日本一の温泉地・箱根を作り上げた「乗り物屋」の執念 小田急電鉄/読んで分かる「カンブリア宮殿」

絶品、絶景が続々~最強温泉・箱根、集客の秘密

芦ノ湖から富士山を望む神奈川県・箱根。年間2000万人が訪れる日本屈指の温泉地だ。

いったい何が客を引きつけるのかというと、例えば芦ノ湖のほとりに最近できた「ベーカリー&テーブル箱根」。大にぎわいの店内で売れまくるのは焼きたて、アツアツのパン。その味わいはどれも個性的。厨房で揚げているのはサクサク食感の「米粉のカレーパン」(345円)。割ってみると丸ごとのゆで卵が入っている。

でも、客の一番のお目当ては長いテラス席。なぜか客が次々と裸足になり始めた。すると、下には足湯が。ここは足湯につかりながらパンが食べられる箱根の新名所なのだ。

箱根にはそんな魅惑のスポットが続々と誕生している。

去年できた施設「茶屋本陣 畔屋」は、小田原の絶品の店が集結するちょっとユニークな商店街。例えば1894年に創業した「しいの」には、選りすぐりのおつまみや美味しそうな珍味が並んでいる。その全てを、炊きたてのご飯にのせて無料で味見することができる。中でも一押しは梅に小魚と昆布を合わせた「うめぇじゃこ」(130g540円)だ。

一方、1865年創業の蒲鉾の名店「鈴廣」も、ここでは一味違う。作っているのはおいしそうなたこ焼きだが、「周りの衣が魚のすり身でできている」という。箱根でしか味わえない「かまぼこ屋のたこ焼き」(6個入り500円)。カツオ節と特製甘辛ソースの組み合わせが病み付きになる。

連日行列ができる「箱根湯寮」もユニークな新スポット。廊下にはいくつもの扉が並んでいる。扉を開けると休憩スペース、その向こうには露天の岩風呂が。隣の部屋を覗いてみると、こちらは五右衛門風呂。実は貸し切りで利用できる贅沢な日帰り温泉だ。2人部屋で1時間3900円から。プライベートな空間で温泉を楽しめると、大人気なのだ。

箱根はそんな魅力的な新スポットで客を呼び込み、全国の温泉地ランキングでも圧倒的トップに君臨し続ける王者だ。そこには箱根の仕掛人とも呼べる企業があった。それが新宿駅を拠点に路線を持つ小田急電鉄だ。「畔屋」も「箱根湯寮」も小田急グループが運営する施設なのだ。

小田急の独自戦略~乗り物エンターテインメント作戦

関東の私鉄の多くはそれぞれの沿線に行楽地を抱えている。例えば京王は高尾山。西武は秩父、そして東武は日光・鬼怒川温泉。

しかし、その中でも箱根の強さは群を抜いている。実はそれを作り上げたのが小田急の独自戦略だった。それは箱根に行くだけで楽しい乗り物エンターテインメント作戦だ。

まずは新宿から箱根に向かう特急ロマンスカー。最大の売りは先頭がガラス張りの展望席。箱根への道のりは感動の連続だ。真正面に富士山、美しい沿線の桜並木……我を忘れて景色に釘付けになる。

ロマンスカーの歴史はすでに80年に及ぶ。戦前の1935年、新宿~小田原間をノンストップで結んだ週末温泉特急がそのはじまりだ。小田急は箱根への道のりを楽しんでもらうため様々な車両を開発。最近では都心の客を箱根に誘うため、地下鉄に乗り入れるロマンスカーまで登場させた。

車内で“箱根ファースト”なサービスをするのは車掌さん。例えば箱根のガイドブックを見ている客を見つけると、始まったのは箱根を楽しむアドバイス。こんなサービスのおかげで、乗っているだけで箱根への期待感が高まるのだ。

新宿から1時間半。あっという間に箱根の入り口、箱根湯本へ到着。だが一口に箱根と言っても、かなり広範囲なエリアとなる。ロマンスカーが着く湯本に、噴煙を上げる大涌谷、芦ノ湖の畔の箱根町と、観光スポットは点在している。この道のりを小田急が、レジャーに変えた。

それを楽しむために欠かせないのが、箱根の乗り物を2日間、自由に乗り降りできる4000円のフリーパスだ。

ロマンスカーの終点、箱根湯本で客を待ち構えるのは、隣のホームの赤い車両。日本一の急勾配を登る箱根登山電車だ。終点まで450mの高低差を、スイッチバック方式で、進行方向を変えながらジグザグに登って行く。窓の外は新緑の絶景。景色に目を奪われているうちに終点、強羅駅に到着する。

するとすぐに次の乗り物が待ち構えている。箱根登山ケーブルカーだ。わずか1キロの区間だが、歩くと30分かかる急勾配を快適に移動する。早雲山駅でケーブルカーを降りると、また別の乗り物が。空を走る箱根ロープウェイで、間近に迫る富士山の絶景と、大涌谷の噴煙を眼下に空中散歩。そしてその終着駅は芦ノ湖の湖畔の桃源台駅。そこには巨大な箱根海賊船が待ち構えている。気持ちのいい風を受けながら、日本屈指の絶景を堪能できる。

このいくつもの乗り物で周遊するコースこそ、小田急が作り上げた「箱根ゴールデンコース」。もちろん全ての乗り物を小田急が運行している。箱根はいわば絶景と乗り物のテーマパークなのだ。

新宿駅を起点に年間7億人の足を支える小田急は、売上げ5200億円を越える大企業。だが、その中で最も重視してきたのが、ロマンスカーで結ぶ箱根戦略だという。

小田急電鉄会長の山木利満は「創業以来、箱根急行を目指していた。それが会社が成長していく原動力になったと思います。箱根がよくなっていけば、小田急もよくなっていく」と、語る。

そんな山木が自慢するのが、子供にも大人気のロマンスカーの展望席だ。小田急は少しでも客に眺望を楽しんでもらいたいと、他にない車両の開発に資金を投じてきた。

そしてその投資は箱根でも。その額、10年で実に200億円。登山鉄道に窓の大きい新型アレグラ号を導入し、ロープウェイも最新鋭のものに架け替えた。そんな魅力を磨き続けることで、小田急は箱根をドル箱へと変えたのだ。

「箱根の魅力にはいろいろな要素があって、まだまだ掘り起こすことができる。それだけの潜在能力が箱根にはあると思います」(山木)

名門宿も新たなチャレンジ~箱根の変貌力

新たな魅力で客をつかんできた箱根。それは名門、「富士屋ホテル」にもあてはまる。創業は明治11年。登録有形文化財に指定される歴史ある建物には、喜劇王チャップリン、ヘレン・ケラーなど、様々な伝説の著名人が宿泊してきた。

そんな名門の敷地内にできた、今までにない店が「富士屋ホテル ピコット」。人気を呼ぶのは、大小様々な「富士屋ホテル」自慢のパイだ。100年前のレシピから作るパイを新たな魅力にすべく始めたという。

「歴代の当主は海外のお客様を迎えるためにいろいろなことをやり続けてきた。常にやり続けているのが富士屋ホテルなんです」(同ホテルの折田道明さん)

1959年創業、開業から半世紀の「箱根ホテル小涌園」も大きなチャレンジに取り組んでいる。三井家から譲り受けた美しい庭園で親しまれてきた小涌園だが、実は来年、その営業を終了する。

その理由が隣に立つ、まるで高級マンションのように生まれ変わった新たな「箱根小涌園 天悠」だ。最大の特徴は150室全ての部屋に温泉の露天風呂が完備されていること。食事付きで1泊3万3000円~と、従来より価格もアップ。老舗旅館の大胆な挑戦がまた新たな箱根の魅力を作っていく。

伝説の箱根山戦争~小田急が挑んだ秘策とは?

戦前の箱根は富裕層の別荘地。まだゴールデンコースもない不便な場所だった。現在のような観光地に変貌を始めるのは1950年代。それは箱根のバス路線を巡る、企業間の争いがきっかけだった。

1社は小田急。そしてもう1社は西武だ。この小田急と西武の争いは箱根山戦争と呼ばれ、訴訟問題にまで発展した。そんな両社の攻防を目撃した「きのくにや旅館」の川辺ハルト社長によれば、「まさに観光客を奪いあっていた」という。

10年にもおよぶ争いのすえ、小田急は1960年、西武のバス路線の真上に芦ノ湖へ抜けるロープウェイを開通させ、現在のゴールデンコースを完成。西武との争いに終止符を打ったのだ。 

そんな格闘の末に小田急が掴み取った箱根に4月、ある若者の集団がやって来た。観光かと思うと、何やら必死でメモをとり始めた。彼らは今年入った小田急の新入社員。箱根の魅力を叩き込むため、ゴールデンコースの周辺をくまなく回る研修だった。

もう30年以上も続く取り組みで、夜は泊まり込み、自分なら箱根の魅力をどう伝えるか、グループでレポートをまとめていく。

「小田急の社員として、箱根がすごく重要なことを理解してもらいたいですし、その大事さを若いうちから認識してもらいたいと思います」(研修センターの北野麻衣副所長)

競い合いながら育ててきたかけがえのない箱根を、また新たな人材が磨いていく。

複々線化も来年完成~大胆な挑戦が道を切り拓く

小田急はかなりの挑戦を繰り返してきた会社である。その代表が、大切に保管される伝説のロマンスカー。新幹線もまだない1950年代に作られた「ロマンスカーSE」だ。

「これを作るために試作モデルを100以上作り、空気試験から導き出されたのがこの流線型だったんです」(小田急電鉄・瀬下順次)という。車体の曲線は、新幹線のルーツとも言われるほど斬新なものだった。

小田急は大胆な挑戦こそが道を切り開くと、創業以来、信じてきた。

その小田急が今、壮大な挑戦をする舞台が下北沢駅。その地下へ伸びる4本のトンネルの先で進んでいたのは、下北沢駅の地下に2階建ての線路を掘り、線路の数を倍の4本に増やすという大掛かりなプロジェクトだった。

小田急全線を監視する指令センターに、ラッシュアワーの8時前、緊迫した空気が張り詰める。この時間に走っている列車は1時間に27本。まさに超過密ダイヤだ。列車を正常に運行させるための攻防がここで繰り広げられている。

沿線人口が増え、年間7億人を運ぶ小田急は長年、限界の混雑状況で運行してきた。その状況を根本から解決するため、30年前に始まったのが複々線化工事だ。思い切って線路を倍に増やすという大胆な作戦。すでに下北沢以外の区間は完成し、来年の開業を控えている。

長年の課題にも、小田急は大胆な投資で挑んでいる。

世界が認めた箱根~外国人客100万人殺到の秘密

これまでにない店が続々生まれる箱根に、また新たなスポットが。箱根町の「ナラヤカフェ」でくつろぐのはなぜか外国人ばかり。ここは足湯に浸かりながら、ピザや世界各地のお酒まで楽しめる外国人御用達の店なのだ。

実はここ数年、箱根の魅力に気付いた外国人が一気に押し寄せている。その数、過去最高の年間100万人。この箱根人気の裏には小田急の地道な努力があった。

開設して18年になる外国人専用旅行案内所。ここでは様々な国の言語を話せるスタッフがどんな質問にも丁寧に答えてくれる。

小田急の海外への努力は南国タイにまで及んでいた。バンコク市内を歩き回るのは、電車が好きで小田急に入ったという関隆宏だ。

箱根の売り込みに本気で挑んでいる小田急は、去年、バンコク市内に事務所を開設した。「旅行会社のニーズを聞いたり、ほしい情報をすぐに提供するために設置しました」(関)と言う。現地の旅行代理店とパイプを作り、一緒になって箱根を売り込む作戦だ。日本に興味がある人を見つけては聞き込み調査も。

訪れれば必ず感動できる箱根の魅力を信じて、遠く離れた灼熱の地で戦っていた。

スタジオで「小田急の試みは日本全体の観光立国戦略のモデルケースになるのではないか」と村上龍に問われた山木は、次のように答えている。

「そういう役割を担えればいいなと思っています。ただロマンスカーに乗ってもらって、箱根のゴールデンコースを回って、富士山を見て、温泉に入って、ではなく、もう少し深く日本文化を知ってもらえる試みを箱根でもやっています。そういうお客様を箱根だけではなく、違うエリアにもご案内できるように、幅広く活動できればと思っています」

~村上龍の編集後記~

空の便も新幹線も充分に整備されていない時代、地方の人々にとって、箱根は遠い憧れの地だった。

「ロマンスカー」という名称は、九州西端に住む少年にとって、艶めかしく、幸福なイメージをかきたてた。

近年、インバウンドの観光客にも人気が高く、以前より身近になったが、富士を仰ぎ、峻険な峠が続き、静謐な湖に囲まれ、彼方に海を望むという、その多様な魅力は変わることがない。

観光地として懐が深く、幅も広い。だから高級リゾートでもあり、庶民の行楽地の代表でもある。

箱根は、大自然との共生の歴史そのものかもしれない。

<出演者略歴>

山木利満(やまき・としみつ)1947年、神奈川県生まれ。1970年、東京都立大学卒業後、小田急電鉄入社。2011年、社長就任。2017年、会長就任。