劇場版『機動戦士ガンダム』Last Shootingの輝くまで 第9回

第9回 どうまとめた? 劇場版『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙(そら)編』(その2)

 引き続き完結編『めぐりあい宇宙(そら)編』の構成について述べていこう。

(4)テキサスコロニーの繰り上げ

 TVシリーズではテキサス編はソロモン戦(第35話と第36話)の後、第37話と第38話で語られていた。しかし、劇場版では全体の流れを重視して構成を入れ替えている。観光と牧畜を目的としながら、大戦で放棄され廃墟となったテキサスコロニーに向かった理由はワッケイン隊との合流とされた。

 TV版ではマ・クベ大佐がシャアがニュータイプ部隊構想でキシリアに重用されたことを焦り、ギャンで出撃。卑怯な罠でガンダムを誘いこんだかたちとなっている。ギャンはシャア専用ゲルググに置き換えられ、倒されたギャンの起こした爆発は核地雷原となって、戦闘が整理されている。結果的にゲルググのビームなぎなたは片刃でサーベルのようにも使用可能、その場合ビームの色はイエローと設定が追加された。

 シャアがテキサスに来た目的はエルメスを受領し、ララァのニュータイプ能力のテストをすること。そのために来たフラナガン博士と助手は劇場用に新たなキャラクター設定が起こされている。

(5)馬に乗ったシャア、妹のセイラとの再会

 第38話の対ゲルググ戦は割愛され、アムロ救助のためにホワイトベースはテキサス内へ入る。故障したゲルググを捨てたシャアは、劇場版では観光用だった馬に乗り、セイラとの再会と別れをより劇的に見せている。幼いころから馬に接していた安彦良和により、シャアの乗馬の新設定が追加され、このブロックも重点的に新作画が起こされている。

 シャアとセイラの回想中、彼らの父親ジオン・ズム・ダイクンによる本来的なニュータイプ論が明かされる。ジオンのキャラクター設定も追加された。TV版のジンバ・ラルの言葉、容姿、および兄キャスバルの幼少の偽名がエドワウという点は割愛された。

 エルメスが故障したゲルググを吊り下げて回収、それを2機のガンキャノンが目撃するカットも新作画されていたが、残念ながら欠番(ムック等に掲載されている)。セイラは兄の手紙に嗚咽する。これはTVシリーズでも屈指の名場面であった。詩的なナレーションは割愛されたが、その分は作画による演技の細やかさが加わって泣けるよう情感が増量されている。

(6)宇宙要塞ソロモン攻防戦の簡略化

 第35話、第36話相当のブロックで、ドズル・ザビ配下の宇宙要塞ソロモン攻略戦が描かれる。本作中、TV版の作画流用がもっとも多いパートで、スレッガー中尉とミライのラブシーンも雰囲気を重視してTVのまま活かしてある。突撃艇パブリクがビーム撹乱膜を散布してから艦隊戦に展開するなど、段取りを踏んでいた軍事描写もかなり省略され、軽くなっている。1本の映画に2箇所ある宇宙要塞戦、そのバランスを考えた結果だと思われる。

 とは言うものの、連邦軍のソーラ・システム、負傷するハヤト、スレッガーによるコア・ブースターの特攻など、メカ描写は安彦良和と板野一郎が組んだ新作画によって厚みが加えられている。中でも圧巻はドズルが乗りこむモビルアーマー“ビグ・ザム”の存在感だ。連邦軍艦隊のビーム砲撃をiフィールドではじき返し、主砲や360度のビーム砲でティアンム艦隊に大ダメージを与える描写など、攻守ともに短いカットでボリュームが増大している。

 ソロモン戦の終わりはスレッガー戦死の知らせで締めくくられるが、TV版の余韻はなく、ブライトの「誰だって死ぬんだよ……」というセリフで、むしろミライの情感を断ち切るようにして次の展開へと移る。随所で密度感のメリハリが調整されていて、それが完結編としてのみごたえを醸しだしているのだ。

 なお攻防初期、キシリアの命でシャアのザンジバルが急行しようとするが、このときララァはすでに私服から軍服に着替えている。この軍服も劇場版用の新設定である。

(7)ギレンの抱く殺意

 ソロモン陥落直後、TV版第37話ではギレン総帥が高官たちを前にして宇宙要塞ア・バオア・クーを最終防衛線とする宣言を行う。それは割愛されて第40話のデギン公王に対する説明と、巨大兵器コロニーレーザー砲(ソーラ・レイ)の使用許諾へと一気にジャンプさせている。この一連も新作画となり、ギレンの狂気を顔に心理的なカゲをつけることで圧迫的に表現している。ギレンは後にゲルドルバ照準のソーラ・レイ発射で父を葬り去ることになるが、その殺意の引き金となった言葉はこの会話に出てくる「ヒットラーの尻尾」だ。その因果関係の説得力も新作画に含まれたニュアンスによって増大している。

 TV版では同じ第40話でコロニーに改造されるマハルから住民を疎開させるシーンがあったが、割愛。結果的に最終決戦に向かう事態の急進さが強調されている。その1本前、第39話はほぼ丸ごとカットされた。木星帰りの男シャリア・ブルがニュータイプと認定され、モビルアーマー“ブラウ・ブロ”で戦うが、ガンダムがアムロの反応速度に追いつかなくなってしまうエピソードである。ただしアムロ自身の戦闘力の向上自体は、映画化によって時間が圧縮された結果、非常によく分かるようになったため、それほど不自然ではなくなっている。

(8)ララァの呼び声

 ソロモンは地球連邦軍に接収されてコンペイトウと改称、ア・バオア・クーを抜くための橋頭堡として使用されるようになった。その改築工事中にララァがエルメスでテスト的な攻撃を仕掛け、ガンダムも迎撃に出る。ここではTV版第39話と第40話の素材が使われている。ガンダムの応答速度がアムロのニュータイプ能力に追いつかなくなって性能限界が来たため、マグネット・コーティングが施されたこと(いわゆるパワーアップ)はアムロのセリフで処理された。

 レビル将軍はララァの精神波に感応しているにも関わらず自覚をもたないまま、「ニュータイプとは戦争をせんで済む人類のことだ」と言い放ち、宣伝のためのニュータイプ部隊であることを明言する。こうした多面・多義的な描写が、ここで追加された。濃密だったTV版を単に圧縮するのではなく、切れる限り切ってできた余裕で「ニュータイプ論」を何カ所かで補強しているのだ。そしてアムロがララァの存在を幻視することで、やがて到来するニュータイプ戦闘の激化の予感がもたらされる。

 なおこのブロックではTV版第37話にあったセイラの入浴シーンがサービス的に新作画となってインサート。そしてセイラがブライトと会い、兄から託された金塊を分ける提案をするくだりでは、セイラの本名からジオン・ズム・ダイクンの遺児と知ってブライトが驚愕するリアクションが追加されている。

 なお第40話ではララァが初陣に出て無邪気に戦い、護衛のリック・ドム部隊よりも多大なる戦果を上げてしまった結果、ニュータイプが軍人たちオールドタイプから孤立する展開があるが、そこは割愛されている。

(9)シャアの正体とキシリアの対応

 マ・クベ大佐の死が割愛されたため、戦艦グワジン内でキシリアの側に腰巾着っぽく随伴している描写が追加されている。ニュータイプ部隊に対する懐疑を嫌味めかしていうシーンも用意されていたが、残念ながら欠番となった。

 続いてキシリアはシャアを私室に呼び、決戦を前にしてシャアの真意を問いただす。ここは丸ごと新作画となって双方ともマスクを外すことになった。素顔をさらすことで「本音を言いましょう」というコミュニケーション密度を高め、ドラマのテンションを上げるためだ。だがマスクをぬいだこと含め、シャアの側はすべて「芝居」である。恭順の意を演出すれば、拘束されたり殺されたりはしないだろうと踏んだ。そのうえでシャアは「手の震えがとまりません」とクサい芝居を打つ(実は震えていないことが絵コンテに明記されている)。互いの真意を探り合う腹芸であり、そこがすべて新作画に置き換わったことで、たとえばシャアが部分的には真意を吐露し、一瞬だけキシリアが虚を突かれて真顔になるなど、絶妙な機微のバランスが適切に伝わってくる。

 すべては「ニュータイプ戦闘」という新しい事態に遭遇した人の反応である……とでも言わんばかりに、ホワイトベース側でもエルメスのデータ画像を前にクルーが討議を始める。これはシチュエーションごとの完全新作である。ここではカイ・シデンが連邦軍を信頼せず、反旗を翻す可能性のある発言が飛び出して驚かされる。戦争の全容への懐疑が提示されることで、物語の視点に深みが増した。ニュータイプの当事者であるアムロが議論を収め、精神的成長が描かれていることは注目に値する。

(10)悲劇の邂逅、アムロVSララァ

 あくまで艦隊決戦の一部としてだが、ついにアムロのガンダムとララァのエルメスが交戦がスタートする。ここではTV版第41話のシチュエーションがほぼそのまま使われ、キャラクター描写と精神交感描写を中心に新作画が投入されている。TV版のビットの高速戦闘は板野一郎によるものでメカ描写は流用が多いが、噴射煙をたなびかせるビット群の中、高速でガンダムが飛び抜けるカットは、『伝説巨神イデオン』(80)からエスカレートした「板野サーカス」そのもの。他にもエルメスの砲撃などの新作で厚みが加わっている。

 サイコミュ装置の精神波の感応はコクピットにキラキラしたピンホール透過光が流れるように加えられ、視覚的にも分かりやすくなった。予告編では四角いパネル全体が光っていたので、本番の演出処理で変更されたものである。戦いの中で高まり合うアムロとララァの情感、介入するセイラとシャアといった緊張感も、新作画と編集の妙でかなりのパワーアップ感があって、印象が異なる。

 ララァのヘルメットが砕けるカットなどはTV版の作画(特にタイミング)が良いと安彦良和が評価したため、そのまま使われている。死の刹那にアムロとともに幻視する壮大なビジョンは、宙に浮かぶララァの束ねた髪の毛がほどけるところからスタート。TV版では新天地や受精のイメージが印象的だったが、光の噴流や押し寄せる波のイメージが圧巻で、映画全体にファンタジックな幻惑感をあたえている。

 その死を確認したシャアのリアクションも、TV版の拳を振り下ろす激昂から、静かな涙がこぼれ落ちるように変更がかけられ、むしろ心情の内圧を高めている。

(11)ソーラ・レイ発射、憎しみの光

 TV版第41話で描かれたもうひとつのクライマックスが、コロニーレーザー砲の発射であった。技術士官のアサクラ大尉はTV版でのキャラクターに準拠した新設定が起こされ、コントロールルームの背景美術や透過光処理などビジュアル的に強化され、格段に見応えあるものとなっている。発射の瞬間から連邦軍艦隊の消滅までは、第41話と第42話をTV版のビジュアルが合わせて使われている。

(12)ア・バオア・クーの激戦

 第42話と第43話(最終回)の展開、宇宙要塞ア・バオア・クーにおける最終決戦は基本的にほぼ同一である。内容は同一のまま、作画的に補強されたという部分が多い。ときおりガンダム・プラモデルのブームを反映したファン泣かせのサービスが随所に散りばめられていて、公開当時に大きな話題を呼んだ。たとえば出番がカットされたはずのモビルアーマー“ビグロ”が三機編隊で待機しているカット、量産型ゲルググと旧型ザクにマーキングが作画されているカット、中隊長マークつきの量産型ザクが塹壕から部下を押し出すカットなど、劇場がざわつくほどの反応があった。

 モビルスーツ戦闘や爆発シーンなどエフェクト系作画は全体的に強化され、見ごたえが増している。特に空母ドロスは背景描きとなったことで巨大感が増している。飛び交うガトル戦闘機やGM、ボールの活躍など、作画的な物量も増し、他の部隊所属とおぼしき3機目のガンキャノンまで登場するなどメカファンには見逃せないシーンが多い。総力戦へ向かって激化する攻防のイメージがよく出ている。

(13)ギレン総帥の殺害

 ザビ家内部の抗争劇も、ア・バオア・クー司令室で最終局面を迎え、ついにキシリアはその意図を露呈させる。ギレンとキシリアはカマをかけあいながら互いに秘めた真意を探りつつ、優位に立つための方策を内心で練っている。言ってる内容と心理が食い違う、その人間くささがガンダムの醍醐味で、ドラマ的なピークがうまく表現されている。

 父親まで手にかけたギレンは、その事実をもってキシリアに「逆らうな」と暗に恫喝している。だが、それが逆にキシリアに殺害の言質を与えてしまうのだ。そうした生死を賭した戦いが、微妙な駈け引きの会話で表現されているのである。大半が新作画に置き換えられているのも、その機微を作画の演技の妙を介して伝えるためである。ただし殺害の瞬間以後は、TV版の作画が流用されている。

(14)最終決戦

 第42話と第43話はア・バオア・クーの決戦をバックに、アムロとシャアの決着が進んでいく。全編を通じてライバル関係が醸成されていく物語構造になっているが、ララァを頂点とする三角関係となった後、アムロがララァを殺害する結果となったため、心理的なコンフリクトは頂点に達している。

 第42話ラストに相当する、アムロに追いつめられるシャアの焦りも新作画されたが、残念ながら欠番となった。最終回・第43話相当の映像は、そのほとんどが新作画となっている。ただし、有名なラストシューティングの瞬間や、キシリアが射殺されるカットなどはTV版の印象を残すため、そのまま流用されている。

 エンジンに直撃を受けたホワイトベースや片脚を吹き飛ばされるガンキャノンなど、爆発表現にはエアブラシやタタキ(スポンジによるドライブラシ)、スパッタリング(絵の具の粒子を飛ばす技法)などセル仕上げの特殊効果がふんだんに施され、クライマックスのムードを盛りあげる。シャアとアムロが生身で対決する部屋は、美術工芸品の展示室だったらしく、日本の甲冑まで登場している。

 シャアが脱出寸前のキシリアを討つ展開はTV版準拠だが、ザンジバルが爆発する瞬間、脱出ハッチへと飛び込んで避難するシャアのカットが追加され、ラストとの整合をとっている。

(15)脱出

 負傷し、乱戦の中で孤立したアムロはふたたびガンダムの機体を発見し、自ら乗りこむ。これは第1話と相似形となった円環型のシチュエーションである。TV版ではミスでコア・ファイターが逆向きにささっていたうえに本来はBパーツを外さないと不可能な機首展開をした向きだった。新作で修正され、飛行機としての形状でなくなった分、「アムロが無事に爆煙から脱出できた」という映像的なリンクは若干弱まったが、この時点ではコア・ブロックが変形できるという観客側のリテラシーも上がっていたということだろう。

 アムロが仲間を幻視するカットには、空中を浮遊するララァが追加された。このあたりからラストまでは、ほぼ新作画中心で進んでいく。だが物語展開とカット割り的にはTV版に準拠したかたちで、最終回を尊重している。富野由悠季監督が絵コンテで指定した以上の新作比率となっているが、それには先行して作画した分も含まれているようだ。

 アムロが壊れたキャノピーの代わりに金属板を防護に使うなど、ディテールは細やかになっていて、アムロが主観映像で仲間を見つけたときの喜びの表情や、ランチへ近づいていくときの無重力による浮遊感も強化されている。まさに締めくくりにふさわしい映像となっている。

 太陽に向かってコア・ファイターが突き進んでいくカットがTVシリーズ時のラストカットであった。劇場版ではその幕切れを新作画で整え直したうえで、さらなる追加のサプライズが用意されていた。ひとつはグワジンタイプの戦艦のブリッジに見えるシャアと覚しき人物のシルエットである。これは現在では小惑星アクシズへジオン軍の残党を送りこむためのものとされている。

 そしてもうひとつ大きいサプライズは富野由悠季総監督からのメッセージである。"And now... in anticipation of your insight into the future."(そして、今は皆様一人一人の未来の洞察力に期侍します)という字幕が出るのである。これは実際に数十年分の時間が経過したいま、さらに深い意味をたたえながら響いてくる言葉となったのではないだろうか。(文中:一部敬称略)

【2007年10月18日脱稿・2017年6月15日加筆】初出:劇場版『機動戦士ガンダム』公式サイト(サンライズ)