こんにちは、結城浩です。
少しずつ春が近づいてくるのがわかるような毎日ですが、ときどきふっと寒くなる日もありますね。
最近「未来に広がる一手」という言葉がときどき心に浮かびます。
未来に広がる一手。
「未来に広がる一手」とは、どういう意味でしょうか。
私たちは日々いろんな勉強や仕事をします。たいていは毎日・毎週きまったことの繰り返しになります。きまったことの繰り返しなんですけれど、その中でときどき「判断」が必要になることがあります。
この仕事、続けたほうがいいのかな?
それとも、これは終了させて次に移った方がいいのかな?
長期的・短期的さまざまな観点での判断が必要でしょうが、一つの観点として、
それは「未来に広がる一手」か?
と問いかけるのはどうだろう、と思うのです。これはずいぶん以前、私よりも五、六歳年上の方からいただいたアドバイスです。印象に残っていて、ときどき思い出すんですよね。
その一手を打つことで、未来の自分が楽になるか。その一手を打つことで、勉強や研究や仕事の幅が広がるか。その一手を打つことで新しい世界が見えてくるか。もしもそのような一手ならば、それは「未来に広がる一手」です。
逆に、未来に広がらない一手とはどういうものでしょう。何となく惰性で続けていること。やめどきがわからなくて続けていること。考えるのがめんどうだから続けていること。将来ジリ貧になることはわかっているけれど当座はしのげること。それは未来に広がらない一手です。
未来に広がる一手。
長期的・短期的の区別でいえば長期的といえるんでしょうけれど「長期的な展望で考えよ」というよりも、深い話になります。というのは、
それは「未来に広がる一手」か?
という問いかけを聞くと、いまから打とうとするその「一手」が、どのような意味を持っているかを自然と考え始めるからです。そして自分自身がどのような「未来」を求めているかについても同じように考えざるを得ません。「未来に広がる一手」になっているか考えるには、どうしても「私は、どんな未来を求めているんだろうか」と考え始めることになるのです。
「未来に広がる一手」かどうかを考えるのはなかなか良いと思いませんか。
ときにそれは大きな人生の転機に関わるかもしれません。
たとえば、進学。
たとえば、就職。
たとえば、結婚。
たとえば、人間関係。
たとえば、自分のキャリア。
自分が何かを選択できる機会というのは多いようで少ないものです。 数少ない選択の機会に、自分の未来について思いをはせた上で判断するのです。
未来に広がる一手。
春は進学・進級・就職…新年度に向かう季節でもあります。新年もスタートですが、新年度もスタートですよね。あなたが「未来に広がる一手」を打つことができますように、お祈りしています。
(結城メルマガVol.049より)