべい。「金の飴」(183円)は、種を取り除いた干し梅をベッコウ飴で包んだ優しい味がする逸品だ。
実はこの店、菓子専門店としては売り上げ日本一。年間3億8000万円をたたき出す。吉寿屋は創業から50年以上赤字なし。今や101店舗の一大お菓子チェーンなのだ。
大阪府摂津市にある吉寿屋の本社。1階は配送センターになっており、各店舗に配られるお菓子が山積みになっている。実は吉寿屋は他のスーパーやドラッグストアなどに卸す菓子問屋でもある。小売りと卸しの総売上は121億円。
お菓子の王国を一代で築いた創業者の神吉武司は、絵に描いたような叩き上げだ。中学を卒業すると、1956年、15歳で粟おこしのメーカーに就職。23歳の時に取引先の菓子問屋から店を継いでくれないかと頼まれ、引き受けた。これが吉寿屋の創業。社員、わずか5人の船出だった。
資金も経験もなかった神吉が決めたのは誰よりも働くこと。「ひと様より早く店を開ける。年中無休にする。めちゃくちゃ売れましたね」と、神吉は当時を振り返る。
創業から22年目には「お菓子のデパート よしや」を開店、満を持して小売りに参入する。これが大成功、連日お客が詰めかけた。
その1号店が天満店。店内には、開店まで2年間研究した工夫が詰まっていると言う。
お菓子の顔が全部見えるように平台に並べて販売。スーパーのように棚に入れると見えにくくなってしまう。「表面が見えるとおいしそうに見えるから」(神吉)だ。その台も、小さな子どもでも取りやすいように低くした。すると、「アイテム数は少し少なくなりましたが、売上は3割以上、上がりました」(同)。
さらに、商品一つ一つに値札を貼ることを止め、いろいろな種類のお菓子を同じ値段で売るコーナーを作った。
「値札を貼らなければコスト削減になる。それだけ安く売れます。後発参入だから、新しいことをしないと」(同)
もうひとりの立役者「目利きの秀次」と商売繁盛の秘訣
そんな吉寿屋の成功には、もう一人の立役者がいる。
本社に集まっていたのは全国の菓子メーカーの営業マン。製品を吉寿屋に置いてもらおうと商談会にやって来たのだ。
そこで待っていたのは、神吉の弟で会長の秀次。創業時から仕入れは秀次の役割。52年の経験を積み今や売れるかどうかを正確に見極めるお菓子の目利きとなった。
他で売れているかどうかは関係なし。信じるは自分の舌のみ。あるメーカーの営業マンが持ってきたお煎餅を試食すると、醤油が辛過ぎて連食性に欠ける。これは要らないわ」と一蹴した。次の営業マンが持って来たのは金平糖。ちょっと地味な感じもするが、秀次は「あ、金平糖がうまくなっている。高くても、デザインもいいし味もいい。これはやる」と、ゴーサインを出した。
神吉兄弟には、創業以来実践し続けている商売繁盛の秘訣がある。
弟の秀次が本社に現れたのはまだ朝の3時すぎ。この時間に秀次は毎日、一番乗りでやってくる。そして倉庫のお菓子の前に立つと、「お菓子の皆さま、おはようございます。今日も一日、よろしくお願いします。ありがとうございます」と、深く頭を下げた。
一日はお菓子への感謝から始まる。「みんなの潤いはお菓子のおかげ。神様ですから」と笑う。その後は、メーカーから届いた段ボール箱を運び、中身を所定の位置に並べていく。
それから2時間後の午前5時、今度は創業者の神吉が現れた。誰よりも朝早く来るのが商売繁盛の秘訣。二人で500個の段ボールを開けている。「朝早い会社ほど業績がいいような気がします」と武司。この二人、会社の業績が悪くなった時はさらに30分、出勤時間を早くすると言う。
朝の8時半。ここでようやくパートさんが出勤。神吉兄弟が並べておいたお菓子を、ピックアップしていく。確かにいちいち段ボールから出すより効率がいい。実際パートの作業時間は半分で済む。
働く人を幸せに~年間7000万円を従業員に還元
早起きが繁盛の秘訣なら、経営者として守り続けてきた信条もある。それは役員みんなで唱和する「願う、従業者の幸福」という言葉に込められている。
働く人を幸せに。神吉兄弟は、この信条を現実の物にするためいろいろな制度を作ってきた。
心斎橋店の山本浩之店長は、9時だった開店時間を7時に早め、出勤前のサラリーマンの取り込みに成功。売り上げを3割も伸ばした。すると報奨金が500万円。山本店長はそのお金で高級車を買った。「結果を出せば報われる会社。それがみんなのやりがいにつながっている」と、山本は言う。
一方、特別な成績を出していなくてもいい物がもらえることも。淡路店の小河純一郎店長は、最強の運の持ち主を決めるアミダクジの景品として、とんでもない物をもらったと言う。時価500万円相当の金の延べ棒1キロ。これが毎年、アミダクジで当たるのだ。
こんな恩恵を受けるのは社員だけではない。パートも集まる月に一度の全体朝礼で始まったのはジャンケン大会。景品は炊飯器に32型のテレビ……こんなジャンケン大会が毎月行われているという。
さらに学費のかかる子供を持つ親のために、教育補助金制度として、子供一人に社員は月1万円、パートにも月5000円を出している。
その他にも、年間優秀社員に年俸3000万円、年間優秀パートに1000万円、持ち家購入祝い金100万円、ジャンケン大会で世界一周旅行、社員旅行で香港ディズニーランド……と、従業員に大盤振る舞いする武司。その総額は、年間で7000万円にもなる。
武司は説明する。利益の半分は税金。残りを3等分し、その一つ、利益全体からみれば6分の1をボーナスとは別に社員に還元する。これがおよそ7000万円というわけだ。
「ほとんど社員が儲けたお金です。利益を会社のお金と思うか、社員のお金と思うかの違いだけです」(武司)
創業から52年間、リストラも給与の削減もなし。こんな会社は滅多にない。
利益率は業界平均の5倍~幸せを産む「1円大作戦」
菓子メーカーとの商談会。「目利きの秀次」は、実はもう一つの顔を見せる。「値切りの秀次」だ。だが値切った金額は1円単位。それが大きいのだという。菓子問屋は薄利多売の商売。菓子・パン類卸売業の経常利益率は0.66%(帝国データバンク)。100円の菓子を一つ卸しても利益は1円に満たない。
「1円でも安く仕入れる。1円でも適正マージンをもらう。その1円をどうやって獲得するか。みんなで必死になって1円のことを考える。1円大作戦です」(秀次)
吉寿屋の中で日々展開されている1円大作戦。早速、倉庫の中では作戦の一つが始まっていた。
パートさんが持って来たのは、朝、神吉兄弟が中身を出した、空の段ボール箱。500個開けたものを棄てずにとってある。これにお菓子を詰めて、店舗の配送用に使う。直営店だけでなく、スーパーなどへもこれで卸す。
店舗と配送センターを何度も往復してくたびれた段ボール。これはさすがに棄てるしかないと思いきや、リサイクル業者に売ると年間200万円に化けると言う。
デスクワークでも1円大作戦が。ボールペンをインクがなくなるまで使ったら、替え芯を使うのは当然のこと。この際、チェックシートにも書き込み、他の社員のサインも必要だ。
極めつけは、吉寿屋ではある時間になるとみんなが走り始める。1日4回、休憩前は、走って移動する決まりなのだ。これは時間の節約。移動の1秒を無駄にしない。そこで生まれる利益が自分にも戻ってくるから頑張れる。
こうした節約や効率アップの新しい作戦は今も増え続けている。武司が見せてくれたのは、社員が出したコスト削減の提案書の束。実はどんなものでも提出すれば200円、採用されれば2万円から最高20万円の賞金が出るのだ。
例えば倉庫におく荷物をスムーズに運ぶための積み方の提案。実際に採用された現場を見てみると、段ボールが壁から5センチ離れた場所に積まれている。手を入れる隙間があると、重たいものを持つときに楽なのだと言う。小さなことだが、この置き方で作業はスムーズになる。
一方、大きな節約を生んだ提案が、配送先に渡す伝票の改革。以前は業者から複写式の伝票を1枚4円で買っていた。これをやめ、一回り大きいオリジナル伝票を制作。これなら1枚56銭、年間2000万円のコスト削減につながった。
1円大作戦で吉寿屋の利益率は3.5%までアップ。これは業界平均の5倍にあたる。
お菓子が死んでしまうから~業界の常識を破って返品を廃止した理由
1400種類ものお菓子を売る吉寿屋。その中には、秀次の目利きを活かして発掘した中小メーカーの見慣れない物もある。
「私が食べておいしいと思うものは、根気よく売ると売れるんです」(秀次)
「レーズン&かりんとう」(183円)も秀次が絶賛するヒット商品。あまり見かけないが、山脇製菓という菓子メーカーが作った。
滋賀県東近江市。ここに「かりんとう一筋59年」の山脇製菓がある。素材にこだわり、昔ながらの味を守る年商14億円の中小メーカーだ。
あのレーズンかりんとうは年間200万袋を売り上げ、看板商品となった。
しかし、統括営業本部長の山脇鉄也さんは、手放しでは喜べないという。その悩みの種が返品の山。賞味期限がまだ来ていなくても、例えば賞味期限が4ヶ月の場合、製造から40日で返品の対象になってしまうと言う。返品された商品は棄てるしかない。その額は多い時で年間700万円。
「メーカーが全部負担することになっている。残念な気持ちになりますね」(山脇さん)
この習慣に待ったをかけたのが吉寿屋だ。業界の常識を破って、お菓子の廃棄を減らすため、全量買い取りに舵を切ったのだ。
「八百屋さんでも果物屋さんでも魚屋さんでも返品はありません。商習慣が悪すぎるんです」と言う秀次。これでメーカーの負担も減る。吉寿屋はメーカーとの共存共栄を目指しているのだ。
スタジオで村上龍に返品をやめた理由をあらためて問われた武司は、次のように答えている。
「お菓子として生まれてきた以上、お菓子として最後まで生かしてあげるというのが一番の狙いです、返品したら、お菓子としてはその場で死んでしまう。必ず廃棄されますから。だから古くなったものは半額にして売るんです」
~村上龍の編集後記~
「人よりも多く働く」。吉寿屋の戦略は拍子抜けするほどシンプルだ。他店よりも早く開店し、創業からしばらくは休日を返上した。
「自分がいい思いをするより周りの人が喜ぶのを見たい」という武司氏の価値観は、自然に従業員への手厚い報奨に結びつき、結果的に大きな動機付けとなっている。
武司氏は、毎日早朝にまず倉庫に行き、「お菓子のみなさん、お早うございます」と挨拶する。武司氏にとって、お菓子は、単なる商品ではなく、「愛すべき生きもの」なのだ。
商品と従業員に対し無私の愛情と感謝を抱き、誰よりも多く働く、そういう人に、ビジネスの神様は必ず微笑む。
<出演者略歴>
神吉武司(かみよし・たけし)1941年徳島県生まれ、秀次(ひでじ)1946年生まれ。1956年、武司が大阪の粟おこしメーカーに就職。1964年、兄弟で吉寿屋を創業。1986年、「お菓子のデパート よしや」オープン。