劇場版『機動戦士ガンダム』Last Shootingの輝くまで 第1回

【コラム全13回】

第1回 ガンダム劇場版、その発端と3部作構想

 テレビ放送中から中高生のアニメファンに人気のあった『機動戦士ガンダム』が、児童層や一般層を巻きこんで本格的ブームとなっていった時期は、放送終了後であった。1981年3月から1982年3月まで、およそ1年をかけて全3部作で上映された「劇場版」とガンダムプラモデル(通称:ガンプラ)の相乗効果でブームを巻き起こし、現在に連なる人気の基礎が築かれていったのである。

 このコラムでは、「劇場版ガンダム」にスポットをあて、さまざまな角度で往時のブームの成り行きを検証してみたい。

 まず、「ガンダムを劇場映画化する」というプロジェクトは、いくつもの点で当時「型破り」であった。そもそも「映画化」の情報が一般に知られたのは、記者会見などオフィシャルなものではなく、富野総監督の「リーク」とも「フライング」ともとれる爆弾発言からというのも前代未聞だった。

 当時創刊3年目に入った徳間書店の「月刊アニメージュ」誌1980年3月号(2月10日発売)は、『機動戦士ガンダム』のテレビ最終回オンエアが終わった直後の発売である。これに「富野喜幸(現:由悠季)が語るガンダム“映画”案の全貌」という爆弾記事が掲載された。「劇場版ガンダム」の正式な製作発表は同年10月9日――それに先がけ、約8か月も前という異例のことだった。

 映画興行における情報統制は当時から厳しいものがあったはずだが、「監督の個人的願望」として映画化構想がアニメ雑誌に先行露出したのは、なぜだったのか? それは映画化の驚くべき「構成と体裁」が深く関わっている。

 アニメージュの記事で富野監督は、映画化構想をこう語っている。

「ぼくは『ガンダム』を4部構成でやりたいんです。第1部が3時間で、2、3、4部がそれぞれ2時間30分ずつ。つまりぜんぶで10時間30分ですね」

 あまりの大構想に驚く記者に向け、富野監督は「けっきょくは夢物語にすぎないかもしれないけど」と前置きしながらも、「TVシリーズ全43話全体の雰囲気を、そのまま映画にしたい」と、その構想の根拠を述べている。

 この記事は放送が終わって「ガンダムは、こんなもので終わりなのか?」と鬱屈し始めていた読者にかなりの衝撃をもたらし、期待感をたきつけた。実現した「劇場版ガンダム3部作」構想とそれが招いたガンダムブームは、まさにこの記事が出発点と言ってよいのである。

 さて、なぜ「3部作構想」が驚きなのか? それには時代性の補足解説が必要だ。

 1977年夏に『宇宙戦艦ヤマト』が劇場公開され、中高生以上を中心とするアニメブームの基礎が築かれて以後、『科学忍者隊ガッチャマン』『あしたのジョー』『アルプスの少女ハイジ』など、歴代の傑作テレビアニメが続々と劇場映画化されていた。だが、その多くはテレビ版のフィルムを再編集し、2時間前後にストーリーを要領よくまとめたものが大半だった。「総集編」として見ごたえある名場面がコンパクトに楽しめるものではあったが、物語とドラマを追っていくと、どうしてもテレビで感動したニュアンスが抜けてしまう作品が多かった。

 一方、『機動戦士ガンダム』はテレビの時点ですでに大河ドラマ的な構成をとっており、ゆったりと流れる時間の中で生まれる微妙な人間関係の変化や感情の機微を重視している。既成の映画化手法では「ガンダムらしさ」が損なわれてしまうのだ。

 富野総監督以下メインスタッフにとって、オリジナルのテレビの雰囲気が崩れるくらいなら、映画化しない方が良いという不退転の意志があったに違いない。また「なるべくファンの愛してくれた状態に近く公開したい」という意図もあったという。だから、フライングが問題になりかねない覚悟で構想を先行発表したのだろう。

 結果的に、この4部構想を3部にダウンサイジングすることで、映画化は出発する。とは言いながら、「全3部」ということも保障の限りではなかった。第1部がヒットしなければ、2部、3部はない。それは、第1作目のメインタイトルに「I」の文字がフィルムに焼き込まれていないことからも分かる(商品上は「I」がついている)。

 このようにして、「背水の陣」に近い覚悟で全3部作構想はスタートしたのであった。

【2007年6月19日脱稿・2017年6月11日加筆】初出:劇場版『機動戦士ガンダム』公式サイト(サンライズ)