むははは物語VOL.1 「これだ!」のラーメンはこれですか? 椎名誠

ハマナスの赤い実

探訪、訪問記というのをよくやっている。日本をなぞるように海べりをぐるっと回る、なんていうのは4年間かかった。 週刊誌の「海を見にいく」という連載だったので海ぞいを行く。ひとつの県単位を3~4日かけて取材することになる。そして4年で日本をだいたいひとまわり。

取材対象のヒトの話を聞き、写真も撮り、そのレポートを書く、という忙しいコトになっていたが、出版社のほうからチーム全体の進行係(飛行機、列車のチケットをとるとか宿を予約するとか)がきて、さらに周辺取材をする記者、カメラのアシスタント、といろいろ役割の異なるスタッフが集まってだいたい4人の編成になっていた。

長い間にはほかのいろんな雑誌でもそういう取材旅をした。テーマによっていくらかやりかたがちがってくるが、この4人編成というのはなかなか具合がよかった。

今やっている「北への旅」という探訪、訪問記は5人態勢と大がかりだ。連載タイトルのとおり東北6県と北海道をまわる。

この夏のおわり、北海道新幹線で函館に行った。せんだっての台風9号が襲った頃だった。東京から4時間と少し。今回がその雑誌の最後の取材旅だった。

着いた時間が昼すぎなので、じゃあ昼めしを食ってから元気をつけていきましょうか。ということになった。まあこの展開はいつものコトなんだけれど。

ところが北海道新幹線の終点、函館北斗駅のあたりはそれまでいちめんのトウモロコシ畑だったそうで、商店とか食堂というのがまるでない。レンタカーを借りていたので少しでも賑やかなところへ、と夜店のあかりをさがして飛び回る蛾のように(昼間ながら)あちこち焦って走り回った。

で、やっとみつけた中華料理店(ラーメン屋とよぶほど軽くなかった)は野中の一軒家だった。背後を木立に囲まれている。冬の風雪よけだろうか。

数カ月ぶんぐらいたまった枯れ葉が店の周囲に散らばっていて、夜になるとエゾリスがやってきてしっぽでそれを掃いているような感じだ。

俗世間から逸脱したような、しんとしたたたずまい。昼そのものなのに先客が1人もいない、というのも白日夢を見るようだった。みんななんとなく背中を丸めてゾロゾロ入っていった。

いくらか腰のまがった上品なおばあさんが「こんな田舎の中華そば屋にすいませんねえ」と言っ て我々を掘炬燵式の席に案内した。

「あのおばあさん。いま中華そばと言ったぞ。いまどきいいねえ」

チームの1人が言う。

そのとき古い柱時計がボーンボーンと鳴った。時計そのものはどこにあるのかわからない。店の奥につながる母屋のようだ。

12時45分だ。

1人が腕時計を見ながら言った。

「きっとこの店のお昼時間なんだな」

誰かが言った。

「こういう時空間を越えたような森の中の店にほんたうの中華料理店があるのです」

1人が宮澤賢治の童話に出てくるような表現である旧かなづかい「ほんたう」を使ってうっとりしている。

やがてお店のおばあさんがメニューを持ってきた。30年ぐらい使っているようなやつだった。

「老舗なんだ!」

「ぼく、長いことこういう店をさがしていたんです」

誰かが喜びに満ちた声でそう言った。このふたりはよほど琴線にふれたのか感激ばかりしている。

「こういう人知れずの店がうまいんですよ。ただの風聞に踊らされて行列のできる店なんて間違っている、とぼくはかねがね疑問に思っていたんです」

「こういうのがほんたうの店だ」

さっきのやつがさらにうっとりした顔で同じことを言う。

しかし、さすがに高年齢だからだろう。注文のものはなかなか出てこない。

「注文の多い料理店、という賢治の童話があるけれど、おれたちいっぺんにいろいろ種類の違うのを注文したのが間違いだったかもしれないなあ」。

「注文の多い客」

 1人はラーメンセット(チャーハン付き)。1人は5目焼きそば、1人は道産子セット(イクラ丼におかずと味噌汁つき)1人は塩ラーメン、1人は味噌ラーメン。これを注文したのはぼくである。北海道だったら味噌ラーメン、という刷り込みのようなものがぼくにはある。

 あいかわらずあらたな客は誰もこない。

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