創業182年の老舗~「特別」なフルーツ専門店
その名を全国に知られる千疋屋。本店は日本橋のランドマークとなっているビルの中にある。宝飾店を思わせる店内。江戸後期より182年も続く老舗だ。
取り扱っている果物は選び抜いた30種類。宮崎産の完熟マンゴーは一つ8640円。岡山産の白桃は一個3780円。千疋屋が扱うのは味と形の両方が揃った超一級品だけ。その8割は国内産だ。
店内でサラリーマン風の男性が手に取ったのはバナナ1本、324円。「験担ぎで買っています」と言う。聞けば保険の営業マン。以前、千疋屋のバナナを食べたあとで大型契約が取れたことがあり、大事な商談の前にはこれが欠かせなくなったのだとか。
そんな高級フルーツを贅沢に味わえる場所がある。2階のフルーツパーラーだ。
ここには果物を知り尽くし、美味しくカットするプロがいる。この道30年のベテラン、統括シェフの両角剛だ。
「できるだけまな板の上に果汁を流さないように切ります。例えばキウイなら、車の車輪のようにして皮と果肉の間にナイフを入れて転がします。ナイフの角度が変わってしまうと途中で皮が切れてしまう。こうやって切るのが一番美味しく食べられる方法だと思います」(両角)
プロの技で美味しさの引き出されたフルーツがバランスよく盛られたスペシャル・パフェは1944円。高級フルーツが、少しずつたくさん食べられるパーラーの人気メニューだ。
特別感あふれる千疋屋の果物。そのブランド力から、購入目的の9割は贈答用だ。中でも千疋屋の看板を背負っているのがマスクメロン。果物の売り上げの2割を叩き出す。
どうしてこの値段に?超高級メロンの秘密
マスクメロンの値段は1個1万4040円。どうしてこんな値段になるのか。その秘密を探るべく、静岡県袋井市の生産農家「中條メロン園」へ。メロンは南側に大きく屋根を広げた独特のハウスで作られる。
静岡県は温室メロンの収穫量日本一を誇るメロン王国。そんな特産地で親子3代、40年以上、千疋屋のメロンを作っているのが中條友貴さんだ。中條さんが作っているのは、マスクメロンの中でも特に糖度が高く、網目が美しく張り出したクラウンメロンというブランド品種だ。
栽培方法の一番の特徴は、一本の茎に一つの実を育てる「一茎一果」。通常5、6個の実がなるが、それを一つだけ残し、あとは間引いてしまう。「ひとつの木に2つ実をつければ収穫量は2倍になるが、品質も味も半分以下になります」(中條さん)という。残す実も選び抜く。
また、なっているメロンを見ると、どれも同じ様な高さに実をつけている。これは「下に実をつけるとメロンが大きくならないし、上すぎると形が長細くなったり、網目がつかなかったりする」(同)からだ。
そんな中條さんのハウスを毎年必ず見に来るのが、千疋屋総本店の6代目、大島博だ。
しかし直接契約はしない。「常に生産者の方がいいものを作れるとは限らない。いろいろな自然環境で育つものなので」と言う。特定の契約農家を作らず、出来のいいものを仕入れる品質至上主義。それでも中條さんは、「千疋屋さんのマスクメロンのコーナーに置いてもらえれば、励みになるし自信にもつながる」と言う。
中條さんのメロンが運ばれた先は東京の大田市場。ここで千疋屋が仕入れを任せているのが仲卸の「神田万彦」だ。メロンの目利きはこの道28年の曽根幸夫さんが担当している。メロンの競りでは、全国各地から出荷されてきたメロンを仲卸業者が瞬時に目利きしていく。これはと思うものは値を上げても買い付ける仕事だ。
中條さんのメロンが流れてくると、曽根さんはひと目見てすかさず落札した。この日だけで80箱のメロンを買い付けた曽根さん。その中には中條さんのメロンも二箱。これが千疋屋に行く。選んだ決め手は「店舗で飾って売っているので、まず見た目です」と言う。
千疋屋に卸す果物には厳しい基準がある。見た目もその一つ。安いメロンと比べると、中條さんのメロンは網目が太く、しっかりしている。
桃にも高い千疋屋基準があるという。千疋屋用に買い付けた桃は糖度を調べる機械の上へ。千疋屋に出せるのは糖度14%以上。それ以下のものははねられてしまう。
これだけ多くのプロが関わり、間違いのないものだけが千疋屋に並ぶ。だから特別な値段になるのだ。
商品には絶対の自信があるから、売る時には保証書まで付けている。万が一、品質的に納得のいかないものがあったら新しい商品と交換できる。
得意客に西郷隆盛も~果物文化の先頭を走ってきた伝統
埼玉県越谷市に千疋屋ゆかりの地がある。かつて千疋村と言い、屋号もこの地に由来する。千疋村は桃の名所だった。
この桃を江戸で売ったのが、現社長の大島から6代前の初代・大島弁蔵だ。弁蔵は川で桃や野菜を運び、天保5年(1834年)には日本橋人形町に店をかまえた。
創業当時の看板には「水菓子 安売り処」と書かれている。水菓子とは果物のこと。最初は安売りの店だったのだ。
それを今に続く高級店に変えたのが、2代目・文蔵の妻、むら。商家の娘で商才があり、料亭などヘの販路を切り開いた。当時のご贔屓さんには西郷隆盛も。
「店の近所にお屋敷があり、『でっかなスイカ、持ってこいよ』と言われて、よく配達に行ったと聞いています」(大島)
明治時代には、当時まだ日本に入ってきていなかったバナナやパイナップルをいち早く輸入。そんな味を広めるべく日本初の果物食堂をオープン。千疋屋は日本の果物文化の先頭を走ってきたのだ。
こうして押しも押されもせぬ名店となった千疋屋だが、6代目・大島の代には大きな転機を迎える。
大島の入社は1985年。当時の日本は狂乱のバブルに向かう好景気に沸いていた。当時、千疋屋のお得意さんは企業。お中元やお歳暮の季節には、贈答用のメロンが爆発的に売れた。
ところが1992年、バブルが崩壊すると、企業が買い控え、売り上げはジリ貧になっていく。そんな逆風の中、1998年、大島は社長に就任。そして店のあり方を見直し、大改革を断行する。
「変えないと生き延びられない」~6代目の改革
きっかけは店舗を視察した時のこんな気づきだった。
「どうも時代に合わない。客層も高齢化している。高い品揃えだったので敷居が高い」(大島)
そこで大島が考えたのが「フルーツを置かない果物店」だった。
千疋屋羽田空港店。店内で売られているのは、ゼリーやプリン、杏仁豆腐といったオリジナルの加工品ばかり。この千疋屋には生の果物は一つも置いていない。
「フルーツですとだいたい単価は1000円以上。なかなか気軽に買えない。そこで数百円のケーキ類を充実させて若者にも訴求しようという戦略に変えました」(大島)
主力商品を高い果物から手頃なスイーツに変え、店の敷居を下げたのだ。効果はてき面。手頃な加工品は、今や全体売り上げの8割を占めるまでに。大島の社長就任時から売り上げは倍増、70億円と過去最高になった。
ただし、店の敷居は下げても伝統のブランドイメージは守り抜く。スイーツの自社工場、千疋屋総本店製菓工場にあったのは、あの静岡産の最高級マスクメロン。それを惜しげもなくカットし、1個数百円のスイーツに使っている。店頭の高級フルーツと変わらない味をスイーツでも提供しているのだ。
この路線変更に社内で反対や抵抗はなかったのか。スタジオで訊ねた村上龍に、大島は「一番抵抗があったのは先代、私の父ですね」と言う。
重ねて「代々、先代が面白くないと思うくらいのことをやらないと、変革とは言えないのではないか」と問う村上に、大島はこう答えている。
「そうですね。お客様が気づくぐらいのことをやらないといけない。我々は創業182年で、だいたい30年ぐらいで代替わりをしていることになります。30年すると、変えないと生き延びていけない。やはり時代のセンスを取り入れて、改革をしていくことが大事だと思います」
新クリスマスケーキ、誕生の舞台裏
こうしたヒットスイーツを生み出してきたのが、社長の従兄弟で開発部長の大島有志生。フルーツ杏仁もこの男のアイデアだ。「私どもは旬を大事にしているので、果物のおいしい時期で商品が変わるようにやっています」と言う。
新たな商品は月に2回の商品開発会議で常に検討されている。この日、開発スタッフが持って来たのは、大きな栗の乗ったケーキ。下がショコラ生地で中がマロンのムースになっている。イチゴのケーキよりも数が作れるマロンケーキを、今年のクリスマスに売り出してはどうか、という提案だ。
商品開発会議は一気にヒートアップ。「これを千疋屋のお客さんが求めているかどうか、疑問がある」と、開発のキーマン、大島有志生は反対のようだ。議論が熱くなったところで、とりあえず試食してみることに。すると、「美味しい」(大島有志生)。要検討ということで、この会議ではクリスマスの新商品は保留となった。
それから2週間後。次のアイデアが形になったという連絡が。
「全国から『千疋屋のクリスマスケーキをどうしたら食べられるのかしら』というお声をいただき、配達も可能なスタイルで新しく作ってもらいました」(大島有志生)
千疋屋のクリスマスの主力となるイチゴのケーキ。だがその形から、運送会社を使っての配送はできなかった。そこで今までのケーキと同じイチゴやクリームを使って、ロールケーキを作ったのだ。これも大島のアイデアだ。
こだわりはカットした断面に。どこを切っても大きなイチゴが顔を出すようにした。「イチゴを食べてほしいぞ、というロールケーキにしました」と言うように、イチゴが主役のロールケーキだ。
その後の開発会議での試食でも評判は上々。今度こそ決定した。お取り寄せ可能な今年の千疋屋の新しいクリスマスケーキ、「イチゴが主役のクリスマスロール」(6912円)。
「ケーキは流行の変化が早いんです。それに合わせた商品を常に開発していかないと、お客様に飽きられてしまう」と、大島は語る。
冬の北海道でマンゴー~千疋屋の次なる逸品
北海道の音更町に大島の姿があった。どこにでもありそうなハウスの中で今、ある果物の画期的な栽培が始まっている。小さな青い実の正体は、冬に実るマンゴーだ。
「ノラワークスジャパン」の中川裕之さんは、たまたま宮崎で食べたマンゴーに感動し、地元の仲間とともに6年前からマンゴー作りに挑んでいる。マンゴーは東南アジア原産の南国フルーツだが、北海道で育てるメリットもあると言う。
「まず湿気がない。害虫もほとんどいない時期に作れるので、農薬を使わずにマンゴーを作ることができる」(中川さん)
さらに後押ししてくれたのが、地元に湧き出す十勝川温泉。ハウスの下にパイプをめぐらせ温泉を流すシステムを作り、燃料費のかからない暖房を実現した。
そしてもう一つ、予想外の資源も活用する。ハウスの脇に積んであったのは大量の木屑。その下で保存されているのは、冬に降った雪だった。
マンゴーは本来、冬に花を咲かせ、夏に実をつける植物。ここでは夏に雪を溶かした冷水を流してハウスを冷やし、マンゴーに花芽をつけさせ、冬には温泉を流してハウスを温め、実をつけさせる。自然エネルギーだけで季節を逆転させたのだ。
このシステムは産学協同で開発。アドバイザーを務めた東京農大の宮田正信さんは語る。
「自然のエネルギーを活用しながら育てることで、収穫量が確実に2倍になり品質もよくなります。消費者に喜んでもらえるし、農家の収益にもつながるわけです」
このエコなマンゴーに大島は惚れ込み、千疋屋では去年からテスト販売を開始。「お歳暮にマンゴー」。そんな時代が近づいている。
~村上龍の編集後記~
「千疋屋のメロン」は最高級メロンの代名詞だが、そういった呼称は、他に例がない。
「松阪牛(まつさかうし)」「魚沼産コシヒカリ」「イチゴあまおう」など、ブランドを示すのは産地や銘柄で、店名ではない。
ただ「千疋屋」は、それほど強力なブランド力を築き上げているのに、メロンなど高級果物への依存を止めた。現在、商品比率では加工品が8割を占めている。
そしてその開発、素材などに伝統のブランド力を活かし、ごく自然で、かつ大胆な、変革に成功した。
自らが持つ資源の本質を確認し、新しい形で活かす。まさに「伝統と変革」の王道である。
<出演者略歴>
大島博(おおしま・ひろし)1957年東京都生まれ。1981年、慶応義塾大学卒業。1985年、千疋屋総本店入社。貿易部長の後、常務取締役就任。1998年、6代目として代表取締役社長に就任。