前回反響をいただいた、伊藤勇司研究家とのインタビュー対談の第2弾ができたので、またここでシェアしていきたいと思う。
● 伊藤勇司研究家・まつむらゆうこ
「なぜ、だれの中にも輝く部分を見出だすことができるのか?」
よい人間関係を築く。これは誰もが願う永遠のテーマ。
人の悩みの大きな部分を占めているのは、人との関りの中で生まれるものです。
私たちは相手のことを無意識のうちに変えようとしていたり、ジャッジしていたりすることがあります。相手のためによかれと思って伝えていることが、逆に相手の可能性を阻んでいることも。
今回のインタビューでは、人がよくしがちな相手のとらえ方、関わり方が実は違う。そのことについてお話し頂いています。
伊藤勇司さんとお話していると、これからよくなるしかない。そんな風に思えてきます。
なぜなら、だれもが「価値あるもの」を持っているという前提だから。
一回目のインタビューで、自分のことを肯定できるのは、自分自身の具体的な行動を観察し、認め続けるからだというお話がありましたが、それは他者を観る時も同じ。
あると考えるのか。
ないと考えるのか。
ここが大きな差。
「あるものを活かす」
という発想が、勇司さんの経験から生まれたいきさつを知って頂くと、より説得力を持ち、無いから足そうとするのではなく、お互いに持っているものを活かそう。
その方が、楽しい未来に繋がる。
と感じて頂けるインタビュー内容になっています。
ーーー
では、早速インタビューを収録した動画をお届けしよう。
この動画のインタビューの文字起こし版は、以下より。
ーーー
「人は今の時点で既に素晴らしいという考え方になった経緯とは?」
【ゆ】勇司さんは片づけ心理学の中で、だれもが足りないんじゃなく持っている。その持っているものを輝かせることが大事だとおっしゃっています。そういう発想、考え方になったのは、いつから、どうしてそう思われるようになったんでしょうか?
●何も無かったから、あるものを活かす、あるものでやっていくという発想へ。
【勇司さん】よくよく考えてみたら、貧乏だったのが活きてるとなと思いましたね。物が無い、何も無い。お金も無いし食べるものもないような状況で、あるものを活かして生き延びていかないといけないぐらいの時期があったんで。
それこそ、道に生えている草を食べてみたりとかもしましたしね。その辺にはえてる(笑)・・・腹が減りすぎて、とりあえず、そこにあるものを活かすっていう感じで。
ある時は、家に片栗粉とキャベツの芯しかない。じゃあとりあえずこれでお好み焼き的なの作れるかなと思ってやってみる。でも、やったらゴムみたいな感じになって食えねえ、みたいな経験もありました(笑)
あるもので何かやってみるっていうのは、そういう思春期の貧しい時代に築かれた能力かもしれません。でも、それでやってみたら意外と何とかなるなっていう経験を、その時にたくさんしましたね。
そうやってあるものを活かすだけでも、どんどんとおもしろいことになっていくなというベースが、当時の体験で築かれたからこそ、「今あるもので、やれることは、やっていく。」というのは、今でも変わらず大切にし続けています。
そして、それを大事にするだけで発展するっていうことを、ぜひ皆様にもお伝えできたらなというのは、ありますね。
【ゆ】それは勇司さんご自身だけじゃなくて、まわりの人を見ていても、ここの部分を活かしたらもっとよくなるのに。そういう風に見えていたんですか?
●無いものを模索するんじゃなくて、すでに今あるものを活かしてみる。
【勇司さん】そうですね。もう、見えまくり。
ぼくは基本的に必要最小限なんですよ、発想が。さっきの話ではないですが、そもそも無かったんでね。それこそ必要なものさえ無かった。
だから最小限のことで、ちょっとでもいい結果を出したりとか、いい効果を作ったりっていうのを常に考え続けていたんです。無かったからこそ考えた。
だからこそですが、ないものでだりしている人も、ぼくから見たら、逆にあり過ぎてるって、思いますよね。
これの、ここの部分だけ使っても、すごい価値になるのになと思うのは、めちゃくちゃ思います。今もっているこれを使うだけで、めちゃくちゃすごいことになりますよっていうのは、僕から見たら、めっちゃ思うところありますね。
今もまさにそうですよね。ちょうど、この企画になったのもね、ゆうさん自身もこれから何をしていきたいか、まだ具体的には決まっていない。
でも、伊藤勇司研究家であると自分で言われてたから、じゃあ研究して下さいと(笑) ゆうさんに他の何かやりたいことがみつかるまでは。
という、その一つの伊藤勇司研究家だけを抽出するだけでも、こういう対談が生まれたりとか、動画が生まれたりとかしてるっていう事実。
すでにあるものを活かしてみる。これから何かになろうとか、無いものを模索しようじゃなくて、まず事実として、そうしたいとか、そうすることが楽しい、興味深いと思ってるものから、すぐにできることで何かをやっていくと、そこから広がっていくのは、これ一つのいい事例なんじゃないかなと思うんです。
【ゆ】勇司さんの周りにいらっしゃる方が、どんどん変わっていかれるのを私も見ています。勇司さんが、そこいいですねっていう発言をよくされる。それは、そこを研ぎ澄ませば、すごいっていうのが見えてらっしゃると。
【勇司さん】まさに。僕がすごいですね、素晴らしいですねって言うのは相手に対して言ってるんじゃないんです。相手が持ってるものとか、その瞬間に生まれたものが具体的イメージとして、現実的に価値があるなと僕が認識してる。
で、こうやって対談を伊藤勇司研究家としてお願いしたのも、素晴らしいなと具体的に見えるから。これほんとに本にしたいなというぐらい、伊藤勇司研究家としての肩書で本を出したら、めっちゃ、おもろいなと思うし、それぐらいのものが絶対できるんじゃないかなというイメージを思うからこそ、その第一弾として、テーマを持って対談できたらなと思っているんです。
具体的に事実としていいなと思ってることをフィードバックしてるんですよ。
相手を励まそうとか勇気づけようとか、一切思わないんで。
現実としてだれだれさんの、例えば、ゆうさんのここが素晴らしいですねって、ぼくがいうのは、現実として、事実として具体的に、認識できてる、イメージできてることを起点にして、「素晴らしいですね」って、伝えている。つまり、相手の中にある素晴らしさからくる、フィードバックなんです。
【ゆ】じゃあ、かなり前からそういうフィードバックはされていたんですか?
【勇司さん】そうですね。そう考えたら昔から、その、貧しい経験をしたあとぐらいからは、だいたいそうですね。人のちょっとしたよさが見えるようになりましたね。
何もない経験をしたからこそ、既にあるものにフォーカスする力が養われてました。
食べ物がなかったんで、食べれること自体がありがたいんです。
「ごはん一緒に食べていく?」って言われたら「まじですか?いいんですか?」みたいな。食べる前から「美味しい」って言う(笑)・・・「食べてへんやん」て言われるんですけど、「いや、もう食べれるだけでありがたいんですよ」って。
食べてないのに喜んでいるんで、その姿だけで喜ばれたりとか。でも、ほんとにそう思ってたんでね。ありがたいなって。そういう感性が、人との関わりにおいて今でも大いに活かされてますね。
【ゆ】若い頃から、今もお若いですが(笑) すぐにいいなと思ったことは、フィードバックされてたんですね。自然にそうなってた?
【勇司さん】自然にそうなっていきましたね、そういえば。で、今は意識的に、より意識的にやるようになって、さらに加速してるような感じはありますね。
【ゆ】ほんとうに周りにいらっしゃる方がフィードバックでハッと気づかれて、そこから変わられていく姿を見ています。
勇司さん以外の方でもフィードバックしようとか、いいところを見ようと思っていたらできるんでしょうか?
●その人の中にある事実を事実としてフィードバックする。
【勇司さん】ポイントとしては、「人のいいところを見よう」じゃないんです。よく考えたら、そうする人ってけっこう多いんじゃないかな。
「人のいいところを見よう」これ自体、こっちの主観なんです。僕が思う人のいいところってなってしまうんです。それって主観による評価ですよね。
そうじゃないんです。その人の中にあるここが現実的に素晴らしいなっていうのをただフィードバックするだけ。それは自分の価値観、解釈ではなくて自他ともに、現実的にそこが素晴らしい。どう考えてもっていうところを僕は言ってるだけなんで。
その人を励まそうとか、その人素晴らしいんだって、わかってもらおうというんじゃなくて、ここ明らかに素晴らしいよねっていう感覚。
人の素晴らしいところを見つけようという感覚ではないんですよ。
【ゆ】見つけるのじゃなくて、見える? そうだなという事実を見てる。
【勇司さん】事実を、事実としてそうである。という感じ。
その人の中にある事実を事実としてフィードバックしてるだけ。これが大事かな。
でも往々にして、事実があったとしても主観でフィードバックするケース、結構多いと思います。私がこう思う。私の素晴らしさを押しつけるっていう感覚ではない。
【ゆ】そこが違うかなと。つい無理にがんばっていいところを見つけようと思ったり、あるいは自分の主観でフィードバックしていることが多いですね。
じゃあ、事実として見たことを反芻して伝えてるという感じですか?
【勇司さん】そうですね。その結果も事実として味わう。最新刊の座敷わらしちゃんもそうですね。これはリアルケースをモデルにしてるんで。主人公のモデルのゆかさんに久しぶりに再会した時が、本の冒頭のくだりのように借金があったり、もめごとばっかりの状況だったんです。
そんなゆかさんに対して、「素晴らしいですね」って僕が最初に言ったらね。最初ゆかさんは「?」だったんですけど。
一見最悪だと思えるその現実は、そのまま活かせるから素晴らしい。っていうのを、思ったから発言したんですね。そして、その素晴らしさを具体的に本にしたのが、「座敷わらしに好かれる部屋、貧乏神が取りつ部屋/WAVE出版」なんです。この物語のストーリーはほぼほぼ、ゆかさんと実際にやり取りしたことを、そのまま形にしただけですからね。
で、結果として発売以来毎月増版になっていて、事実として素晴らしい結果になってますよね。
販売部数だけではなく、素晴らしいフィードバックも沢山頂いていますよ。座敷わらしちゃんをきっかけに、具体的に人生が変わった、生き方が変化したと、たくさんフィードバック頂けています。
っていうような、発展的な事実がどんどん生まれていく。
ぼくが素晴らしいですねと伝えるのは、こうした現実的に、「事実として素晴らしく発展的な未来を創る要素がありますね。」という意味を含んだ、フィードバックしているだけなんです。
【ゆ】よく自分でもやっていると思うのは主観で、あなたのこの性格のこの部分が素敵ですねと言ってるような気がします。
勇司さんがおっしゃってるのは、行動に移せるような具体的な事実をフィードバックするということですか?
【勇司さん】客観性も含められた素晴らしい要素。その人というよりも、その要素。その要素が素晴らしい。(テーブルの紅茶を例に)この紅茶のこの含まれている成分が素晴らしいですね。この成分がこういう効果に影響するから使えますよねとか。そういう効能がありますよと言ってるのと近い。
【ゆ】じゃあ、勇司さんがフィードバックされるところは、その方の持ってるものが、だれかに影響を与えるような要素をおっしゃってる?
●その人の中にある要素が、現実的にいい影響を与えることをフィードバック
【勇司さん】そうですね。その要素が他のだれかであったりとか、確実にいい影響を与える要素である。いい効能とか効果を発揮するものである、現実的に。ということをフィードバックする。
ここがあなたにとっていいですよというよりは
この要素はいろんな人に、こういう人達にこういう効果をもたらす。すごくいい部分の含みはありますね。
【ゆ】間近でお話を聞いていても、そういうおっしゃり方をされてますね。
「世の中に役に立つ、それを聞いて、いいと思われる方が、必要とされてる方がいます。」というおっしゃり方。
そう聞くと、フィードバックされた方もイメージが膨らむのかなと思いました。
それでより勇司さんの周りの方が変化していかれる。
そういうフィードバックができるのは、日常の訓練でしょうか?
【勇司さん】まあ、訓練の繰り返しでしょうね。そういうフィードバックをやり続けていけば、おのずとそうなっていくし、その人の中にあるもの、すでにあるものに着目して、それがどう活かせるかとか、どういう方向に使えるか、そういう観点でものを観ていったりする。
【ゆ】そういうフィードバックは、子育てにすごくいいですね。ほめてあげたらいいと思う人も多いかもしれないですけど、あなたのこういういいところは、これからこういう風に発展するよと言ってあげれたら、すごくいいなと思って。
【勇司さん】まさに、ですね。その部分があなたの未来にとってこう活かせますよっていうのを示してあげたり、イメージできるようなフィードバックをする。結構それ、子どもに対しても行ったりしますしね。ここがいいですよ的な感じじゃなくて、あなたのこの部分はあなたが実現したい、例えばここを実現するために、こう活かしていける。っていう、具体的な良さを表現したりもしますしね。
【ゆ】こどもの時に、そういうふうに言われたら、やりたいことを怖がらずに、いろいろ想像できるのかなと思いました。今育児に必死になってるお母さんが、そのフィードバックができると、とてもいいですね。ほめてはいても、よくできたねって言ったあと、そこから発展する続きはなかなか言えないかなと思って。
それは職場で、上司の人が部下に何か伝える時も、その人の可能性を観ることができて言えたら、むちゃくちゃいいですよね。
この表現の方法は、世の中にお伝えすればいいんじゃないかなと思いました。
【勇司さん】そう考えたら、結構この世の中って、事実じゃない事を軸にして過ごしてる、生きてるケースってめっちゃ多いんじゃないかと、今しゃべって思いましたね。
それぞれの主観の中で、本質じゃない要素を軸にして、自分をとらえたりしながら、漠然としたイメージの中で生きてたりとか、右往左往したりする。事実をちゃんと事実として認識したり、認めていくという事を繰り返していくと、地に足のついた生き方になるんじゃないかなっていうのをしゃべりながら改めて実感しました。
【ゆ】むちゃくちゃいいお話しですよね。
【勇司さん】ありがとうございます。
【ゆ】それだけでも知ったら、変わる人が、いっぱいいてるんじゃないかなと思いました。
【勇司さん】今回ぼくのイメージでは、伊藤勇司研究家として、対談するだけで本になるなと思うぐらいだったんですけど、やってみて、やっぱりなるなと(笑) ぜひ出版社の方が見て下さってたら、伊藤勇司研究家のオファーをして下さい、ぐらいに思いますね。
こうやって対談したり、対談を深めていくのを文字化していくだけで、人の喜びや価値になるんじゃないかなと。そうなったら面白いですよね。
今はまだやりたいことが何かわからないという人が、「とりあえず伊藤勇司を研究してみたら、なぜか仕事になってしまいました。」みたいなのって、めちゃくちゃ面白いですよね(笑)
また、それを見た人は、「そんなんでもいいんや。」みたいに、生きる希望になったり(笑)
今回のことが、とりあえず興味のあることを研究するっていう、そこからでも別にいいんだという一つの具体的な事例になりますしね。
何かこういう職業につかないととか、こういうことを目指さないとみたいに思うけど
興味ある人を研究してたら、それが何かいい循環になっちゃいました的な事例があっても、いいんじゃないかなと思うんですね。
【ゆ】全部はまねできなくても、一つでも勇司さんが体現されてることを真似してみたら、その部分は変わるというのを私も感じてますので。一部でも抽出して、真似して下さる方が増えたら、むちゃくちゃ助かる人はいてるんじゃないかなと。
【勇司さん】では今回、伊藤勇司研究家のゆうさんに対談頂きましたが、この対談も実は昨日の今日決まったことなんですけど、最後にあらためて研究家として意識して対談を行ってみたことで、何か感じたことはありましたか?
【ゆ】どういうことをお聴きしたら他の方にとっても、いいことなんだろうと考えました。人に伝えるということを考えただけでも、気構えが変わったと思いました。で、研究家であってもまだ聴ききれていないことがあったので(笑) お聴きできてよかったです。
ありがとうございました。
ーーー
「2回目インタビューを終えて」
無いから工夫する。あるものを最大限活かす。それは自分も人も。
この発想ができれば、ずいぶんむだ使いがなくなるんでしょう。
お金、時間、才能、自信・・・無いと思っているから獲得するために労力を使っていることが多いんですから。
結果、もともと自分自身が持っている能力・心を磨くことを後回しにしてしまう。
勇司さんが、何にも無かったとおっしゃる思春期の頃のエピソード。今は笑いながら話して下さっていますが、凄まじく無いところからの出発。今すでに使えるもので、いかに大きな効果を得るか。いかに自分が持っているものを活かしきることが大切か。
1回目のインタビューでもあるように、具体的に具体的に、細分化した自分の行為や感情を観察しているから、一つ一つの効果的な使い方が思い浮かぶ。その観察眼があるから、ご自分だけではなく目の前の人が持っているものへの効果的なフィードバックができる。
見えていないと、具体的な効果も言えません。
主観でいいねと完結するのではなく
あなたのその特性が、その行為がどれほどの未来に影響を持つのか。
その事実を相手にフィードバックする。
これができると、人間関係はよくなるしかないですね。
私は、主観でほめようとはしていても、事実とその後の影響まで伝えるという発想がありませんでした。特に、子育て中に知っていたらどんなに、こどもと楽しく未来を思い描けただろう。そんなことを感じます。
家庭、学校、職場等人と関わる場所で、主観ではなく具体的な未来に繋がるフィードバックがお互いになされれば、持っている才能を開花させる人が続出するかも。
実際、勇司さんに出会った方々は、私も含め、自分の持ち物に気が付いて、それを使うことに喜々としてますからね。
持ってない!と嘆くこともなくなり、せっせと自分の持ち物を並べて、使い方を吟味する方向へと意識が変わっています。
みんなが自分の持っているもの、相手の持っているものをしっかりと尊重し、活かしあうことができれば、お互いのストレスが減り楽しく関わることができるでしょう。
主観ではなく事実を、その先の効果をフィードバック。
今からでも意識すれば、少なからず人間関係は発展的な方向へと向かうはずです。
ちなみに勇司さんは、ご自分や関わる人の感情や行動から得た気づきを、時間を置かず瞬時に表現されます。周囲にいる人もそう。
謙遜癖のある人には、にわかに信じられないぐらい、熱くて素晴らしい言葉のフィードバックが、勇司さんと関わる人達の間で繰り広げられます。それに慣れると自分を下げて表現するより、思いっきり自分や相手の素晴らしい部分を言葉にすることの方が、ずっと建設的だと感じるようになります。
そして、またまた余談ですが対談を書き起こしてみて、私のパートは、ほぼ何を話しているのかわからないぐらい散らかっていたものを編集しています。
勇司さんは、そのあちらこちらに散らかった会話の中から、私の質問したい意図を見極め回答して下さいました。
非言語からも感じ取られる才能は訓練のたまものでしょうか。最近乗馬も始められたので、聴覚以外の感覚も動物並みに研ぎ澄まされているのかもしれません。これからどこまで五感が発達されるのか、研究のテーマは尽きません。
ーーー
伊藤勇司研究家インタビュー対談・第2回目は、いかがだっただろうか。
こうして研究対象として考察されることは、自分を深めることにもなるので大歓迎である。ということで、また第3弾、第4弾と、続くことにはなるだろう。