CMのセリフや出演芸能人の発言が炎上して放映中止などになることが頻発しています。一方では逆に無名タレントやタレント志望の一般人が最初から売名目的で炎上を仕掛ける例もあり、炎上そのものより結果として自粛やオロオロした対応をする企業側に新たな批判が向く例が出てきました。うろたえて日和見対応する企業の、現場はたまったものではありません。ビジネスの本道という在来種を脅かす、炎上というビジネスの外来種を育てるのは無知な幹部です。
1.腰抜け対応の原因は保身
炎上とネットニュースに出た場合でも、実は炎上でも何でもないケースが増えています。そもそも「炎上」と呼べる事態は、通常業務ができなくなるような大騒ぎであって、ネットで話題になったり、SNSでコメントがたくさん集まるのは炎上ではありません。しかし多くの場合、コメントがたくさん集まると炎上だと騒がれるのか、意図的に騒ぐのかわかりませんが発信した側が動揺します。特にCMの場合、お客さんの評判という錦の御旗があり、それに反することはタブーという風潮があります。たしかにかつてのインターネットのない時代、消費者からそっぽを向かれるような事態は致命的でした。しかし今、ネットで批判の記事やコメントはある意味普通になりました。インターネット創成期の、「2ちゃんにさらされたら大変!」と騒いでいた時代に比べ、炎上がインフレしてきた状況変化もあるといえます。今さら2ちゃんに何か書かれてそれが商売に大きな影響があるとはちょっと考えにくいでしょう。
今、日本の好景気がどこにあるのか知りませんが、職場環境は働き方改革以前にギスギスし、正規非正規の問題など山積みです。大企業・公務員とそれ以外という完全な格差が出来たと同時に、余裕がない職場、社会ができています。テレビCMを流せるような大企業で管理職に成れたらなれたで、どこで足をすくわれるかわかりません。問題CMを作った場合、「商売への悪影響」ではなく、「幹部の評価」を棄損されることが最大の恐怖になっているのだと想像します。
2.「火のないところに煙が立たない」と信じている幹部
年齢的にネット創成期を過ごした層が管理職になっている可能性は高いのですが、年齢とは関係なくネットリテラシーには差があります。芸能人スキャンダルなどでもいまだに、「火のないところに煙は立たない」というコメントを出す人がいますが、それはインターネットが無い時代の感覚が抜けないネット原人であり、完全な間違いです。インターネットとソフトを駆使すれば、偽造でもねつ造でも、素人が簡単にできることが理解できていない層が、こうしたカン違いコメントをするのです。何もない場所に火など簡単に起こせるのがインターネットです。こういう人が管理職を勤める会社では今回のような炎上案件に適正な対処ができず、「すぐ取り下げ、お詫び」ということになっていると見ています。
しかしそもそも炎上でも何でもないネガティブコメントすら嫌なのであれば、インターネットなど使わなければ良いのです。ネットの匿名性と伝播力は、人間の邪悪な本能やネガティブ思考、悪辣な面を増強することができることもわからず、Web戦略など語られても現実感が無さすぎます。
結局実態を理解しない管理職が決裁者となり実行した案件で、わずかでもネガティブな反応があれば慌てて引っ込める。クレーマーが大勝利となって、次の獲物を狩りに行くという構図が出来ています。そうしたクレーマーに餌を与えて養っているのは身内である管理職なのです。
3.実体のない批判
国際大学 GLOCOMの山口真一氏による調査では、約 2 万人を対象として、過去 1 度でも炎上に書き込んだことがある人は、ネ ットユーザの約 1.1%、1 年以内に絞ると約 0.5%となっている。つまり炎上に参加しているのは1年以内であればたった0.5%しかいない訳で、炎上を世論とか市場、お客さんの声ととらえるにはあまりにも無理すぎることがわかります。つまり炎上させているのはお客ではないのです。クレーム対応でも最悪の事態は、中身も理解できない「上役」がしゃしゃり出て、現場担当者が悪くもないのに「とにかく謝れ」とひたすら低姿勢を強要する行為です。せっかくクレーム客とのコミュニケーションを通じて、もしかすればロイヤルカスタマーになったかもしれない客を、ただのクレーマーに育て上げる行為がクレーマの言いなりになることです。
当然店員はお客の奴隷でもなんでもありません。お客様は神様どころか、代金も払わない人間はそもそもお客ではありません。「世間を騒がせた」とミュージシャンを批判する人は、おそらくそのミュージシャンの作品を何一つ買っていないし、聞いたことすらもない人ばかりでしょう。管理者保身以外に何の意味もない態度が「すぐ謝って撤回」なのです。
4.リテラシーは東スポから学ぶ
若者のネットリテラシーのなさを批判する記事も見かけますが、中高年のリテラシーもきわめてお寒い状況です。しかし私を含む、昭和の子供の中には昔からリテラシーを養ってきた者がいます。プロレスファンです。「ジャイアント馬場流血死」「狂牛ベイカーを葬送」「ウガンダの魔人」
えー、いずれも東スポの紙面を飾ったような言葉として慣れ親しんだ表現ですが、私たちは学校の勉強はできないバカな子ではあったものの、これを見てジャイアント馬場さんが殺されとか、オックス・ベイカーは牛だとか、カマラがウガンダ出身だととは信じませんでした。プロレスのストーリーラインであることを子供でもわかっていました。
しかしプロレス会場では「殺せー」とか「折っちゃえ」とか物騒な声援を送ることで盛り上がり、エンターテインメントとして何より楽しい興奮を味わうことができ、幸せな子供時代を過ごせたなと思います。(あ、大人になってもだった)盛り上がることと真実は別であることも学べました。リテラシーのおかげで「楽しみ」を知り、堪能できたのです。