現実世界とファーストガンダム 第4回

 確かに『機動戦士ガンダム』はアニメ史上で非常に重要な作品である。だが、必ずしも最初から最重要視されて、優遇されていたわけでもない。その微妙な制作状況は、同じ1979年にスタートした新番組のラインナップから、容易に推察することができる。

 サンライズ(当時:日本サンライズ)は、そのとき設立されて3年目。以前から創映社サンライズスタジオとして『勇者ライディーン』など名作を送り出した結果、この時期は超繁忙の渦中にあった。春からは『未来ロボ ダルタニアス』(長浜忠夫監督)、『サイボーグ009(新)』(高橋良輔監督)、『ザ・ウルトラマン』(鳥海永行監督・神田武幸監督)など、東映や円谷プロからの発注作品が続々スタート。7月からは、実写特撮とアニメ合成による自社作品『科学冒険隊タンサー5』(四辻たかお監督)も始まる。

 1社で同時に5本のTVシリーズが回るということ自体が壮絶な事態であるが、問題は内部だけではない。1977年の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』ブームによって業界全体でアニメ作品数が膨れていた時期だから、どの現場もスタッフの取り合いでリソース不足に悩まされていたはずだ。『ガンダム』のメインスタッフも「これ一本!」と絞りこんでいたわけではなく、それぞれ掛け持ちをしている。それは資料を少し調べれば、わかることだ。

 富野由悠季総監督は『赤毛のアン』(高畑勲監督)の絵コンテのローテーションに入っているし、アニメーションディレクターの安彦良和は、単発のTVスペシャル『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』で絵コンテと作画に入っている。壮絶なのは美術監督の中村光毅とメカデザイナーの大河原邦男で、2人とも旧作を担当した縁で前年秋から『科学忍者隊ガッチャマンⅡ』(笹川ひろし監督)に参加した上に『ザ・ウルトラマン』にも入っていて、さらに大河原邦男は春から『ゼンダマン』、中村光毅は夏の『ヤマトスペシャル』を手がけているのだから、壮絶なる仕事量である。余談めくが『ザ・ウルトラマン』の後半にはルーキー時代の河森正治(スタジオぬえ)がメカデザインで参加するが、量を考えれば無理からぬところ。

 いずれも掛け持ちをしたかったわけではないと思う。アニメーションはまだまだ人手が足りず、しかもそうしないと「食えない」状況だったからなのだ。ベテランの地位だからガンダムという「美味しい仕事」につけたわけではなく、あまたある作品をひとつひとつ仕事として着実にこなしていった上で、輝くヒット作が結晶した。この事実は、きちんと認識しておいてほしいことだ。

 だからこそ、『機動戦士ガンダム』に漂う異様な緊迫感はリアルだとも言える。作中描かれている「慢性的人手不足」「素人を即戦力で使って生き延びる状況」「続発するトラブルに右往左往」というドラマは、当時のアニメ制作現場に実在した事件の、ライブ感覚あふれるドキュメンタリーと見ることもできる。TV版ガンダム特有のバンク(流用カット)の連発は、爆発一個、ザクの射撃一発たりとも無駄な新作画はさせまいという気迫に充ちているが、それもこの状況を想像すると巧みな方便と感心せざるを得ない。ときおり見える不条理なミスは、富野監督が「許されるものではない」としてはいるが、ミス自体が緊迫感の表現と曲解できなくもない。そこまで踏みこむと、「君は生き延びることができるか?」という予告の言葉は、「この現場の惨状で次回も納品できるのか?」と変換されて聞こえてきたりして……。

 いずれにせよ、『ガンダム』も四半世紀以上が過ぎて歴史的なフィルムとなりつつある時期だからこそ、時にこうした状況への想像も加えてみたい。内容で伝えている「たとえ泥沼であったとしても、やり遂げなければならない使命感」という普遍的なメッセージの真意を、少し苦いスパイスとともに味わうことができるかもしれないのだから……。(敬称略)

【2006年5月26日脱稿】初出:配信『機動戦士ガンダム』用原稿(サンライズ発注)