【期間限定無料公開中】第17号 ソニー役員OBたちの嘆きと回想(2)

第17号 2016/06/09

     ノンフィクション作家・立石泰則の「企業は人なり」

目次

1.はじめに

2.コラム「深眼」   暴走する「反差別」

3.企業探訪      ソニー 役員OBの回想(2)

4.ルポ「現代の風景」 休載



1.はじめに

気がつけば、すでに6月中旬に差し迫ろうとしています。ルポ「現代の風景」を執筆しています立石輝です。

新しい生活に入った新入生や新社会人たちもそろそろ「五月病」から抜けだし、いつもの自分を取り戻し始めている頃ではないでしょうか。6月といえば、どうしても梅雨入りで「湿気と雨」というネガティブなイメージを私たちは持ちがちです。しかし、「雨の音」は余計な雑音を消してくれるし、真夜中には「雨の音」を聞きながら、ボーッとできる。6月は、そういう季節だと私は思います。

1年のちょうど折り返しを迎え、一息入れるには、良いタイミングなのかなと。そういう意味では、6月は自分の「身辺整理」ができる季節だと思います。たまたまですが、ちょうど自分の荷物を整理する機会がありました。荷物を片付けていると、幼少期に集めていた食玩やカードゲーム、漫画本が出てきました。片付けをしていると、ついついそれを手にとってしまいがちになります。

ホコリをかぶった思い出のひとつとして松本零士のコミック『銀河鉄道999』が出てきました。『銀河鉄道999』は、主人公の星野鉄郎少年が謎の美女メーテルと一緒に、機械の体をタダで手に入れるための旅行記です。そのとき、銀河を股にかける列車が「銀河鉄道999」なのです。

旅の道すがら、鉄郎はさまざまな星で数々の出会いを経験しているうちに逞しく成長をしていくというわけです。夢中になって読んでいた当時は、鉄郎の活躍そのものに一喜一憂したものです。いわゆる「冒険活劇」として楽しんだのですが、今回改めて読み返してみると、また違った面白味を発見しました。鉄郎は、非常に好奇心旺盛な少年です。

「好奇心は人を殺す」と聞いたことがありますが、人間は好奇心を持たなければ、進歩もないと思います。後悔するくらいなら、鉄郎のように失敗を恐れず渦中へ飛び込む。そんな勇気があれば、何でも出来そうな気がします。私自身、鉄郎のそんな勇気と好奇心も少し分けてもらって、今年の残り半分も乗り越えていければ、いいなと思っています。

私は「メルマガ 企業人なり」の創刊号以来、ルポ「現代の風景」を拙いながらも、一生懸命書いてきました。書き終えたあと、毎号、自分の力不足を思い知るばかりです。執筆当初は、とにかく自分で見て感じ、思ったことを書くので精一杯でした。

そんな自分でしたが、いろんな人のサポートを得て、ここまで何とかルポを続けてこられたというのが実情です。文章を書いていて思ったのは、自分がインプットしている情報よりも、圧倒的にアウトプットするほうが多いということです。どんどん自分の貯金がなくなり、最後は空っぽになってしまうのではないかと何度も心配になったほどです。

昔読んだ小説の「あとがき」に、「1本の小説を書くためには100冊本を読まなければいけない」と書かれていました。執筆する立場になって、その著者が言っていた意味がようやく分かった気がします。まあ、実際に100読めという話ではなく、執筆には小説100冊分に相当する情報・経験を前もって持っていなければいけないということなのだと。

ルポ「現代の風景」では、ラビ東京から始まって蔦屋家電二子玉川店、ららぽーと富士見、クレアモール、そしていまソニーストア福岡天神と続いています。どの店舗も自分の目で見て確かめたうえで、書きました。

次号から新たな挑戦をするつもりです。それは、さらにもう一歩、テーマに踏み込むことです。視点、書き方などすべてを含んだうえで、新しい切り口で挑戦したいと考えています。

その準備のために、いまインプットを続けている最中です。私もまた、主人公の鉄郎のように勇気と好奇心を持って、様々な経験をしながら少しずつ前へ進んでいきたいと思います。

                    (ルポライター 立石 輝)

2.コラム「深眼」 暴走する「反差別」

6月3日の「ヘイトスピーチ規制法」施行後、最初の週末にあたる5日、川崎市中原区で「嫌韓デモ」が計画されていた。そのデモは、前号でお伝えした川崎市が主催者を「ヘイト団体」と認定し、公園使用を認めなかったものである。

やむなく主催者は、神奈川県警から中原区での道路使用許可を得たうえで改めて「嫌韓デモ」の計画を立て直した。しかし当日の出発時刻の午前11時になっても、彼らはスタートできなかった。というのも、6月7日付の「東京新聞」によれば、約20名のデモ参加者に対し、路上で直接抗議する「カウンター」と呼ばれる数百名に取り囲まれ、身動き出来なくなってしまっていたからである。

また、参議院議員の有田芳生氏らがデモ隊の進む道に座り込み(「シットイン」)、実力で阻止する行動に出た事も大きかったと思われる。このままでは、デモ隊とカウンター側の激しい衝突は避けられない。そこで警察側が主催者側に「安全上の観点から」デモの中止を説得し、それを主催者側が受け入れる形でデモが中止されることになった、という。

しかし不思議な話である。道路に座り込んでいるのなら、道路交通法違反で「ごぼう抜き」にすれば、いいだけである。これまでも警察は、違法なデモや集会では容赦なく排除してきていた。なぜ、今回だけは排除せずに、逆に主催者側にデモの中止を説得したのであろうか。いくらヘイトスピーチ規制法が施行された直後とはいえ、日本は法治国家である。法を犯している方を取り締まるべきであって、適法と判断され道路の使用を認められた主催者がデモを中止しなければならない理由は見当たらない。

いくら社会の雰囲気を考慮した結果とはいえ、あきらかに「表現の自由」に反する警察側の判断である。もちろん、デモの途中でヘイトスピーチを吐けば、その場で注意ないし逮捕するなどして取り締まればすむはずである。カウンター側が「ヘイト団体」と認定したからという理由なら、それは行為ではなく思想を取り締まることになる。

そこに私は、強い危惧を抱いた。そもそも当日の様子は、YouTubeにアップされた動画で誰もが視聴できる。それを見る限り、人数で圧倒するカウンター側の激しい罵声で、デモ隊の声も聞こえず、姿も満足に見えない有り様だった。その場を支配していたのは、圧倒的多数のカウンターであって、デモ隊は為す術もなかった。

動画を視聴したあと、私は『ニューズウィーク日本版』(2014年6月24日号)の記事「『反差別』という差別が暴走する」を思い浮かべていた。同誌は「反差別」運動が過激化する様子をこう伝える。《コリアンタウンでヘイトスピーチを連呼してきた在特会のデモが様変わりしたのは、昨年(2013年、筆者註)初めだった。

在特会のデモや集会をつぶすために結成された「レイシストをしばき隊」などの反ヘイト団体が現れ、昨年3月末には在特会でも参加者の倍以上となる500人を動員。6月末には2000人以上を集め東京都新宿区のコリアンタウン・新大久保に在特会デモが侵入するのを阻止した。

 今やデモ現場の「主役」は在特会ではない。中指を突き立て、拡声器で歩道から「死ね」と聞くに堪えない罵声を浴びせる「しばき隊」や「男組」といった反ヘイト団体だ》

さらに、その過激さが持つ問題点をこう指摘する。

《反ヘイト団体は「反差別」という絶対的な大義を楯に、相手の言動に少しでも差別的な響きがあれば容赦なく身元や過去を暴き、徹底的な批判を加え、社会的生命を抹殺しようとする。時に暴力もいとわない。(中略)「これが果たして善であり、正義だろうか」。黒人奴隷という負の歴史ゆえ、差別に敏感だった米国では既にこうした問い掛けがなされている。差別する側と差別される側が逆転したような反差別の暴走は、「愚かな不寛容」とも批判されている》

つまり反差別運動は、いつの間にか「差別する人を差別する」活動へと変質したのだ。そして最後に、日本の反差別運動が持つ危惧をこう表明した。

《差別的な言論を暴力や権力といった「力」で抑え込もうとするだけでは、憎みが消えるどころか、新たな憎悪の連鎖を生むだけだ。日本は独り善がりの「正義」と腕っ節ばかりが支配する息苦しい国になるのか。もどかしさを引き受けてでも、議論を重ねる国にとどまるのか。ヘイトスピーチをめぐる議論の行方は、日本の今後を占う1つの分水嶺なのかもしれない》

まさに現在の「反差別運動」の状態は、2年前の『ニューズウィーク日本版』の記事が危惧したことが現実のものとなってしまっていると言っても差し支えないであろう。さらに問題なのは、そうしたしばき隊に代表される過激な「反差別運動」が有田芳生氏ら国会議員や左翼リベラルと呼ばれる学者・社会運動家、朝日新聞、東京新聞、週刊金曜日などの左派メディアから強い支持を得ていることである。

日本という国が壊れ始めていると感じるのは、私だけであろうか。価値観の多様性と自由を尊重しない国と社会に未来などあろうはずがない。

3.企業探訪 ソニー 役員OBの回想(2)

「日経ビジネスオンライン」で連載中の「オレの愛したソニー」の第2回目に登場するのは、元副社長で初代CFO(最高財務責任者)だった伊庭保氏である。第2回は、上・下の2回で構成されていた。

・「だから私はソニーに提言書を送った」(上、5月23日)

・「大賀さんは消去法で出井さんを選んだ」(下、5月24日)

読了後、最初に思ったのは、伊庭氏は「後悔」しても「反省」をしていないのではないかと、ということである。人間は、誰でも過ちを冒す。肝要なのは過ちを冒したとき、反省し二度と同じ過ちを繰り返さないようにすることである。その過ちを指摘してくれるのは、タダで教えてくれる「現実」である。自分が考えた通りの「現実」にならない時は、「現実」があなたのやり方が間違っていますよ、と教えてくれているのだ。

だから、違う方法や別の考え方で再度挑戦することが大切になってくる。しかし人間は、往々にして自分の間違いを認めたがらないから、逆に自分のやり方に固執しそれまで以上に力を注ぎ込むことになりがちだ。その結果、ダメージは拡大し、取り返しの付かない状況に追い込まれるのである。その繰り返しが、すべてをダメにしてしまうのだ。

例えば、伊庭氏は、エレクトロニクス事業低迷の原因を《取締役会や経営陣に、エレキ事業を熟知する技術系人材が少ないことに帰着する》という仮説を立てて、《生え抜きの技術者を取締役や執行役にもっと選任し、技術を熟知した人材を経営に投入していくことが業績低迷から抜け出す有力な方法である》と指摘する。さらに伊庭氏は、生え抜きの技術系役員がいなくなった理由を前CEOのハワード・ストリンガー氏の責任に帰する。

《ストリンガーもソニーの経営トップとして、技術の重要性は理解していたとは思う。けれども、ソニー本社の生え抜きの技術系人材は、経営者に向いていないと判断したのだろう。中鉢さん(良治、元社長)が経営の一線から退いた後は、生え抜きの技術系社内取締役がいなくなってしまった。 執行役のレベルの人事にも、「技術系人材は経営者としての資質に欠く」といったストリンガーの思いが反映されていたようだ》

 一般論しては、メーカー経営では、トップやマネジメントチームに技術系の人材が欠かせないのは誰もが認めるところであろう。その意味では、伊庭氏の指摘も妥当と言えるであろう。しかし「当時のソニー」という個別具体的なケースにあてはめると、伊庭氏の指摘はにわかに説得力を失う。

エレクトロニクス・メーカーであるソニーに「ハード(製品)」軽視の風潮を持ち込んだのは、たしかに会長兼CEOに就任したストリンガー氏である。コンテンツとネットワークの先進国・アメリカで、長らくエンタテイメント畑で仕事してきたストリンガー氏に「ソニースピリット」を理解しろというのは、土台無理な話である。だからといって、彼がエレクトロニクス事業凋落の原因を作ったというのは事実ではない。むしろ、ソニーのエレキ事業、「技術のソニー」に直接ダメージを与えたのは、当時の社長の中鉢良治氏以下、エレキ事業の幹部たちである。

ストリンガー氏が会長兼CEOに就任したとき、ソニー本社の役員人事はすでに前任者の出井伸之氏によって決められていた。中鉢氏は社長就任と同時に「エレクトロニクスCEO」の肩書きも与えられていた。そのタイトル通りに理解すれば、エレクトロニクス事業全体の最高経営責任者ということになる。その上に、ソニー本社を含むグループ全体の最高責任者としてストリンガー氏が会長兼CEOに就任したのである。

中鉢氏は当初、CEOの権限をストリンガー氏と「分割」していると理解していた。中鉢氏は自分がエレキ事業の経営チームを率いるトップで、ストリンガー氏はエンタメ事業の経営チームのトップであると。そのため当初、中鉢氏はエレキの分からないストリンガー氏には詳細な報告は必要ないと考えたフシがあった。

事実、詳細な報告はしなかった。それがのちに、ストリンガー氏の怒りを買うことにつながる。中鉢氏をはじめ日本の経営チームの幹部たちは、ストリンガー氏のCEOは短期(政権)だと見なしていた。ストリンガー氏は持病の腰痛を抱えていたし、飛行機で月に1回訪日し、1週間から10日程度しか滞在しないハードなスケジュールに長くは耐えられないと考えていたからである。

しかも家族は英国へ帰っており、体力に自信のある者でも1カ月間に日米英の3カ国を巡るのは肉体的にも辛い。その意味では、日本の経営チームの中で「ポスト・ストリンガー」を巡る争いが始まっていたとしても何の不思議もない。2005年に誕生した「ストリンガー・中鉢体制」は最初から経営チームとしての「一体感」を失っていたのである。

その結果、ソニーないしソニーグループとしての戦略に基づくことなく、日本のエレキ事業は担当者が「自分の思い通り」にマネジメントをしていたといっても差し支えない状況にあった。

例えば、テレビ事業部――。

ストリンガー氏が会長兼CEOに就任した2005年から業績が悪化し、営業赤字が8年の在任中、続く。それゆえ、ストリンガー・中鉢体制では

「エレキの復活なくしてソニーの復活なし」

「テレビの復活なくしてエレキの復活なし」

が重要なスローガンとなった。

テレビは海外市場では健闘していたものの、国内では「家電の王者」パナソニックが断トツの首位で、ソニーは「万年4位」と揶揄されるほど劣勢だった。

その状態を一挙に引っ繰り返したのが、ブラウン管式平面テレビ「WEGA(ベガ)」の大ヒットである。ベガの快進撃は続き、1年ほどでパナソニックと市場シェアで肩を並べるまでになった。

ベガには、ふたつの差異化技術が搭載されていた。ひとつは映画のスクリーンのように四隅を平面にしたテレビ画面、もうひとつは標準放送(SD)を高精細なハイビジョン(HD)映像に変換する、ソニー独自のデジタル高画質技術・DRCである。テレビ事業部で高画質を追求してきたのは、「徳原部隊」と呼ばれた約200名の開発エンジニアたちである。責任者の徳原正春氏は入社以来、テレビの技術開発ひと筋で、トリニトロンカラーテレビの開発から始まるソニーのテレビ開発史を知る数少ない1人だった。その徳原氏とタッグを組んだのが、DRCを開発したSVP(常務に相当)でエイキューブド研究所長の近藤哲二郎氏である。

他方、パナソニックも「T(タウ)」という平面テレビを発売したものの、独自のデジタル高画質技術を持たないゆえか、画質ではベガに劣り、ライバルになり得なかった。新しいテレビ市場「平面テレビ」は、ソニーの独壇場といってよかった。

しかしそれゆえか、ブラウン管からプラズマや液晶(薄型テレビ)への移行に出遅れてしまう。テレビ事業の業績は、急速に悪化。その打開策として液晶パネルの自主生産を断念し、サムスンと製造合弁会社を設立しそこから入手したパネルとソニーの技術で新しい液晶テレビ「BRAVIA(ブラビア)」を市場へ送り出すのである。

それが、前述したストリンガー・中鉢体制の始まりの頃である。そのころ、エレキ事業のコストカットの先頭に立った中鉢氏は、テレビ事業部にも容赦なくメスを振るった。地デジ放送の始まりとともに番組がHD放送になると、DRCはコストカットの対象になる。DRCは専用LSIで作られるため、コストアップになっていたからだ。中鉢氏はDRCは古い技術であり、「未来永劫、ソニーのテレビにはDRCは搭載しない」と明言し、それを実行した。近藤氏はエーキューブド研究所の所長職を解かれ、ほどなく研究所も解体される。

徳原氏はテレビと関係のない部署へ異動させられ、「徳原部隊」も解体され、バラバラにされる。テレビのハイエンドを研究開発する部隊も場所も、こうしてソニーから消えて行ったのである。のちに近藤氏は20名の部下とともにアイキューブド研究所を立ちあげ、ハイエンドの研究を続ける。失意の中でソニーを去った徳原氏は、サムスンから三顧の礼を持って迎え入れられる。

このような強硬策を取ったのは、中鉢氏ら幹部の間には「もの作り」が垂直統合から水平分業へ変わり、デジタル時代になれば「技術格差」はなくなる、誰もが同じような製品を作れる時代になったという信仰にも似た確信があったからである。

さらに画質に関しては「HDで十分だ」という認識で、さらなる高画質を目指すことにも否定的だった。あるとき、テレビ事業部長は真顔で私に

「これまでソニーは音質や画質にこだわりすぎた。ソニー・ユーザーのアンケート調査を見ても、画質や音質はもういいから、もっとデザインを良くして欲しいという要望がトップに来ています」

と告げたものだった。その結果、ソニーのテレビはモノシリックデザインが「売り」となった。「ディスプレイ」と「画質」というふたつの差別化技術を失った以上、ソニーの液晶テレビ「ブラビア」には価格にしか競争力は残されていなかった。

十分な利益を得るためには、シェアを追うしかない。だから、社長の中鉢氏は、出荷台数を従来の約1000万台程度から最終的には4000万台という途方もない数字を掲げたりもしたのである。しかしボリュームゾーンを狙って、出荷台数を増やしたのはソニーだけではなかった。シャープやパナソニックなど国内メーカーはもちろん、サムスンやLGの韓国メーカー、中国の新興メーカーも参戦したのである。

当然、世界市場では需給のバランスが崩れ、液晶テレビの価格は急落した。ソニーのテレビ事業は業績悪化に歯止めをかけるどころか、逆に加速させられただけだった。

2008年、ストリンガー氏は社長の中鉢氏を更迭し、副会長に棚上げするとともに出井氏が与えた「経営チーム」を解散し、自らの手で新たに「四銃士」と名付けた若い経営チームを立ち上げたのだった。その理由を、ストリンガー氏は私にこう説明した。

「(エレキの業績は)どうなっていると聞くと、『来年は良くなります』と答える。でも来年も赤字。また『どうなっている」と聞くと、『来年こそは良くなります』と返事する。でも次の年も赤字……。この繰り返しで、3年もダマされた。そのとき、(CEO時代の)出井さんがエレキの幹部に『こうして欲しい』『ああして欲しい』と頼んでいた姿を思いだしたんだ。結局、彼らは何もしなかった。だから私は、彼らに頼むのはムダ。自分が直接やったほうが早いと思った。私の考えを理解し、私の方針のもと一緒にやってくれる経営チームを立ちあげ、彼らとエレキの改革をしようと思ったんだ」

伊庭氏は「技術系人材は経営者としての資質を欠く」とストリンガー氏が考えたのではないかと指摘するが、私はむしろ「信頼に値する」技術系の人材がいないとストリンガー氏は判断したのだと思う。当時の状況を考えるなら、ストリンガー氏のCEOとしての判断が間違っていたとは思えない。ただ、彼が立ち上げた経営チーム「四銃士」の人選が改革遂行のうえで適切だったかという別の問題はあるが。

技術系に限らず経営幹部の「不作為」は事実あったし、私も見聞した。テレビ事業部のようなケースは、さまざまな場所で散見してきた。例えば、デジタル技術の研究開発の拠点であり、ノンコン・ビジネスの拠点でもある「厚木」でも似たようなことは起きている。「技術のソニー」言われてきたが、その「技術」はどこにあったかといえば、テレビ事業部のあった「大崎」とノンコンの「厚木」である。その2つが大きなダメージを受けたわけだから、ソニーの技術力が「劣化」していったのは当然である。なお、中鉢氏が「未来永劫、搭載しない」と明言したDRCはその後、ソニーがハイエンド志向に舵を切り替えると同時に、その「改良版」が現在のフルHDと4Kの液晶ブラビアに搭載されている。

しかし搭載されたDRCは、いまや10年以上も前のデジタル高画質技術である。最先端の4Kテレビと謳ったところで、古い技術に頼らざるを得ないところに現在の「技術のソニー」の苦境がある。伊庭氏は、社長の平井一夫氏ら経営陣が自らが作成し、送った「提言書」を無視したという。私は「無視した」というよりも「困惑した」「真意を図りかねた」というのが実情ではないかと考えている。

というのも、伊庭氏が問題視するソニーの悲惨な状況を招いた責任の一端は、長らく経営陣の一角に名を連ねてきた伊庭氏本人にもある、つまり平井氏らには自分たちは伊庭氏ら旧経営陣の失策の尻ぬぐいをさせられて苦労している、なのにその責任を取ることもなく「憂国の志士」のように振る舞われても困るといった思いがあるのでは、と私は想像するからだ。

私の知る限り、伊庭氏に限らずソニーの役員OBで、いまの低迷するソニーの姿にした責任は自分にもあるという反省の弁を口ににした人はきわめて少ない。反省しない人間から学べるものは少ないものだ。伊庭氏の提言書には、「その通り」と同意するところは少なくない。

しかし「説得力」に欠けるというのが、私の正直な印象である。上・下の伊庭氏のインタビュー記事を読んで頭に浮かんだのは、人間は加齢とともに「自分が見たいものだけを見て、自分の聞きたい内容だけを聞くようになる」というシンプルな事実である。

4.ルポ「現代の風景」 休載

                 (ルポライター 立石 輝)

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