新型コロナ禍に際し、いま教育界にできること

新型コロナ禍に際し、いま教育界にできること。

それは、子どもたちの無関心を戒め、事実を教えていくことです。

教師が、積極的に話して聞かせるのです。

3/27金、2月以来1ヶ月ぶりに行うことができた授業の場で、中学生9名にたずねました。

「オーバーシュートって知ってる?」

3,4人が自信なさげに手を挙げます。

驚きました。これだけ毎日、メディアを騒がしている言葉だというのに(最初にこの言葉が出たのは3/19)。

「じゃあ、パンデミックくらいなら知ってるでしょ?」

これも、4,5人が自信なさげに手を挙げただけ。

もしかして、新型コロナウイルス自体を知らない可能性すらあります。特に小学生などは。

いや、本当に、子どもたちの無知というのは、恐ろしい。

それは、無知というより、無関心というほうが正しいでしょう。

目の前の、半径2mくらいのことにしか、興味がないのです。

新型コロナについての無知は、間接的な自殺であり、他殺です。

このことを、説得力をもって子どもたちに伝えるためには、まず教師自身が、日々刻々と変わる情報を整理して知っている必要があります。

目の前の雑事に気を取られ、そういった時間をとれていないのであれば、今すぐあらためるべきでしょう。

とりあえず、私のサイトにリンクしている情報源を、1つ1つチェックしてください。一般的メディアから、信憑性の高い専門的なページまで、いろいろリンクされています。

アクティブ・ラーニング?

いえいえ。そんなことをしている暇は、ありません。

幸い、机をグループの形にくっつけて授業することもできなくなりました。

教師が子どもたちに一斉に話をする、よい機会です。

学校は今休みですが、多くの学校ではまもなくの再開が見込まれています(危険だとは思いますが)。

久しぶりの再会、あるいは新しい出会いのときに、あまり暗い話はしたくない。

そんなふうに思うのも、無理はありません。

しかし、そうも言っていられない世界的危機に、私たちはいま、直面しています。

子どもとて例外ではないのです。

無知は、悲劇を呼び込みます。

子どもに対し、自らの無知に気づかせ、その関心を呼び起こすことができるのは、まず誰よりも教師です。

(むろん、塾の先生も。あるいは、親とて、やるべきことは同じです)

最近、WHOの事務局長が警告を発しました。

若者は「無敵ではない」WHOが警告

WHO「若者は無敵ではない」

あるいは、YouTuberのヒカキンも、「警告」しています。

ここで言う「若者」とは、20代くらいのイメージなのでしょうが、小中高生とて、無知・無関心・無鉄砲なのは、同じこと。

「ま、かかったら、かかったでしょ(笑)」などと、地震の避難訓練のときのような顔をしているのんきな子には、お説教をしなければなりません。

これは訓練ではない。映画などの虚構でもない。現実の危機なんだよ、と(真偽の観点)。

そして、全世界的な危機(空間の観点)、歴史的な危機(時間の観点)。

まとめると、現実の、全世界的・歴史的な危機。

ただ、教師よりも先に志村けんさんが、はからずも教えてくれました。

志村けんさんの死を知り、ようやく自ら調べ始めているという子も、いると思います。

もちろん、大人が単に不安をあおるのではダメです。

知識があれば、切り抜けていくことも不可能ではない──。

そのことを、力強く語るのです。

これは、新型コロナに限ったことではありません。

知識こそが、力になる。

知は力。無知は悲劇。

凜とした姿勢で教師がそれを示せば、黄金の三日間(向山洋一)も成功することでしょう。

私は、私のフィールドでがんばります。

みなさんも、がんばってください。

(この記事は2020/3/31に配信した無料メルマガの内容です)