『誤解だ』が謝罪にならないワケ 稲田防衛相の致命的ミス

都議選応援での不適切発言が大炎上した稲田防衛大臣。結果として自民党は歴史的惨敗となり、稲田発言はその戦犯との批判がまだ燃え盛っています。発言後の激しい批判から釈明会見で稲田氏が発した「誤解」という単語が謝罪では禁忌であることをあらためて検証しましょう。

1.ベッキー炎上の火種「誤解」

謝罪の一年となった2016年、その中心ともいえる話題はベッキーさんの不倫問題でした。雲隠れから一転して記者の前に姿を現したものの、質疑応答は一切行わず、一方的な会見というより通告だけをして打ち切った姿勢はマスコミも視聴者も大いに反発し、大騒動に発展していったのです。

その「会見」という名の一方的通告で私が指摘したのは、「私の軽率な行動で誤解を与えてしまった」という部分です。真実は誰にもわかりません。裁判ですら、法律上の真偽を決めるというだけで、実際に誤判・冤罪が起こっている例を見れば、裁判ですら本当に真実を明らかにできていると言い切ることはできません。まして記者会見はそのような客観的判断の場ではありません。本当に「誤解」だったかも知れないのです。(後に事実であるとご本人は認めた)

つまりは真偽より雰囲気や勝手な判断、予断によって印象は決められてしまうのです。明らかにウソっぽく見えた会見の結果、火種は消えるどころかさらに大炎上していった過程は記憶の方も多いでしょう。「誤解」という言葉は、それがウソか本当かではなく、謝罪では使ってはいけない言葉なのです。



2.「誤解」という言葉の翻訳

「誤解を与えてしまった」と稲田大臣は30回以上連呼したとのこと。なぜ「誤解」は謝罪においてタブーなのでしょう。その意味を考える必要があります。つまり誤解とは、「今回あなたたち(記者・視聴者)は間違って理解している」、「真実は私が知っている」、「今怒り、反発していること自体が間違いなのだ」と指摘していることになるからです。

批判を受ける側から「私は正しい」、すなわち「お前たちが間違っている」言われて、それが事実であっても興奮している環境下で冷静に理解できる人は普通いません。謝罪記者会見などが裁判ではなく雰囲気で流されることは、芸能関係者やコミュニケーションの専門家であれば当然知り抜いているはずです。それにもかかわらず「誤解」という言葉を連発する稲田大臣に、本当に三軍の統帥に関与する能力があるのか疑しく感じます。※

※正しくは自衛隊法により「内閣総理大臣の指揮監督を受け、自衛隊の隊務を統括する」という意味です。

今、事態を収拾しなければならない有事において、このような対応をしてしまう人に防衛大臣の要職は務まるのでしょうか。シビリアンコントロールとは、文民統制の名の下に、政治家が自衛隊を好きにできるというものではないはず。リーダーとして不適切な人物を、その能力がひときわ必要な職務に就かせている責任は大きいと思います。



3.リーダーとは何か

指揮官とは、言葉一つで兵士を戦地に送り出さなければならないとてつもない重職です。生命を賭して戦う兵士に対し、言葉一つとっても命がけで考え、発するだけの認識を防衛大臣として持っているのでしょうか。

海軍大臣を解任されたものの、戦争勝利への意欲を捨てなかったチャーチルはその後落選など失意の経験を経て、ナチドイツへの宥和政策で劣勢のチェンバレン内閣で海軍大臣に返り咲きます。チェンバレンの後を継いで首相となったチャーチルは、ヒトラーとの闘い「バトル・オブ・ブリテン」に勝利します。ヨーロッパをナポレオン以来で制圧した圧倒的勝利者のヒトラーに対し、決して引かない姿勢を維持し、ついに勝ったのです。

有名な「人類の闘争の場において、このように多数の人間(イギリス国民など)が、このような大きな恩恵を、 このような少数の人間(パイロットたち)によって 受けたことは、いまだかつて無かった」という勝利演説に、イギリス市民も軍人もどれほど心躍らせたことでしょう。



4.荒れ狂う相手をおさめる手はある?

「誤解」は絶対に謝罪で使うべき単語ではありません。事態を悪化させることはあっても、収集することには絶対につながりません。ではどんな言葉で言い訳すれば良いでしょう?

まず「おさめよう」という目標を考え直すことが重要です。おさまらないものをどうやって頑張っても無駄です。

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