レスリング伊調選手へのパワハラ問題で批判を受けていた至学館大学の栄監督は、再び監督活動再開を宣言する会見を行いました。日大アメフト部の問題に起因する大学本部の対応と並び、だめな組織管理・危機管理の典型となったこの問題。栄監督、内田前監督という、カリスマ指導者によって引き起こされ、組織管理ができなかった対応能力で大炎上した点で似ています。こうした当事者に「世代」という切り口は関係あるのでしょうか。
・栄監督の、謝罪ではない監督続投宣言
オリンピック金メダル4連覇という前人未到の大記録を成し遂げたレジェンド・伊調選手や、コーチへのパワハラが明らかになり、レスリング協会強化本部長を辞任した栄氏は久々にマスコミ前に登場しました。パワハラ問題では激しい批判を受け、体調不良となった栄氏ですが、至学館大学のレスリング部監督や教授職はそのままに表舞台からは消え、今回再び現れての監督活動再開宣言となりました。
いや、一応伊調選手やコーチへの謝罪らしきものを語っているような気がしたのですが、その言葉はおよそ謝罪などと呼べるものではなく、また会場では至学館大学の谷岡学長と談笑する光景も見られました。一応謝罪の言葉は並べてはいましたが、相変わらず「誤解」や「コミュニケーション不足」といった。トラブルの本質から逃げる内容に対し、被害を受けた伊調選手やコーチからは全く受け入れられる内容ではないとコメントされてしまいました。当然のことと思います。
芸能人の謝罪会見でも明らかなように、「誤解」という言葉は「誤解しているお前らが悪い」という指摘であって、謝罪ではありません。「行き違い」や「コミュニケーション不足」も、理解不足といった相手に責任をなすりつける意味となり、謝罪では使ってはならない単語です。
このタイミングで和解を演出したかったのかも知れませんが、このような内容で伊調選手らが受け入れられないのは当然です。結局栄監督は、これから始まる全日本選抜選手権への監督としての再始動宣言を行うことが目的としか、考えることが出来ない内容でした。
・あえて肩を持って見てみる
日大アメフト部前監督の内田氏も、大批判を浴びた会見では同じことを述べました。すべては「行き違い」であって、「(反則を指導したり)していない」と発言し、記者から「それは選手が勝手にやったという意味か」と当然のツッコミを受けて答に窮していました。
誰もが逆らいようがない強豪チームの監督という、絶対権力者に君臨した2氏は、60才前後の世代です。世代で特徴を切り取るのは「ゆとり世代」批判と同じく乱暴すぎるものですが、一方で企業など多くの組織が年功序列を敷いていることで、この世代の方々が組織の責任者となる例は非常に多く見られます。
あえて肩を持って見るなら、戦前の名残を残す時代に、教師から理不尽な暴力にも耐え、非科学的な根性論でスポーツに打ち込んだ時代でもあったと思います。「体育会系の優位点」と称される上意下達を身に沁み込ませ、会見での言動からは恐らく指導においても同じことを展開しているのだろうと想像できます。
つまり悪意をもって異常な指導をしたり、嫌がらせを目的としたのではなく、自分たちの行動はあくまでチームのため、組織のためを思ってのものだったと真剣に考えてのものだったと考えることはできるし、多分そうした純粋な意図も当初はあったのではないかと思うのです。結果としてカリスマ指導者として奉られ、もはや誰も自分には逆らえない環境が整った後は、自らの栄耀栄華が少しでも続くことを願う、単なる独裁者になってしまったのでしょう。
・行きつくのはカルト
反則行為を行った選手が学生なのに堂々と謝罪し、自らの身をさらして会見した行動は賞賛されています。私も立派な態度だと感じるし、謝罪としてもきわめて精度の高いものだったと思います。一方で、何といおうが反則を行ったのは本人であり、20歳を過ぎた大人なんだから良いこと悪いことの区別をつける責任は本人にあるという批判も付いて回ります。
私はもちろん反則行為についての責任は本人にあると思いますが、「いい年をして判断しなかった」とか「最後に行動を決めたのは自分」という批判は当たっていないと思います。それは大学強豪チームというきわめて社会的に閉鎖された空間で、絶対権力者が生殺与奪の全権を握るという環境下で、客観的判断などできる訳がないからです。
いわばオウム真理教事件と同じ、教義に帰依しただけだったにも関わらず、最後は殺人まで犯してしまうほど洗脳されていったプロセスと共通点があるといえます。冷静で客観的判断力を奪うための「技術」が洗脳であって、それを暴力で行えば犯罪、シゴキと称して行うのが従来のスポーツ強豪チームだったのではないでしょうか。
至学館大レスリング部も日大アメフト部も、日本最強のチームであり、その伝統と実績において他者による「客観的判断」など介在する余地はなかったと思います。もちろんだからこそ大学本部の経営を揺るがすほどの事態に及んでしまったのです。
・謝ったら死ぬ病
栄氏も内田氏もともに謝ることが出来ませんでした。世間では「謝ったら死ぬ病」などと揶揄される、どんなことがあっても自らの非を認めない、お詫びができない人たちそのものです。
いやいや、一応言葉では「お詫び」「謝罪」という単語を使っている、のかも知れません。・・・・・・
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