暴言事件の明石市長、捨て身謝罪の評価は?

パワハラ発言がニュースで取り上げられたことで辞職を表明した明石市の泉市長。当初は単なるよくある政治家のパワハラ発言と思われたところ、実は2年前の録音を蒸し返されたことや、業務をサボタージュしている現場に非ががるのではと、新たな事情が判明してきました。問題が露呈して即座に辞任というずばやい行動に出た泉氏の謝罪戦略は吉と出るか、凶と出るか考えてみましょう。

1.身を捨てた究極の謝罪

やらかし炎上事件の解決策として「辞任」は究極の回答です。最近でも、私生活でのDVや金銭問題の責任を問ってグループ脱退、芸能界引退を表明した芸能人の例があります。一方、どれだけ炎上してもその地位にしがみつき、ひたすら風が止み嵐が過ぎ去るのを待ち、世間が忘れ去るのを待つという方法もあります。

しかし時流の速い現在の環境は、ペニオク詐欺事件に連座した芸能人たちが雲隠れしたものの、そのまま存在まで消えてしまったように、嵐が去った時は自分の存在も消え去ってしまうリスクを負わなければなりません。政治家にとって、存在が消されてしまうことはただの人以下になってしまうことを意味し、選択できないことでしょう。

政府与党の役職などであれば、辞任という響きだけは重くとも、しばらく身をひそめて後でこっそり復権という手も昔から使われます。しかし地方首長はそんな名目上の役職ではないため、これまた選択肢とはなりません。市長職そのものを辞するというのは、究極の謝罪選択肢といえるでしょう。

2.パワハラでは争わない優れた戦略

一方、事件の原因となったパワハラ事案について、その後の神戸新聞の報道などを通じ、一方的な市長による暴言ではない事情も見えてきました。そもそもこの発言が2年前の隠し録音であり、迫る市長選挙での妨害を狙ってのタイミングが疑われることや、原因となった立ち退きについても、市職員のサボータジュとも取れる対応自体の遅さがわかりました。

スポーツ団体のパワハラ事件で良く見られた「指導者との信頼」や「師弟愛」があれば「ハラスメントではないのではないか?」という、ありがちな擁護論も、こうした後追い情報以後増えたようです。しかしハラスメント対策において、「信頼関係」も「師弟愛」も一切正当化の理由にはなりません。また正当化してはならないのです。

市長は自身がハラスメントを犯したという認識を当初の報道が出た直後から明らかにし、その後擁護論が出た後でも、辞意表明においてもハラスメント自体否定はしませんでした。これはさすが弁護であり、きわめてスマートな戦略だといえます。パワハラだったかどうかで争うのは勝ち目がないと判断されたのだとすれば、その視点は見事と言わざるを得ません。

事態をドロ沼化させるリスクを考えてのことであれば、きわめて理にかなった判断でしょう。浮気がバレた芸能人が、事態悪化しか招かない「不倫だったか友人だったか」をえんえん訴えるという、全く勝ち目のない戦いで消耗するような愚を避けたのです。

3.素早さ

もう一つ特筆すべきは対応の素早さです。2年前のパワハラについての報道が一気に広がったのが1/28。ネットニュースを始め、テレビでもしきりに音声というキャッチーな素材が流され続けました。2017年の豊田議員による暴言同様に、生声というキラーコンテンツの威力はすさまじく、一気にニュースは広まりました。またその際には来たる市長選への出馬を否定しないことも報じられ、これがまた激しい批判を呼んでしまいました。

しかし1/29に神戸新聞は暴言部分以外も含めた市長発言の全部を報道しました。この時点ではあまり注目を浴びませんでしたが、やまもといちろうさんなどの指摘から、単なる暴言ではなく対象となった市役所職員にもかなり問題があったことや、何よりこれが2年前の事件で、選挙を控えた今急に蒸し返されたことへの違和感が広がり始めました。

こうして潮目は再び変わり、擁護の声も出始めた中、2/2には市長自ら、辞意を表明したのでした。炎上事件はたいてい対応が遅く、だらだらと時間ばかりかけた結果、結局より延焼を呼び事態を悪化させることが多い中、わずか数日で究極の謝罪まで決断して行動した泉氏は、きわめて戦略的だといえます。それを意図したものかどうかは別に、こうした素早い行動は、市長への擁護をさらに強化していると感じられます。スポーツ団体で起こったパワハラ事件がぐずぐず時間を浪費したあげくに批判を増強してしまったのと正反対といえるでしょう。

4.残る課題は選挙

ここまで事態収拾においては、きわめて戦略的かつ成功理に進めたといえます、え??ハラスメントで辞職なのに?

芸能人スキャンダルが炎上したり、スポーツ団体が批判を煽ったりする広報対応をしたのに比べ、批判の炎を抑え、擁護論まで呼び込んだことは成功以外の何ものでもありません。もちろんパワハラ行為がなかったことに等はできませんから、いずれにしても辞職のような責めは負うしかないのです。

謝罪は、やらかしを無かったことにする魔法ではありません。

誰もがやらかす可能性のある失敗をしてしまった時、いかに二次被害を抑え、あわよくば挽回のチャンスを生み出せる土壌が作れたのなら、その謝罪は高く評価されるべきなのです。

泉氏が次の市長選挙に出馬するかどうかは本稿時点ではまだ不明です。擁護論が出始めた潮目をうまく御すことができれば当選はあり得るのではないでしょうか。特にハラスメントをいさぎよく認めた点は、不倫を「誤解」とか「友達」とかウソで逃れようとして結局ウソすらつき通せなかった芸能人の判断に比べ、非常に大きな武器です。さらに辞職をさっさと決めたことで、この判断力を強化することができました。

任期の問題もあって、出馬されるのか、その次の回に挑戦されるのかはわかりません。意図したかどうかは別に、戦略的判断にのっとって行動した泉氏には、「次」という選択肢ができたように思います。

それはすなわち謝罪戦略上、成功といえるでしょう。