万能調味料から特保まで~小さな一粒から無限のビジネス展開/カンロ/読んで分かる「カンブリア宮殿」

料理の隠し味は魔法の一粒~累計50億袋売れたカンロ飴

今年4月に始まったレシピサイト「カンロ飴食堂」。ここではではカンロ飴を使った「肉じゃが」「きんぴら」「カレーライス」など、現在9種類を紹介している。

例えば「ベーコンと舞茸の炊き込みご飯」は、米をといでベーコン、舞茸、昆布、そして飴玉を入れ、そのまま炊飯器にセット。飴玉が絶妙な隠し味になるのだという。

SNSでも、レシピを見て作った人や独自のカンロ飴料理を考えた人から投稿が殺到し、話題となっている。

カンロは飴でシェアトップを誇るメーカー。社名にもなっている「カンロ飴」の発売は1955年。累計50億袋を売り上げてきた超ロングセラー商品で、いまもヘビーユーザーが多い。

山口・光市にあるカンロひかり工場。ここでは1日に120万個の「カンロ飴」を作っている。原料として使われているのは砂糖に塩、水飴。そして味の決め手は醤油だった。

「醤油飴は『カンロ飴』が初めてだと思います」(工場長・渡邊真治)

通常、砂糖と醤油を混ぜてアメ状になるまで煮詰めていくと、醤油が焦げ付いて苦味が出てしまう。そこでカンロは60年以上も前、醤油メーカーと共同で煮詰めても焦げ付きにくい醤油を開発。これにより、それまでになかった醤油味の飴を作り出した。

飴の醤油味を料理に生かせるのではと始まったのがレシピサイト「カンロ飴食堂」だ。

この日は、新たなレシピづくりの打ち合わせ。協力している料理研究家の角田真秀さんによると「カンロ飴」は、素材が優れた調味料になるという。

「醤油とみりんと砂糖を火にかけておいておくのが『かえし』なんですけど、それをカンロ飴が代わりにやってくれる」(角田さん)

「かえし」とは、みりんと砂糖、醤油を煮詰めて寝かせたもの。主にそばつゆや煮物などに使われる、江戸前の万能調味料だ。醤油と砂糖を煮詰めて作るカンロ飴はその役目を果たしてくれるというのだ。例えば、カンロ飴を30ccの醤油に入れて溶かしたものに鶏肉を1時間ほど漬ける。衣をつけて揚げると、唐揚げが一段とおいしくなるという。

ロングセラー商品に新たな価値を加えようと、担当者はこの企画にたどり着いたという。

「普段の家事である料理が、飴という新しい切り口を加えることで楽しいシーンの一つになる。今のコロナの世の中に合っていると思います」(マーケティング本部・坂東美紀)

カンロの本社は東京・新宿に近い高層ビル「東京オペラシティ」にある。社員はおよそ600人。飴をメインに、グミやスナックなど、およそ200種類の商品を作っている。

人気商品のベスト3は、第3位は「ノンシュガー果実のど飴」。人工甘味料を使っていないスッキリした甘さと美しい色合いが特徴だ。第2位は「ピュレグミ」。酸っぱいパウダーをまぶしたグミは、子どもが中心だったグミ市場に大人の女性を取り込んだ。

そして第1位は「金のミルク」。北海道産の生クリームを贅沢に使った濃厚な味わいは、全てのミルクキャンディーの中で、売り上げナンバー1だという。



喉にも腸にも優しい~機能性商品で勝負

カンロはほんの数年前まで、売り上げが減少し、赤字も記録した。そのピンチを救ったのが、4年前に三菱商事から社長に就任した三須和泰(63)だ。三須は「糖質制限、糖質ダイエットという意識が消費者にありますから」と、飴を巡る現状に危機感を抱いている。

糖質制限ブームで、半数近くの人が糖質を控え、飴離れも進んでいる。キャンディーの市場規模はピークの2003年からおよそ20%も減少しているのだ。

だが三須はそんな世間と逆行するスローガンを掲げた。「糖から未来をつくる。」

「糖が悪者になっている。そのイメージを変えなくてはいけない。脳の栄養は基本的にブドウ糖です。血糖値が上がるのは急激に上がるからよくないんです。キャンディーは口の中に滞留して少しずつ入ってくる。すばらしい食品なんです」(三須)

さらに、ゆっくり溶けるというキャンディーの長所に注目し、追求したのが機能性だ。

そもそもカンロはキャンディーメーカーとして1981年に初めてのど飴を世に出したパイオニア。これまでさまざまな、のど飴を生んできた。

最近の注目がプロポリスと7つのハーブを配合した「ボイスケアのど飴」。国立音楽大学との共同開発で、教授や学生たちの意見をもとに何度も試作し、3年もかけて完成させた。

飴の機能性をさらに追求しようと、カンロは5年前にR&D研究所まで作った。そこは部外者立ち入り禁止。「病原菌を扱うので。喉の炎症の原因菌と言われるA群溶連菌を扱って試験をしています」(研究開発部・佐藤慎士)と言う。ここでは実際の病原菌を使って、飴の開発を行っているのだ。

シャーレに菌が塗ってあり、その上にろ紙を。さまざまなハーブエキスをろ紙につけて、ハーブエキスの抗菌活性を測っている。100種類以上を調べた末に強力なハーブエキスにたどり着いた。それがホップエキス。ビールの苦味を生み出すホップのエキスには強い抗菌作用があるという。だが、ホップエキスには強烈な苦みという大きな弱点もあった。

試行錯誤の末、2年がかりで生まれた「ドクタープラスのどケア飴」には研究員の熱い思いが込められている。

「弊社はのど飴のパイオニアなので、他社がまねできない、最強ののど飴を作りたいという思いから始まりました」(佐藤)

さらにカンロは9月、新たな機能性の飴を発表した。「おいしいオリゴトールキャンディー」だ。喉の次は腸。腸内の善玉菌を増やす「ガラクトオリゴ糖」を含んでいて、整腸作用を促すという。その機能性が認められ、キャンディー唯一の特保食品に認定された。

「研究者からしたらやりたい、飴をやってきたからには特保を取りたいと。情熱を持ってやっている人がいる商品があるなら、それはやった方がいいですよね」(三須)

こうした努力で売り上げはV字回復を達成。去年は過去最高の240億円を記録した。



大正元年創業のカンロ~挑戦を続ける100年企業

「ASMR」とは、咀嚼音など、脳が心地よく感じる感覚のこと。その動画が大人気となり、女子中高生の流行語で1位になるほどだ。

このブームに素早く反応したカンロが、今年、新宿に新たな店をオープンした。その「ヒトツブカンロ」新宿ミロード店の店内を覗いてみると、客の大半は若い女性。並んでいるのは、コンビニやスーパーでは買えないここだけのオリジナル飴菓子だ。

中でもダントツの人気商品が、ドイツの焼き菓子「プレッツェル」の形をしたグミ「グミッツェル」(6個入り800円)。人気の秘密は食感と音。発売したのは8年前だが、「ASMR」人気に乗り売り上げが急上昇している。より楽しんでもらおうと、店内には高性能の機材で自分の咀嚼音を大音量で聞ける「ASMRブース」まである(現在は休止中)。

世の中の流れを敏感に捉えるカンロ。その歴史は100年ほど前にさかのぼる。

カンロの始まりは明治から大正になった1912年。山口県の宮本政一が19歳の若さで興した小さな菓子工場だった。宮本はニッキを配合した飴玉を作り、「宮本の生玉(きだま)」として地元で人気を集めていった。

戦後、宮本は「日本人みんなに愛される飴を作ろう」という思いを抱く。

「醤油を入れると。日本の和のアメということで」(三須)

宮本は醤油メーカーと共同で焦げ付きにくい醤油を開発。1955年、「カンロ飴」の発売にこぎつけた。おりしも高度経済成長がスタート。宮本は宣伝トラックを仕立てて西日本を中心に販売をかけた。2年後には東京に進出。銀座にネオンを掲げるまでに成長した。

一方で、1973年には三菱商事と業務提携を結ぶなど、安定した経営を続けていくが、10年ほど前から徐々に失速。売り上げ・利益ともに落ち込み、2014年には赤字となった。再建に白羽の矢が立ったのが、三菱商事で食品事業の本部長をしていた三須だった。

2016年、カンロに乗り込んですぐ、三須はある違和感を覚えた。

「外から見たら全然分からなかったけど、中に入ってみたらやっぱり意識ですかね。積極性があまりなくて、どんどん変わっていこうという気風がなかったですね」(三須)

役員会で「この会社は、変わらなくては将来がない。今までの年功序列を辞めて、成果を重視していこう」と言うと、役員たちの反応は「そんなことをしたらギスギスしちゃう」「みんな仲良くがカンロ100年の伝統」……。三須は唖然とするしかなかった。

当時のことを、常務執行役員の石川和弘は「会社には100年の歴史の文化があって、よそからポンと入ってきた社長が来ていきなりひっくり返したので、すごい抵抗がありました」と振り返る。



風通しを良くするために本社を移転~社内改革でV字回復

逆風の中で、三須は社内改革に動き出した。

まず、社内の風通しを良くした。以前の本社は東京・中野区の20年前に建てた7階建ての自社ビルだった。三須はまだ使えるそのビルを売却し、本社を移転。すべての部署をワンフロアに集めた。「各部門で分断されないように。隣の部署が何をやっているのか、誰が何をやっているのか分かるように」するのが狙いだった。

すると、例えば開発部が試作した飴を検討していると、営業部員が寄ってきて試食して議論に加わるようになった。社員のひとりは「部署の間の壁はなくなりました。ちょっと来てと」と言う。

また、出社すると毎日抽選で席が決まるようにした。これも「抽選されることによりいろいろな人と交流を持てるのがメリットだと思います」と言う。部署の垣根を超えて意見が活発に交わせるようになり、新たな発想が生まれやすくなった。

役員会も改革の対象に。それまで役員会は、大した議案もないのに慣例で毎週開かれていた。時間をかけた挙句、結局多数決で決まる。そこで三須は、毎週行われていた会議を2週に1回に減らし、しかも立ってやることにした。

「みんなで早く終わらせようとする。集中できます」「考えをまとめてくるから、コンパクトに進めようとする」と、短時間で集中して行うことで意思決定が早くなった。

さらに、三須が変えたのが報酬制度。年功序列から成果を重視するシステムにした。

かつて反発していた役員の石川は「私たちは、生え抜きの意地がある。歯向かうんじゃなくて、いい方向へ、社長の期待に応えようと」と語る。

社員が自ら考え、動くようになって、業績にも変化が現れ始めている。

この日、愛知・稲沢市のスーパー「アピタ」稲沢店にやってきたのは営業本部の山内正二郎。この店で、ある戦略を仕掛けていた。

ここでは飴売り場全体の売り上げが伸びているという。理由は「AGF効果」だ。

「AGFとは飴とグミの混合売り場。アメ・グミ・フュージョンというカンロが提案した売り場です」(山内)

大半のスーパーで、なぜか飴とグミはそれぞれ別のコーナーに並んでいる。そこで山内は、飴とグミを同じ棚に並べ、相乗効果を狙う売り方を提案した。

「例えば、お孫さんのためにグミを買っていくついでに、のど飴を買っていただく。関連性を持たせるのがAGF売り場の最大の特徴です」(山内)

このAGF戦略で、飴グミコーナーの売り上げは去年の10%アップを達成。店全体の売り上げにも大きく貢献している。スーパーの担当者も「本当に店のことを考えてくれているので、店もカンロさんに協力したいと思います」と言う。

老舗病を脱して感謝される会社に。それが今のカンロだ。



大失敗の可能性も…~攻める新商品づくり

カンロの若手社員が攻めた商品を考えついた。それが「〇△□グミ」(12月よりコンビニ限定販売)。一番のポイントはパッケージのデザイン。〇・△・□のイラストだけで、商品名もない。「棚にシンプルなものが入っていると、逆に目立ってくるかなと思って攻めたパッケージデザインにしています」と言う。

そして中身も〇・△・□と、1つの袋に3種類のグミが入っており、それぞれ食感が違う。「3つの商品を1つにギュッと合わせたような物なので、普通なら1回の生産で済むところ3倍手間がかかっています」と言うのだ。

さらにパッケージには、「店頭で並ぶ時は縦でフックにかかる。ただ、食べる時は横にして開ける」という工夫が。横だと、口が広いから取りやすい。しかも、マチがついていて立つから、仕事中もつまみやすいというわけだ。

担当者は今の気持ちを「大失敗の可能性もあるのでドキドキするけど、カンロの新しい挑戦として」と語っている。



~村上龍の編集後記~

カンロ飴にこだわってしまった。「何とかしてもっとカンロ飴を売っていただきたい」と、三須さんに迫った。商品別売上比率で5~6%しかないらしいし、私自身、最後に食べたのは、30年前か40年前か、記憶も曖昧だ。だが、久し振りに接して、これは大切なものだ、無くしてはいけないと思った。飴を舐めているときの幸福感がよみがえってきた。

飴は本当にゆっくりと溶ける。その時間の感覚が、今失われているのではないかと思ったのだ。日本での復活が無理なら、アジアで売って欲しい。私も1日に1個は食べるつもりだ。

<出演者略歴>

三須和泰(みす・かずやす)1957年、静岡県生まれ。1979年、一橋大学商学部卒業後、三菱商事入社。2014年、海外市場本部長就任。2016年、カンロ代表取締役社長就任。

(2020年10月29日にテレビ東京系列で放送した「カンブリア宮殿」を基に構成)