トルクメニスタン訪問記 天然ガス輸出で潤う国

 先日、国際交流基金の要請で中央アジアのトルクメニスタンを訪問した。文化交流の名目で市内を見学するとともに、美術学校、美術館、科学アカデミー、絨毯博物館、ミニファッションショーなどを見学させてもらった。

 そのほか、日本との外交関係樹立25周年の式典に参加し、4日間の滞在中、メレドフ副首相兼外相(57)、アガムィラドフ教育相(53)、女性のオラズムハメドヴァ文化大臣(43)らと、それぞれ1時間以上にわたって面談した。

【3大臣と各1時間以上懇談】

 メレドフ副首相は思慮深い知識人という印象で、日本の茶文化に興味があるらしく「茶道は技術ではなく、水を飲むこととは違い、客や茶文化に対する敬意があることを感じた。現代の若者は物事をシンプルに考える傾向があるので、茶の文化を若者に教えるべきだと思っている。茶は日常生活の中に文化や伝統行事を見せてくれているように思う。このほか生け花、着物の歴史、日本人の色彩感覚、デザイン、寿司の握り方やほかの料理法にも特別な考え方があるようで興味深かった」などと語り、東京にトルクメニスタン文化センターを設置したいし、今後は日本との間で交互の訪問日程を作ることも計画している――など、日本文化に大いなる関心を持っているようだった。

 アガムィラドフ教育相は、好々爺然とした穏やかな人物だった。同教育相によると、現在4つの大学で日本語を第二言語として採用し、今年から10校の中学校で日本語を教え始めたという。また今後は、自国の若者たちを日本の専門機関や高等教育機関に留学させたい、と日本に強い関心を寄せていた。

2016年9月に設立され、筑波大学との協定により日本式工学教育を導入するオグズ・ハン記念トルクメニスタン工科大学を訪問。1年間の予備教育段階にて英語と日本語のみの授業が行われ、日本語教員は筑波大学から2016年11月に2名の日本人が派遣され、現地教員6名とともに日本語教育を実施している。

 さらに、民族衣装姿で現れたオラズムハメドヴァ文化大臣は「トルクメニスタン人は70以上の楽器を作った平和を愛する我慢強い国民だ。シルクロードは数千年の歴史の中で貿易や文化に国際的役割を果たしてきたと自負している。日本の自然や文化、伝統も素晴らしいし、食事は特に素敵だ。食べ過ぎないように気をつけている」と魅力的な笑顔で微笑んだ。3大臣とも日本の技術や産業、発展過程に大いに敬意を示したが、それ以上に日本の文化や伝統に関心を持ち、何度も「今後、展示会やシンポジウムなどを実施したい」と強調していたのが印象的だった。さすがシルクロードの国とあって、自分たちの文化に誇りを持つとともに協力をしたがっているように見えた。

【人口540万人の小国、面積は日本の1.3倍】

 トルクメニスタンは中央アジア5カ国のうちの1つで、カスピ海の東に面し、北西にカザフスタン、北東にウズベキスタンと接し、南はイラン、アフガニスタンが隣国となる。人口は540万人と中央アジア5カ国の中では小国だが、国土面積は日本の1.3倍と広い。宗教はイスラム教スンニ派が多く、穏健なイスラム国で、過激派や麻薬の流入を警戒している。資源は世界4位の埋蔵量を誇る天然ガスが中心を占め、ロシア・中国・イランにパイプラインで輸出している。資源に特化した国づくりを行ってきたため、経済面は資源価格が高騰しているときは良いが、最近はアメリカのシェールガスなど競争相手も増えてきたため、一時ほど儲かってはいない。

 このため、日本などから資源加工技術などを導入したり、ガス加工案件、中小企業技術の育成に力を入れている。また、土地の約80%は農業活動のために使用されており、小麦と綿花生産が中心で、ほかに果物、野菜、家畜がGDPの農・畜産業生産のうち約20%を占めている。トルクメニスタンに在留する日本人は商社や技術関係者などわずかにとどまり、40人に満たない。日本との貿易額も、建設と鉱山用機械など輸出は約800億円で、輸入は美術・骨董品など3億円程度。2016年に安倍首相ら一行が中央アジア5カ国を訪問した際に訪れている。1人当たりGDPは2016年で6,694ドル(IMF推計)。

【数千年の興亡の歴史と旧ソ連からの独立】

 トルクメニスタンはトルクメニスタン人77%、ウズベク人9%強、ロシア人7%、カザフ人2%、朝鮮系0.7%を擁する多民族国家で、古代のころからオアシス都市として繁栄していた。国土の70%以上は砂漠地帯だが、イランと国境を接する地域には山々が連なり、景色は悪くない。医療費と教育費は原則無料となっている。

 また、他の中央アジア諸国と同様に、1991年の旧ソ連崩壊とともに独立し、前ニヤゾフ大統領は「積極的中立政策」(等距離、全方位外交、実利重視)を掲げ1995年に国連総会で「永世中立国」として承認された。2006年、ニヤゾフ大統領死後に大統領選挙が行われ、ベルディムハメドフ大統領代行(前副首相兼保健・医療工業相)が後継大統領となり永世中立国を維持している。ニヤゾフ大統領時代から独裁政治色が強い。

 トルクメニスタンは紀元前6世紀にはアケメネス朝ペルシャ、前4世紀にはアレキサンドロス大王の遠征により支配された。その後、ギリシャ系のバクトリア王国、イラン系のクシャーナ王朝、紀元後にはササン朝ペルシャなどの支配下に入り6~7世紀に入ると突厥(トルコ系民族テュルク)に支配される。8世紀になるとアラブのウマイヤ朝、その後オアシス都市連合体、9世紀後半はイラン系サーマン朝、10世紀にはトルコ系遊牧民カラハン朝が支配した。さらにその後もめまぐるしく宗主国が変わり、11世紀にはセルジュークトルコ、12世紀にはカラキタイ、13世紀になるとチンギス・ハン率いるモンゴル軍が占領、チンギス・ハンの死後はウズベクのチムールが強大な帝国を作った。チムールの死後はヒヴァ、ブハラ、サファヴィー朝などに侵略されるが、1868年にロシアが本格的に中央アジアに進出し始め、ロシアはカスピ海東岸からも上陸し、トルクメニスタンのアシュガバット(現代の首都)も占領。1991年旧ソ連の崩壊で中央アジア諸国が個別に独立するまで、ロシアの支配下にあった。このため、中央アジア諸国は固有のウズベク語、トルクメン語などと同様に現在もロシア語を共通言語としている。

【白いビルだけが立ち並ぶ首都】

 中央アジアは旧ソ連領となったカザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタン(頭文字から「加藤タキ」とすると覚えやすい)の5カ国からなるが、ロシアは旧ソ連邦やカスピ海沿岸部、さらにウクライナなどを含めたコーカサス一帯を再び旧ソ連邦と同様の国々に組み込みたいと思っている。

 トルクメニスタンは、ガス輸出を中国のパイプラインなどに繋げ潤っているが、独裁体制は不変で、首都アシュガバットに並び建つビル街(官庁街、高層住宅街など)は白色で規制されており、美しくはあるが人の匂いがしない。朝夕以外の昼間や夜は人通りがほとんど見られず、無気味ですらある。首都の官僚たちの多くは高層住宅に住んでいると聞いたが、道沿いに店はなく必需品はビルの地下の店にあるという。バザールや小じんまりした商店街に行くと人の姿は見かけるが、概して人影が少ない。人口540万、首都アシュガバットで約70万人というから、もともと賑やかさがないのかもしれない。

小中学生は薄い赤、高校生は濃い赤の制服を着ており、男子学生は白いシャツにネクタイ姿だった。首都は実にきれいで清潔な感じだったが、ウズベキスタンのタシケントのような人の賑わいが見当たらず街の様子は寂しかった。首都で働く日本人はほとんどが単身赴任で、仕事以外の娯楽が少ないようで、年に何回か国外へ出る休暇が数少ない楽しみになっているようだ。

 交通はドバイ、ヨーロッパ経由などで待ち時間を入れて片道20時間以上。4泊6日の旅だったが、4泊以外は機中泊が2日。近いようで遠いシルクロードの旅だった。【TSR情報 2017年4月28日】

画像は全て国際交流基金撮影。ページ画像は、美術館訪問の様子。