シリーズ「伝統は革新だ!」~花と緑で暮らしに感動を【日比谷花壇】/読んで分かる「カンブリア宮殿」

婚礼“花束贈呈”の元祖~創業144年の老舗企業

東京のオアシス、日比谷公園。明治36年に開園した日本初の西洋式公園だ。歴史ある公園の一角にあるのが老舗花屋の日比谷花壇。店内には季節に合わせた色とりどりの花々が並ぶ。

日比谷花壇は東京を中心に全国約180店舗を展開。売上げは209億円。2位以下を大きく引き離すフラワービジネスのトップ企業だ。

店ではお客の好みや目的に合わせて様々な花をブーケやアレンジメントに仕立てる。花屋のトップブランドには長年のファンも多い。

お値段も一流だ。小さな鉢植え「オトンナ フルカタ」が5万円。樹齢100年のオリーブの木「100年オリーブ」は129万6千円。

ある日には、日比谷公園の店から大量の鉢植えが運び出されていった。お祝い事の定番、胡蝶蘭。向かった先は国会議事堂。世耕弘成経済産業大臣の事務所だった。実は前日、内閣改造が行われ、世耕さんは念願の初入閣を果たした。こういう重要なシーンでは、日比谷花壇のブランドがモノを言う。

三代目社長の宮島浩彰は、「やはり伝統は歴史の積み重ね。重いですよね。でも伝統は守ろうとして守れるもんじゃない。そういう意味では、伝統にあぐらをかくことをしないで、常にチャレンジャー精神でいく」と語る。

日比谷花壇は144年前の明治5年、東京の下町で庭園業として創業。1944年、宮島の祖父が都内の有名ホテルに進出。宴会場などの花の飾り付けを手がけた。

戦後、GHQから、アメリカ式の花嫁のブーケを学び、後にそれを日本風にアレンジ。結婚式のフィナーレを飾るご両親への花束贈呈。実はこの感動のシーンを考案したのも日比谷花壇である。

1950年には、初代東京都知事・安井誠一郎から「東京復興のため、海外のようなフラワーショップを作って欲しい」という要請を受け、日比谷公園に出店。それを機に、名前を日比谷花壇に改めた。

歴史の舞台に日比谷花壇あり。吉田茂元総理の国葬をはじめ、著名人の葬儀の数々。85年、2000万人以上の観客を動員したつくば科学万博、90年の国際花と緑の博覧会(大阪)など、大規模なイベントの会場やパビリオンの装飾を手掛けてきた。

最近では漫画家・水木しげるさんのお別れの会も。水木さんらしさにあふれた「妖怪葬」をプロデュース。菊の花で作った「目玉おやじのコサージュ」や、水木さんに手紙が出せる「妖怪ポスト」など、ユニークな仕掛けを考えた。

生産者から駅ナカまで~広がる花のネットワーク

千葉県南房総市は日本有数の花の生産地。そこに日比谷花壇の仕入れ担当、フレネットHIBIYAの松本真由美がやってきた。訪ねたのはヒマワリを育てている折原園芸だ。良質な花を作ってもらうために、日比谷花壇の仕入れ担当者は頻繁に生産者を訪ねている。

直径5センチと小振りのヒマワリ。ブーケなどに使いやすく需要が高いという。大きくなり過ぎないよう、水やりを最小限に留めるこだわりの花づくりをしている。折原園芸の折原利明社長は「花屋さんに買いに来る一般消費者の動向は我々にはわからないので、その情報も聞ける。それは本当にありがたい」と語る。

「お花の需要が伸びれば、その地域も豊かになるし、花を使う人も豊かになる。その橋渡しを私たちはしていきたい」(松本)

手塩にかけたヒマワリは千葉県・浦安にある生花の集荷場、フレネットHIBIYA浦安センターへ。多い日には、1日10万本もの切り花が届くという。

仕入れの75%は国産だが、25%は海外から。その数30カ国以上にのぼり、個性的なものも多い。例えばオランダから輸入したアジサイ。日本のものより大振りで、結婚式などのイベントや、最近では、お正月の飾りにも使われる。実はアジサイは日本古来の花。幕末、オランダ人医師シーボルトがヨーロッパに広めたといわれている。

国内、海外を問わず、その時点での最高品質のものを取り寄せる。そのネットワークが日比谷花壇の強みだ。

東京・新橋。サラリーマンの町の駅ナカにも日比谷花壇の店がある。「ヒビヤカダン スタイル 新橋駅店」。5年前から始めているよりカジュアルな低価格路線の店だ。

ガーベラが一輪216円。人気の小さめのブーケ「シュシュフルール」は1404円。下に保水用のジェルが入っているので水をやらなくても大丈夫。しかもそのまま飾れるよう、ラッピングも工夫してある。



三代目が手がける、守りから攻めへの大改革

ミレニアムを迎えて盛り上がる一方で、日本経済がデフレ不況に足を突っ込んだ2000年。宮島は32歳の若さで日比谷花壇社長に就任した。

ある日、事件が起きる。得意先のイタリア料理店からクレームが入ったのだ。お客様のご要望とは異なるものを届けるという大失態。制作者のミスを、ショップや配送担当者が見逃してしまった。連携不足が招いた事態だ。

イタリア語で怒りをぶちまけるシェフを前に、宮島はひたすら頭を下げ続けた。

「各部署で、それぞれにこれで成功してきたという成功体験があるので、自分で責任とって自分で回していれば本社に報告する必要ない。そんな社風がありました」(宮島)

当時の日比谷花壇は典型的な縦割り構造だった。バンケット部門、店舗部門、法人部門など、それぞれが、長い歴史の中で蓄積してきたノウハウを、抱え込んでしまい、情報が共有できていなかったのだ。

もっと風通しをよくしないと、会社はダメになる。そんな思いから、宮島の老舗企業改革が始まった。

朝8時半、本社の屋上に社員が集まってきた。本社朝礼だ。以前は部署ごとにやっていたが、社員が一体となるため、宮島は全ての部署が集まる形に改めた。

「ボート」と題された社内バイブル。「社員はみな同じボートの上」という思いから、名付けられた。そこには企業理念と、それを実践するための指針が書かれている。たとえば「全てはお客様のために」「ホスピタリティの精神」……。一体感を共有するため、宮島が取り入れたものだ。社員は常にこれを身に付けている。

失敗から生まれた新商品「花のスイーツ」

部門の垣根を超えた商品開発にも乗り出した。法人担当、ショップ、品質管理など、複数の部署から集まった社内横断チーム。ここからまったく新しい商品が生み出された。

その商品が「渋谷ヒカリエ ShinQs」で売られている。地下3階にある日比谷花壇の店「ヒビヤカダン スタイル ヴィフ」の一角に、なぜかスイーツのコーナーが。

横断チームが開発した花のスイーツ、「花咲くローズロール(3132円)と「花咲くローズチーズタルト」(3888円)。その表面には赤いバラの花びらが乗っているが、単なる飾りじゃない。食べられるバラを使ったバラの味のスイーツなのだ。

原料となるバラは、島根県大田市に奥出雲薔薇園で有機・無農薬栽培されたもの。「さ姫」という品種で、花びらが大きく香りも強いことから「奇跡の薔薇」と呼ばれている。

この花びらを、煮詰めて蒸留すると、香りの強いエキスが抽出される。バラ100輪から200グラムしかとれないというローズウォーターだ。

これをクリームや生地に練り込んでバラのスイーツが出来上がる。食べると、口の中にほのかにバラの香りが広がる、他にはないスイーツだ。

開発に携わった社員たちは、会社の変化を感じている。

「以前は自分の部署の部分だけを見て、特に他の部門の方と一緒にするって言う意識はそこまで強く持ってなかったけど、今は交流する意識を持たなくても自然にいろいろ情報交換をしています」と、法人事業部の中川裕子は言う。

ストレス、加齢にも? 花と緑の潜在力

東京都港区にある日比谷花壇本社。まるでジャングルのようになっているのは、この夏にリニューアルしたばかりの打ち合わせスペースだ。緑あふれる中で商談が行われていた。

ここはオフィス緑化事業のモデルルームも兼ねている。花や緑の効用を活かした新規事業の一つだ。よく見ると、テーブルやグリーンの高さがバラバラだが、これには理由がある。別のグループと目線が合わないよう計算されているのだ。

緑には「まずストレスを軽減する効果、空気の浄化効果もあり、わりとリラックスした状態で打合わせできますよね。自由な意見が出てきます」(装景師の芹田博幸)という力もある。

さらに大掛かりな事業を鹿児島県鹿屋市で進めている。日比谷花壇グループの巨大ビニールハウス、鹿屋ナーセリー。中は樹木でぎっしり。ここはいわば「屋内用樹木の養成所」。樹木をオフィス内の環境に適するように育てて出荷する施設だ。

その一角が少し薄暗い。天井を見ると光を遮る遮光カーテンが。光馴化といって、屋外の照度から、段階的に照度を下げていき、暗さに馴れさせてから室内に入れるのだという。

ビニールハウスに東京の外国車ディーラーの一行がやって来た。彼らのお目当ては、高さ6メートルもある東南アジア原産の「フィカス・イーリー」という常緑樹。この木を、来年オープンするショールームの中に植え込み、シンボルにしたいと言う。

一方、東京都足立区の「グレイプスガーデン西新井大師」は、日比谷花壇グループのサービス付き高齢者住宅だ。

ここで行われているのは生花を使ったアレンジメントの教室。花を活けているうちに、みなさん笑顔になっていく。日比谷花壇が提供する、「フラワーアクティビティプログラム」。花を生けることが、脳やカラダの機能維持や回復に、効果をもたらすという。

「人のライフスタイルに寄り添った事業を」

8月30日、東京・青山葬儀所。芸能界をはじめ、各界の有名人が続々と弔問に訪れた。

今年7月に亡くなった、永六輔さんの「お別れ会」だ。このお別れの会をプロデュースしたのも日比谷花壇。永さんの祭壇には、遺族の深い思いが込められていた。

「和の雰囲気、ちょっと粋な感じでお願いしますと。とてもイメージ通りになりました」(次女の永麻理さん)

白と緑のアジサイやダリアで飾られた、江戸っ子の永さんらしい小粋な祭壇。こだわりはわざわざ京都から取り寄せた孟宗竹。竹のグリーンがみずみずしく栄えていた。

そんなオリジナルな葬儀が一般の人でもできるように、日比谷花壇は形にとらわれない個人葬を手掛けている。

大阪にある日比谷花壇直営の葬儀式場「メモリアルハウス 花堀江」。ここでは葬儀の勉強会が行われている。参加者は棺桶の中に入る体験も。家族をどう送りたいか、自分はどう送られたいか、今のうちから、じっくり考えてもらおうというわけだ。

祭壇を飾る花も自由に。普通は菊やユリだが、カラフルなバラなど、その人が好きな花を使うよう、勧めている。葬儀の常識にとらわれない日比谷花壇の斬新な提案だ。

参加者のひとりは、「日比谷花壇さんしかできない、それはすごく感動した。私ここでするって、家族に言おうと思っています」と、語っていた。

スタジオで村上龍が注目したのは、宮島の「モノからコトへ」という発言だった。これについて宮島は次のように語っている。

「私どもの社内の言葉に“ライフタイムアソシエーション”というものがあります。お客様一人ひとりの人生のさまざまなときにお客様から求められる、日比谷花壇をご用命していただける関係を、しっかり作っていきたいという考え方です」

~村上龍の編集後記~

伝統は、変革によってのみ、正統的に継承される。だが何を残し、どこを変えていくかの判断は簡単ではない。だから老舗は、苛烈なサバイバルを果たしてきた企業ばかりだ。

日比谷花壇は、日本のフラワービジネスの歴史そのものだが、その進取の気性は群を抜いている。

Eコマースへの取り組みを見れば一目瞭然で、わたしは実は、日比谷花壇ネットショッピングのヘビーユーザーだが、サイトのシステムも、デザインも他に類を見ないほど素晴らしい。

おそらく、日比谷花壇においては、「ハイカラ」という言葉が死語になっていないのだ。

<出演者略歴>

宮島浩彰(みやじま・ひろあき)1968年東京都生まれ。青山学院大学卒業後、大手不動産会社などを経て、1997年、日比谷花壇入社。2000年、代表取締役社長に就任。