納得するまで商品化せず!ロングセラー生む桃屋の「良品質主義」【桃屋】/読んで分かる「カンブリア宮殿」



商品の半数は大正・昭和からのロングセラー

現在、桃屋が作っている商品は37品。昔からあるおなじみのものばかりだ。

例えばらっきょうの甘酢漬け、「花らっきょう」の発売は大正10年で、95年も続くロングセラー。ご飯のお供、海苔の佃煮の「ごはんですよ!」は桃屋の売り上げナンバーワン商品。これも発売から43年というロングセラーだ。1920年、大正9年創業の桃屋。最初に作った「鯛みそ」「でんぶ」「桜花漬け」は今も現役だ。

37品のうち、18品は大正・昭和からのロングセラー。この息の長さこそ、桃屋最大の特徴だ。

桃屋といえば三木のり平さんのアニメCMも有名。昭和33年から続き、現在も流れるこのシリーズ、合計320本以上が制作されたご長寿CMだ。

桃屋にはなぜロングセラーが多いのか。「伝統的な作り方を大事にして、手抜きをせずに作ってそれを瓶につめてお客様に提供する。それが『良品質主義』の特徴です」と、社長の小出雄二は語る。

キーワードは「良品質主義」。徹底的に品質にこだわれば、結果、ロングセラーになるというわけだ。

良品質主義から生まれた商品の一つが「味付榨菜」。昭和43年の発売から48年、変わらぬ味を貫いている。この味はいかにして生み出されるのか。



本場中国でも珍しくなった伝統製法を守る

桃屋のザーサイは中国で作っている。広東省にある桃屋の珠海工場。巨大な工場の中には、およそ5000個の甕が2段積みで並んでいた。

ザーサイは1年も漬け込んで作る中国の漬け物。甕の中にはゴロゴロした塊が入っている。そもそもザーサイは、中国産のからし菜の一種。食べているのはコブの部分だ。

産地は一年を通して寒冷で霧が多い重慶。この地でしかいいザーサイは育たない。畑から収穫したザーサイは木に掛けて2週間、風に当てる。これであの歯ごたえのある肉質になる。

味付けは唐辛子や漢方薬に使われる十数種の香辛料。たっぷり混ぜたら、そのままカメの中に押し込む。ちなみにこの木の棒で押し込む作業を中国では「ザァ」と言い、「榨」という漢字があてられる。そこに野菜の菜がついて「榨菜」となる。

そして甕で1年。ようやく取り出す頃には深い風味と独特の味わいがしっかり染みこんでいる。その後、塊を薄くカットし、シャワーを当てて香辛料を洗い流す。仕上げに油で炒めてから瓶詰めにすると、おなじみのザーサイになった。これが本来の伝統製法なのだ。

「1968年に発売になってから、基本的な作り方は変えておりません」と、調達部の庄司忠司は言う。

今やこの伝統製法は中国国内でも珍しくなったと言う。長年、桃屋のザーサイを栽培している呉浩さんによれば、「ザーサイを伝統的な工程で作っているところは桃屋以外、ほとんど見かけなくなった。必要な工程を省いて作ったザーサイは、香りや口当たりと言った本来の特徴が失われているよ」。

ザーサイの本場中国でも際だつほど、桃屋はこだわっていた。



小瓶に隠されたこだわり~誰にでも作れるものは作らない

桃屋の中でもっとも売れている「ごはんですよ!」にも、良品質主義は貫かれている。

その原料となる海苔は三重県の伊勢湾で養殖している。育った海苔は、同じ三重県の松阪工場へ塊で届く。ヒトエグサというその海苔に、「ごはんですよ!」の美味しさの秘密がある。

昔から一般的な海苔の佃煮は、乾燥した板海苔で作られてきた。これだと「固形感があって、どっしりした昔ながらの海苔の佃煮に仕上がる」(開発部・佐藤秀樹)のだそうだ。一方、「ごはんですよ」に使うヒトエグサは乾燥させず、収穫した生の状態。これで作ると、「ご飯を包み込むようなトロッとした食感の海苔佃煮に仕上がります」(同)。

従来とは違う生海苔で、独特のトロミを生み出したのだ。

ヒトエグサが運び込まれた工場は、実は製造現場ではない。なんと洗浄専門の工場。海で育てた海苔にはどうしても異物が混ざる。それを取り除くためだけに、4億円もかけて作ったという。

異物はレーンに流しながら取り除く。赤いベルトコンベアをよく見ると、水の流れと逆方向に動いている。マットの表面には無数の小さな突起が。この突起のサイズだとヒトエグサは引っかからないが、それより小さな異物は引っかかる。これで海苔と異物を一気に選り分けているのだ。

異物を取り除いた海苔は、今度は真っ白な服を着た人達のもとへ。ここでは手作業で、さらに異物を除去するための選別が行なわれている。除去されたものを見ると、ほんの数ミリしかない海藻だった。「食べられるものですが、ヒトエグサではないので、炊いてもやわらかくならないから」(製造課・村田美穂子)」という。

さらに他の工程も行ない、ヒトエグサの洗浄はようやく終了。きれいになった海苔は、別の工場に運ばれ、「ごはんですよ!」となる。

小さな瓶の中には、徹底してこだわり、品質を追求する桃屋の姿勢が詰まっている。

「誰でも簡単に作れるものは作らない。みんながやりたがらないことをあえてやることで、他にはない美味しさができると思っています」(小出)

こんなやり方で不動の人気を確立した桃屋。去年の売上は114億円に達した。



桃屋から新商品がなかなか出ない理由

今年発売されたばかりの「トムヤムクンの素」。桃屋の新商品としては2年ぶりだという。

他の食品メーカーが年間に幾つもの新商品を出す中、桃屋は数年で3~4個程度。新商品がない年もある。これは食品業界ではかなり異色だ。

イトーヨーカ堂加工食品部の田原哲さんも「一週間に何千という新商品が出ますが、残っていく商品は一握りしかないんです。その点、桃屋さんは確かに出す頻度は少ないけれど、出した商品は売れるという印象はあります」と、証言する。

しかし、なぜこんなペースなのか。開発部の品田直明に聞いてみると、「なんとか出したいと思っているのですが、ほとんどのものが『アイデアが足りない』『味付けがあまり……』といって却下され、ちょっと悔しい思いをしています」と答えた。

実は桃屋には商品化までに高いハードルが存在する。先代社長で現・相談役、小出孝之、90歳の存在だ。毎週行なわれている試食会で、孝之のOKが出ない限り、商品化はされない。

そもそも、「ごはんですよ!」や「味付榨菜」「キムチの素」「食べるラー油」といったヒット商品は、全て先代の孝之が商品化してきたのだ。

商品化する、しないの判断基準を孝之に訊ねると、「自分が食べたいと思ったものを作る。どこかで拾ってきたりするのではなく、自分が食べたいと思ったものを考え出す」という答えが返ってきた。



日本の食文化を豊かにした伝説の男

始まりはザーサイだった。今でこそ誰もが知っているが、孝之が初めて出会った時は、ほとんど知られていない食べ物だった。それは孝之がまだ子供だった80年以上前のこと。親に連れられ、高級中華料理の店に入ると、料理の脇に添えられていた漬け物の美味しさにビックリ。これがザーサイとの出会いだった。

その味が忘れられなかった孝之は、戦後の昭和25年(1950年)に桃屋入社後、ザーサイを探し回る。そしてたまたま中国から直輸入されたザーサイを見つけ、製造元を辿って伝統製法を学び、1968年、商品化にこぎつけた。だが、「『誰も知らないから売れない』と言われた。当時の社長も反対していたし、社員も『わからない』と」いう状態だった。

そこで孝之は、当時、大人気だった映画『007』のパロディCM、『味付榨菜007篇』を放送。これがお茶の間の目に止まり、食べてみたら美味しいとヒットしたのだ。こうして、桃屋の手によりザーサイは日本の食文化の一つとなった。

この成功体験から孝之は「日本の食卓にない物を作っていこう」と、心に決める。

その精神が生きる、記憶に新しいヒットが、「辛そうで辛くない少し辛いラー油」。それまではあくまで調味料だったラー油を、直接味わう「食べ物」に変えたのだ。



今も社内にいきづく“小出孝之イズム”

実はこの商品のインパクト十分の名前を考えたのも、孝之だった。

「言葉を選んで出す俳句みたいなもの。瞬間的にキャッチフレーズが浮かぶものですから」(小出孝之)

代表的なヒット商品のほとんどは孝之が名付け親だ。ユニークなネーミングは「ごはんですよ!」から。

「あの当時は『時間ですよ』というドラマも流行っていたし、ごはんのときに女房が『ごはんですよ』とばかり言うので、それをつけちゃえ、と」(同)

商品化の高いハードルはいまだ健在だが、開発部のスタッフも、ただ引き下がってはいない。

「開発の人間はやはり作ったものを出したいと思っているので、頑張って粘って提案し続けています」(品田)

最初の提案から実に15年。「トムヤムクンの素」は品田らの執念で世に出たのだ。

トップを退いた今も、桃屋には孝之のイズムがいきづいている。

孝之の創造性に感心しきりの村上龍が気になったのは、その創造性と経営のバランスをどうとるのか、難しいのではないかということだった。村上の問いに小出はこう答えている。

「先代は『適正規模の経営をする』と言うのですが、それはみやみに規模を求めないということ。いい原料というのは限りがあるんです。そんなに世の中にはたくさんない。むやみに規模を広げると、ちゃんとお客様に提供できなくなる。もちろん成長も目指していますが、量より質だと思います」



進化する老舗~桃屋製品で簡単レシピを提案

続けて村上龍は、偉大な先代から桃屋を引き継いだ小出に訊ねたのは、「守るところと変えるところがあるのではないか」ということだった。

「私が課題として思っているのは、商品の使い方を知らないお客様が多いということです。当社の商品を使っていろいろな料理が簡単に美味しくできる。その価値をお客様にお伝えすることができれば、もっと使っていただけるかなと思います」

そんな小出が、桃屋の商品の価値をもっと知ってもらおうと始めたことがある。商品を調味料的に、味付けで使う料理の提案だ。

料理のレシピは会社のホームページで紹介している。「ごはんですよ!」を使った黒いチャーハンや、「いか塩辛」を使ったペペロンチーノなど、どれも簡単に作れるものばかりだ。

実はこれらのレシピのほとんどを、一人の主婦が考え出した。小出の妻、真美さん。先代、孝之の娘にあたる。

創業家に生まれ、小さな頃から桃屋の商品を使った料理を食べて育ったと言う。

「亡くなった母は料理がとても上手だったので、例えばしゃぶしゃぶを食べた後のスープに、『味付榨菜』を入れてスープにしたり。そういう食事をしてきたので、そこで育ったというか……」(真美さん)

そうした料理に目をつけたのが、婿養子の小出だった。

「主婦の方は忙しいですよね。冷蔵庫にあるもので、簡単に美味しく作れる料理を求めている。そういったものを提案しています」(小出)

桃屋のホームページに載っていたのは、創業家の秘伝レシピだったのだ。現在載っているレシピは127種類。そのほとんどは真美さんが考案した。



~村上龍の編集後記~

あまりになじみ深いために、その企業がいかに努力を重ね、すばらしい商品を作っているか、気づきにくい場合がある。

「ごはんですよ!」を知らない日本人はたぶんいない。

経営理念は「良品質主義」、文字数はたった5つだが、創業時から徹底して守られてきた。

商品は、すべて食材としても使用できるベーシックなもので、生み出されるレシピはおそらく無限だと思う。

そんな食品は、他にない。創業以来、素材と製法において決して妥協しない「桃屋」は、伝統を守りながら、進化し続ける。





<出演者略歴>

小出雄二(こいで・ゆうじ)1961年栃木県生まれ。1985年、慶應義塾大学商学部卒業後、味の素入社。2011年4月、桃屋入社。同年12月、社長就任。