家族3世代が熱狂する「超・非効率ファミレス」の全貌 三宝/読んで分かる「カンブリア宮殿」

大手に負けない繁盛店~非効率でも儲かる理由

新潟駅から車で15分。大手外食チェーンが並ぶ国道沿いに、新潟っ子を虜にする店がある。「レストラン三宝」新潟黒埼本店だ。昼時、行列は外まで溢れていた。待っている人は30人以上にのぼる。

料理を見ると、「鍋焼きうどん」(1058円)、握り鮨5貫「月」(799円)……。3世代の家族連れ客は、おじいちゃんがサーロインステーキ、おばあちゃんは和食のお膳を頼み、その向こうではお孫さんがパスタを食べていた。

ここは和洋中なんでもござれ。実に80種類以上のメニューを取り揃えたご当地ファミリーレストラン。子供からお年寄りまで、あらゆる層を満足させる家族3世代で来たくなる店。これが新潟で人気のファミレスの正体だ。

客に「全国チェーンもあるけど、ファミリー向けといえば三宝だと思います」と言わせる、大手を圧倒する人気ぶりの秘密はどこにあるのか。

「三宝流その1」は、出来立てを提供するコック集団にある。厨房には料理人がいっぱいいる。この店には11人。これは同じ規模の大手ファミレスチェーンの2倍以上になる。

 なぜこんなに必要かというと、チャーハンを作っているのは中華料理担当のスタッフ。ステーキに下味をつけているのは洋食担当。揚げ物専門のスタッフもいる。三宝では料理の種類ごとに別のスタッフが調理に当たるため、どうしても人数が必要になる。

しかも作り置きはせず、出来立てにこだわる。例えば「オムカツ」(1166円)なら、注文が入ってからカツに衣をつけ揚げ始める。同時に別のスタッフが卵をフライパンへ。3人のシェフが同時進行で作業することで、熱々のオムライスの上に揚げ立てのカツをトッピングすることができる。

あるいは、客から麺料理に半チャーハンをつけたいというリクエストがあった。メニューには半チャーハンはない。でも料理人が店内で作っているから融通がきく。お客のわがままにもこれくらいなら応えてくれる。

「三宝流その2」は、専門店に負けない味を提供すること。例えばパスタ「たらことベーコンのビアンコ」(864円)は、ファミレスのパスタとは思えないほどこだわっている。まず麺は小麦粉から練り上げる自家製の生パスタ。オリジナルの配合でモチモチ感を生み出している。麺に和えるタラコは木箱入りの釧路産高級タラコ。値は張るが、粒が大きく歯ごたえが違うという。

こだわりは調味料にまで及ぶ。中華料理に欠かせないラー油も自家製。180度に熱した菜種油を唐辛子とパプリカの粉末に混ぜ合わせる。独自の配合で料理に合ったラー油を作っている。

「三宝流その3」は儲け度外視の店作り。三宝は店の造りも大手チェーンと違っている。例えば店の奥には中庭が。吹き抜けの中庭は10坪ほどの広さがあり、その周りを客席が取り囲む格好になっている。庭を客席にすれば30席は増やせるが、この形にしたのには理由があった。

「お客様同士で目線が気になることもあるので、気持ちいい食事の空間にするため、中庭は重要な役割を果たしていると思います」(赤塚洋店長)

さらに奥にはお座敷があって長居もOK。居心地のいい店を作るためなら儲けは度外視だ。

東京にも進出~知られざるご当地グルメ企業

こうした大手ファミレスとは全く違うやり方で人気を集め、拡大している三宝。ファミレスの他にもラーメン専門店など、今や45店舗を展開している。厳しい外食業界にあって、売り上げも右肩上がりの快進撃を続けている。

その本部は新潟市西区ののどかな田園風景の中にある。新商品の開発に当たる試作室。あれだけメニューがありながら、客を飽きさせないようさらなる商品開発が進められている。

この日、試作していたのはジャガイモと牛乳を使った料理。ポタージュだ。それを大胆にもラーメンにかけてしまう。中華から洋食まで扱う三宝らしい試作品。オリーブオイルを散らして出来上がりだ。

三宝の2代目社長、金子博信は、ほとんど毎日のように試食をしていると言う。金子は商品開発ではあるルールを決めていた。

「開発段階では基本的には売価も原価も考えず、使う食材の制限も外して作ってもらいます。そうしないといい料理はできないと思うんです」

こうして作り上げた味を金子は東京でも試している。中目黒の「三宝亭東京ラボ」。この店ではメニューの数を絞り中華に特化。三宝の味ややり方が東京でも通用するのか、長い目で試している。

麻婆豆腐をそのままスープ代わりにかけるのは「全とろ麻婆麺」(1000円)。ご飯は新潟産のコシヒカリをわざわざ店内で精米して炊いている。新潟っ子を虜にする味が、東京でもファンを増やしていた。

「大手の真似のできないことで自分たちの強みをいかす。それが地域の方々に支持され続ける理由ではないかと思います」(金子)



創業者が目指した「何でもあるファミレス」

新潟市内の三宝・本店。お昼時に温厚そうな男性がやって来た。大人しく座って順番を待つおじいちゃんは、三宝の創業者で会長の金子行宏。日本庭園を置くアイデアも行宏会長が提案したものだという。

79歳になった今も、行宏会長は毎日、各店舗を回り味のチェックをしている。この日、頼んだのは日替わりランチ(799円)。エビ玉とチキンカツのマスタードソースがけと、ボリュームたっぷりだ。そもそも三宝の様々なメニューの味を決めたのが行宏会長だった。

行宏はもともと料理人。フレンチのシェフを目指し、1956年、18歳で東京のホテルに就職。11年間、本格的なフランス料理の修業を積んだ。1967年、29歳で独立。開いたのはフレンチではなく、大衆的な中華の食堂「三宝飯店」だった。当時の新潟でフレンチは敷居が高すぎるという判断だった。味のいい中華食堂は繁盛した。そして「親子3世代で来られるような店を作りたい」という思いを抱くようになった。

創業から3年後、行宏は思い描いた店を作る。それがロードサイド型のレストラン「レストハウス三宝」。家族3世代で来てもらうために考え抜いたのはメニューだ。当時のメニューには、本格的な中華料理とステーキやハンバーグという洋食が並んで載っていた。現在の“何でもあるファミレス”の原型となる店を作ったのだ。

「洋食と中華が五分五分で出る店はなかった。全国でも走りだと思います」(行宏)

これまでなかった3世代が楽しめる店は当たり、2号店もオープン。一方、「経営者としてもっと学びたい」と感じた行宏は、新潟から東京のコンサルタントの元へ通い始める。

すると3号店の出店を前に、コンサルタントが「今、東京で流行っている大手チェーンのような店にしよう」という提案をしてきた。

行宏はコンサルタントに言われるままの形で、1985年、3号店を作る。今までとはがらりと変え、小上がりや座敷は一切なく、大手ファミレス風の造りにした。

外観はアメリカから持ってきたようなデザイン。名前は三宝ではなく「サンフランシスカン・ナンバースリー」と横文字にした。海が近く、坂が多い。サンフランシスコのような場所の3号店だから「サンフランシスカン・ナンバースリー」というわけだ。

大手のマネはしない~決断を下した親子の物語

しかし、実際にオープンしてみると、やって来たのは流行に敏感な若者やニューファミリーばかり。3世代のお客はほとんど来なかった。計画ほど売り上げも伸びず、苦戦した。

そこで行宏が呼び寄せたのが、東京の大手ファミレスで修業していた息子の博信だった。1987年に入社した博信は、店を見て驚いたという。

「例えば味噌ラーメンが『リトルトーキョー』みたいな名前だったり、ちょっとハイカラすぎる店でした」

そこで二人は決断を下す。それは「家族3世代の客が来てくれる店に戻そう」という原点回帰だった。

まず店舗を改装して小上がりや座敷を作り、名前も三宝に戻した。すると1号店、2号店同様、地域のお客が来てくれるようになった。この時の出来事は、のちに社長となる金子に大きな教訓を残す。

「やはり一生に一度付き合ってもらえればいい商売とは違い、年に何回も繰り返し来ていただかなくてはならない商売。新潟の小さな町でスタートしたので、お客様に得をした気持ちになって帰ってもらわないといけない」

とにかく地元客からの信用を得ようと、原料から見直したものもある。例えば白菜。三宝の白菜は契約農家に作ってもらっている。重さは普通の白菜の2倍。ただ大きいだけではなく、一番の特徴が厚さ。これが美味しさを生む。「食感ですね。厚いと美味しく、薄いとペラペラして葉っぱっぽく感じてしまう」と、生産者の本間博明さんは言う。 

厚みのある大きな白菜をつくるため、栽培する間隔を通常の2倍とって育てている。

「お客様にこんなことまでやっているということは伝わっていませんが、美味しい白菜を作ることを優先している」(本間さん)

さらに普通のファミレスにはないサービスも。三宝には団体用の宴会プランがあり、ボリューム満点のコースメニューが1人2500円から味わえる。希望する場所まで来てくれる無料(新潟市内)の送迎バスもある。

黒字店も潰す~社員を育てる独自支援

この日、店舗回りをする金子が訪ねたのはラーメンの専門店「三宝亭」山田店。今や8つの県で34店舗を展開、グループの中でも成長著しい業態だ。

金子はすぐさま厨房へ。会話しながら従業員の顔を見ていく。店舗回りの目的は、業績よりも従業員が元気かどうかをチェックすることにある。こんなことをしているのも、ある目標を掲げているからだ。それは「どんなことがあっても潰れない会社を作りたい」(金子)ということだ。

その目標に近づくため、金子は去年、2軒の店を閉店した。その店にお客が来なかったわけではない。金子が閉店した店の年間収支を見せてくれた。資料によれば利益は400万円以上。黒字の店だった。

「黒字ではあったけれど、労働環境を改善していくという強いメッセージを込めたつもりではあるんです」(金子)

閉店した店にいた、現在は赤道錦町店店長の田村大地は、以前の状況を、「他のお店の人にヘルプで来てもらっても、まかないきれない状況に陥っていたんだと思います」と語る。

慢性的な人材不足に悩む外食業界。三宝も例外ではなかった。そこで状況を改善しようと2店舗を閉め、働いていた人たちを他の店に回したのだ。

さらに午後は通し営業だったのを改め、閉店時間も1時間早めた。営業時間を合計2時間半短縮し、従業員の負担を減らした。

「やはり家族や子どもと過ごす時間が増えて、私にとっては嬉しいことでした」(田村)

さらにパート社員のやる気を引き出す取り組みも。閉店した店舗で行われていたのはチャーハン作りのトレーニング。三宝ではチャーハンなどを作るのに社内資格が必要だが、パート社員でも取得できるように変えたのだ。試験に合格し資格を取れば時給が30円アップ。実際にチャーハンを作ればさらに特別手当てが出るという。

長岡寺島店のパート社員、佐野優奈はステップアップしようと半年に渡ってトレーニングを積んできた。この時間も時給が出る。

「キッチンで実際に料理を作って提供する姿にすごく憧れがあって、今回こそは受かりたいです」(佐野)

試験当日。社長が手際を見つめる中で、佐野は集中して鍋を振った。結果は見事、合格。パート社員がここまでやる気を出す会社は強いに決まっている。

外食をなんとか夢のある仕事にしたい。それを現実にすべく金子は新たな取り組みをスタートさせた。自己資金ゼロでも独立できる社員の独立支援だ。

その第1号が入社8年目の「さんぽう亭」五泉店店長、渡辺貴幸だ。「自分の夢に向けて動けるという期待感で、募集があった時点ですぐに手を上げました」と言う。

店の設計からメニュー作りまで三宝がバックアップ。準備期間も給料を払うと言う。気になる開店資金も三宝が1000万円まで無担保で貸し付ける。

「本当に助かります。ここまでしてもらえること自体、幸せです」(渡辺)

夢が社員のやる気を引き出し潰れない会社を作る。プラス思考の取り組みは始まったばかりだ。

~村上龍の編集後記~ 

最近、ファミリーレストランの本質を追究する店が増えていると感じる。しかも、それらの多くは「地方」に根を下ろしている。

「三宝」は、その典型で、「真のファミリーレストランを目指す」と明言する。

フレンチシェフだった父・行宏氏は、技術を封印し、中華を選んだ。結果、「本当に人を喜ばすことができる料理を作るのは簡単ではない」という哲学が生まれたのではないか。

アイデア満載の豊富なメニュー、家族がくつろげる空間、そして高度な調理技術と接客、すべて完璧だ。

激安競争から無縁であり、かつ無敵である。

<出演者略歴>

金子博信(かねこ・ひろのぶ)1968年、新潟県生まれ。1987年、東京レストラン経営専門学院を中退し、三宝に入社。2002年、社長就任。

金子行宏(かねこ・ゆきひろ)1938年、栃木県生まれ。1956年、東京日比谷日活国際ホテルに就職。1967年、レストラン三宝の前身となる三宝飯店を創業。2002年、会長就任。