機動戦士ガンダム THE ORIGIN 公式ガイドブック 解説

題名:驚きと期待に満ちた<起源>の再生(※起源には「オリジン」のルビを)

●再生への期待に満ちたガンダムのマンガ化

 『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』が初めて世の中に姿を見せたのは、雑誌「ガンダムエース」創刊直前、雑誌「月刊ニュータイプ」2001年6月号のプレビュー記事であった。筆者が紙面構成を担当させていただいたとき、かなり気をつけたことがある。自分が画稿を見たときの感情を余さず再現する……その一点である。その感情とは、驚愕と歓喜、何よりも「これから何かが始まる」という期待とときめきの予感であった。

 それは単なる新作が始まるという期待ではない。見慣れたはずのものが、新しいものに生まれ変わる、再生への期待である。本作が好評を持って受け入れられ、連載が丸3年を超えた現在も、その感触は変わらない。

「安彦良和がガンダムをマンガ化する」プロジェクトの成功とは、さまざまな古い枠組みを材にとって活性化させる「21世紀の奇跡」の象徴ではないかという思いでいっぱいだ。

 なぜそこまで深い意味性を感じるのか、ここで少し掘り下げて述べておきたい。

『機動戦士ガンダム』は、もともとロボットの玩具を売るためにスタートしたTVアニメ作品である。オープニングでは「原作:矢立肇、富野喜幸(現:由悠季)」とクレジットされているが、印刷物として流布する形態の「原作」があるという意味ではない。こういったタイプの作品は「オリジナル」と呼ばれ、原作はアニメのフィルムそのものとなる。その制作には数多くの人の知恵と努力が結集しているため、マンガ作品を原作にした作品とは成り立ちそのものが違う。

 「富野由悠季著」の小説版はアニメフィルムを「ノベライズ(小説化)」という作業をしたという位置づけで、『THE ORIGIN』も同様に「コミカライズ(マンガ化)」という範疇の作品となり、「原作」ではない。しかし、そこに「オリジン(起源)」という副題がついているのは伊達ではない。それは極めて根元に近いオリジナルスタッフが手をかけるということを意味しているからだ。

●安彦良和のオリジナルキャラクターづくり

 一般的に映画の公開時、「ノベライズ」「コミカライズ」作品が出ることは半ばルーチン化している。作者は独立した作家であることが多い。そういう作業は「アダプテーション(翻案)」と呼ぶべきものだ。そのぐらい映像作品から他のメディアへと移し替える行為は、非常に難しいとされている。

 ところが、『THE ORIGIN』は、そのなかなかうまく行かない変換作業に、独特の優位性と価値が生じている。その特殊性を説明するには、原作となった『機動戦士ガンダム』のフィルムにおいて安彦良和の果たした多岐にわたる役目にさかのぼらねばならない。

 TVシリーズが企画されたのは1978年。映像作品は、この段階で「プリ・プロダクション」という開発作業を必要とする。何度も打ち合わせを重ね、舞台設定、物語、メカ、キャラクターと材料を集め、多角的に議論して作品世界の基礎工事を行う。

 ここで安彦良和はキャラクターのラフ原案を提示、その大半は決定稿とほぼ同じイメージのものであった。このラフからアニメーション作画用の設定が起こされる。大勢で作画するアニメでは誰が描いても同じになるよう設計図が必要で、三面図や表情バリエーションなどの絵が多数起こされる。この時代は「メカ作画監督」という職種がないため、ガンダムのポーズやコア・ファイターなど、メカの一部も安彦良和が大河原邦男のデザインをベースに作画用設定を起こしている。

 これらメインの設定書は番組スタート前に用意されるが、シリーズが1979年に実制作(プロダクション)に入った以後は、各エピソードで必要に応じてゲストキャラクターが用意された。また、1年近い長期シリーズのため、後半に登場するレギュラーも途中で設定される。

 こういった一連のキャラクターの容貌、プロポーション、服装などを決める作業が、安彦良和が「キャラクターデザイン」とクレジットされている部分で、『THE ORIGIN』の大半のキャラもその時点のデザインが踏襲されている。

●アニメ映像としての「画」を総合的に統括した安彦良和

 他に安彦良和は「作画監督」と「アニメーション・ディレクター」という役職名でクレジットされている。

 前者はアニメの原画を統括する役職で、キャラクターのニュアンスを設定に合わせたり、芝居のもとになる動きに手を入れてまとめる仕事だ。『ガンダム』の場合は第一原画、レイアウトを安彦良和が描いた場合も含まれていて、特に1981年に劇場版として再リリースされたときに作画の統一作業は一段と本格化したが、本稿では子細は割愛する。

 後者は定義が現場によってまちまちであるが、『ガンダム』の場合は原作者、総監督の富野由悠季に極めて近いポジションにいて、絵的なものを統括したという点が、このクレジットを必要とした理由であろう。物語や世界観、ドラマ展開は富野総監督がリードするが、実際の画面では、レイアウトや作画を経て、個々のキャラクターが演技をすることで初めて「表現」となって伝わる。

 つまり、どんな演出プランにも実行面では絵の媒介を必要とするわけで、そこに「絵描きとしての翻訳」を行うという役割だったのではないか。そこには作画を統括し、整理する作画監督以上のスキルが要求される。その点、安彦良和は数々の作品で絵コンテ、演出を経験済みであったため、全方位的に対応可能な逸材であった。

 このようなレベルで、キャラクターの発生から演技まで総合的な「画」(映像としての絵)のディレクションを行うということは、結果的に安彦ならではの創造的要素、つまり「味」の部分が多分に乗って顕れるということに他ならない。

 これに加えて安彦良和は、フィルム外での「画」についてもリードしていた。本来は線画で勝負するアニメーターでありながら、ガッシュなど厚塗りで主線を持たないイラストレーションを描き、これはそれまでセル画中心だった版権用のアニメイラスト(書籍やレコードの表紙など)のあり方を刷新した。

 『THE ORIGIN』という言葉の意味は、アニメ版『ガンダム』の開拓時代における総合的な安彦の「味」が原液のまま詰まり、理想的なマンガへの変換がなされたという意味でもある。その点でも非常に画期的なマンガ化なのである。

●歴史の年輪を経て深まるガンダムの味

 安彦良和は、ちょうど『ガンダム』のTV放映時に雑誌「リュウ」(徳間書店・現在休刊)に連載された『アリオン』でマンガ家としてデビュー。時に柔らかく、時に剛胆な、面相筆を使った独特のタッチは大評判となった。1980年代末からはマンガ家専業となり、主に歴史上の事件や人間に材をとった力作を多数発表、マンガを描く上でのスキルを磨くとともに、歴史の流れとそこ蠢く人と人のドラマを一貫して大河的に描いて来た。

 20数年前の『機動戦士ガンダム』もまた、風雪を経て生き延び、何度となく語り直された視点で改めて見直すと、時制は未来ではあってもそうした大河的歴史観に通じるものがひとつ貫かれている。年輪を加えて、まさに安彦良和が描くにふさわしい材として浮上してきたのではないだろうか。

 同じ歳月は、読者の側にも同じように流れている。この熟成の感覚は、送り手と受け手の共鳴をもたらすものなのだ。読者の望むことにただ応えるだけでなく、良い意味での裏切りが読者を驚かせる。物語の本質は押さえながら、細部は当時のさまざまな制約を超えて安彦アレンジが加わり、安彦マンガとしての味は濃くなる一方だ。

 もはや古典化しつつある『ガンダム』を、これから安彦良和はどんな切り口で料理し、読者をどこへ連れていこうというのか。まだまだゴールまで充分に楽しめそうである。

【2004年7月5日脱稿】初出:「機動戦士ガンダム THE ORIGIN 公式ガイドブック 1」(KADOKAWA刊)