無添加の焼き立てパン屋が急増中!「5日で開業できる」手法の秘密・おかやま工房/読んで分かる「カンブリア宮殿」

無添加パンに大行列~地方の知られざるパン専門店

駐車場待ちの車の列ができるパン屋さん、「おかやま工房 リエゾン」。リエゾンとは「絆」という意味だ。中を覗くと広々とした店内にお客がいっぱい。パンの種類は常時85種類。岡山県で売り上げトップのパン屋だという。

ヨーロッパ生まれのクロワッサン、昔懐かしいクリームパン。一番人気は揚げたてのカレーパン。売り場に並んだとたんお客が集まり、次々とトレーに乗せていく。あっという間になくなるが、5分もするとすぐまた揚げたてが。このカレーパン、一日1000個以上も売れているという。

この店のパンはどれも塩やバターが控え目。その分、小麦の香りが引き立つ。シンプルな味で体にも優しい。さらに、パン生地には添加物を一切入れていない。小麦粉の種類や水の量を工夫することで、添加物なしでもふっくら、もちもちのパンを作り上げている。

お客が「毎日食べたい」と口をそろえる人気のパン屋を作り上げた、おかやま工房社長、河上祐隆はこう語る。

「パン屋というのは地域密着で、ご近所とか地域の人に毎日来ていただいて食べていただけるということで、おいしくて毎日食べ続けられて、なおかつ健康を害さない安全安心で体にいいもの、をテーマに作っています」

シンプルな味と安全安心なパンで、週末には1日1000人以上の客が来るという。東京と岡山に3店舗を展開している。

パン屋のオーナーとして成功を遂げた河上だが、実はもうひとつ別の顔がある。

東京・新橋である集まりが開かれていた。参加しているのはパン屋のオーナーたち。彼らの前に河上がいた。河上は未経験者にパン作りを教え、開業までをサポートしている。  

その名もリエゾン・プロジェクト。彼らはこのプロジェクトの卒業生。みな、短期間でパン屋をオープンしたという。

リエゾン・プロジェクトでは無添加パンの作り方などをわずか5日間の研修で学ぶ。その後、開業までのコンサルティングやオープン直前のサポート、開業後のアフターフォローもしてくれる。

都心から過疎の町まで~無添加パン屋急増の理由

ある卒業生の店を訪ねてみた。東京・杉並区の「ラ・スリーズ」。広さ3坪ほどの小さな店は、いつも地元のお客でにぎわっている。一番の人気のクロワッサンは1つ140円。外はサクサク、中はモチモチで、多い日には100個以上が売れるという。

オーナーの櫻木幸人さんは5年前に脱サラし、リエゾン・プロジェクトでパン作りを学んだ後、この店を開いた。

「河上さんは生粋の職人で、彼の30年の経験で考え抜いたシステムを5日間に集約したものを私に教えてくれました。だから10年の研鑽を積まなくてもパンが作れた」(櫻木さん)

地方で店を開いたオーナーもいる。愛媛県伊予市の過疎の町に去年オープンしたのは、古民家を改装した「ぱんや107」。近所だけでなく隣町からも人が集まるようになり、ちょっとした交流の場になっている。縁側に座って焼きたてパンを食べられる。

オーナーの伊藤洋一さんは去年、家族6人で東京からこの町に移住してきた。町にパン屋がないことを知り、リエゾン・プロジェクトの研修を受けて店を開いた。

「今回このシステムに巡り会えたことによって、短い期間で移住して開業まで進めたという部分に関して、おかやま工房さんに感謝している」(伊藤さん)

リエゾン・プロジェクトでオープンしたパン屋はこれまで120店舗以上。北海道から沖縄まで、すごい勢いで増えているのだ。

なぜ河上は他人の開業を支援するビジネスに乗りだしたのか。その裏にはパン業界が抱える深刻な問題があった。パン職人になるには長年の修行が必要で、多くの店で後継ぎがいないという。

「後継者の問題や職人の問題で店が減っていっている。そのもどかしさというか、くやしさというか、なんとかできないのかなと……」(河上)

町のパン屋は次々と廃業しており、その数はピーク時の3分の2まで減少している。

「職人にならないとパン屋ができないというのが常識になっている。そうではないリエゾン・プロジェクトを知ってもらえたら、される方はいっぱいいると思う。日本全国においてパン屋の復活に絶対つながると思っています」(河上)



5日間でパン屋を開業?~画期的システムの全貌

7月下旬、長野県南部の松川町に河上がやってきた。人口1万3000人の松川町は、パン屋がたったの2店舗しかない空白地帯。向かったのは社会福祉法人「アンサンブル会」。知的障害者に働く場を作り、自立を支援している団体だ。

スタッフと障害者が一緒にケーキやお菓子を作って販売している。ここで焼きたてパンも販売したいと、河上を呼んだのだ。施設側は3年目のスタッフ、塩澤暁代さんにリエゾン・プロジェクトの研修を受けさせることにした。

8月下旬、塩澤さんが東京の研修センターにやってきた。開業に必要なパンの作り方を学ぶ。5日間の研修で費用は10万円(税別)。

5日間でマスターするため、様々な工夫がある。まずはオリジナルの小麦粉。河上が試行錯誤の末、5種類の国産小麦をブレンド。食パンからフランスパンまで、すべてのパンを添加物なしでおいしく作ることができるという。

生地を膨らませる酵母を準備。これは米と麹でゆっくり育てた天然酵母だ。添加物を入れなくてもおいしい生地が作れるよう、水の量やこねる時間にも独自の工夫がある。

この研修で学ぶパンは15種類。クロワッサン、メロンパン、食パンなど、地域や季節に関係なく安定して売れるものに絞っている。種類を絞ってそれを集中的に練習するほうが、技が早く身に付くのだ。

もう一つの工夫は、頻繁に秤(はかり)でパンの重さをチェックし、長さも測ること。それぞれのパンの工程ごとに、重さや長さなどを数値化したレシピがある。そのレシピ通りに作れば、初心者でも失敗しない。さらにエアコンはつけっぱなし。室温を常に25度に保つから、季節に関わらず同じ質のパンが作れる。

こうして5日間みっちり研修を受ければ、未経験の人でもおいしい無添加パンが作れるようになるのだ。

「あっという間の5日間だったけど、自分にもできるんだなと思えるようになりました。国産小麦を使ってますよ、無添加の生地ですよ、ということを売りにしていきたいと思います」(塩澤さん)

10月22日、長野の「アンサンブル会」にいよいよパン屋がオープンする。塩澤さんは研修を終えてからも、この日に向けて練習を重ねてきた。

この日は全部で11種類の無添加パンを用意。午前10時、いよいよオープンすると、お客はすぐに焼き立てパンの匂いのする方へ向かい、次々と買っていく。

パン屋の空白地帯にまた一つ、焼き立てパンを出す店が誕生した。

若手時代の過酷な労働~常識を覆すパン屋経営

河上は1962年、大阪市で洋品店を営む家に生まれた。大阪屈指の進学校に進んだが、父親が事業に失敗。大学進学を断念した。食うために就職したのは大手ベーカリー。徒弟制度が残る厳しい職場で、誰よりもがむしゃらに働いたという。

22歳のとき独立。開業資金1400万円は借金でまかなった。支えてくれたのは、姉さん女房の明美さん。河上は家族に楽な暮らしをさせようと、必死にパンを焼き続けた。

「徹夜でも何でも構わないと、寝る時間なんて関係なく仕事をやっていました」(河上)

当時のパン職人は早朝から深夜まで働くのが当たり前。中でも河上は、職人仲間も驚くほど猛烈に働いた。深夜疲れ果てて小麦粉の袋の上で仮眠を取り、再び早朝から仕込みを始める毎日。傷めた腰に麻酔を打ってまで働き続ける河上に、明美さんはこう言った。

「お父さん、いつまでそんな無茶な働き方するつもり? そろそろ働き方を変えてみたらどう?」

「働き方を変える」。この言葉が河上の考えを変えていった。河上を支え続けてきた明美さんは3年前に他界。妻が眠る大阪に、河上はたびたび足を運んでいる。

「パン職人ではなくて経営者になれたのは妻のおかげかな、と。7歳年上だったということもあって、諭された」(河上)

1996年、河上は子どもの喘息の療養のため岡山に移転。ここで経験と勘に頼ってきた職人からの脱皮を図る。河上は一つ一つのパンの製法を記したマニュアルを見せてくれた。これが5日間の研修でパン職人を養成するリエゾン・プロジェクトの土台となった。

もちろんマニュアルは店でも生かされている。新人スタッフには、このマニュアルに沿って体系的にパン作りを指導していく。

さらに、新人を早く一人前にするためのちょっと変わった仕掛けがある。「ヨーロッパ工房」と名付けられた工房では、クロワッサンやフランスパンなど、ヨーロッパ系のパンだけを専門に作る。工房を7つに分けて集中的に作ることで、技術が早く身につくのだ。

「それぞれの工房に新人が配属されても、一か月二か月くらいで大体のスタッフは仕事ができるようになるんです」(河上)

今やおかやま工房の年商は6億円。40人いる社員は若者が多く、将来の独立を希望している者も。河上はスタッフの独立も支援しており、これまでに独立したスタッフは50人に上るという。

インド人もビックリのカレーパン~日本のパンを世界に

欧米に比べて日本のパンは「柔らかい」という。理由は、水が軟水なのと、日本人がモチモチした食感を好むからだと言われている。

「しっとり感、もちもち感のあるパンは海外にはないので、外国人の方からすると非常に珍しくて、日本のパンはすごいしっとりしておいしいなと評価されますね」(河上)

リエゾン・プロジェクトでも、インドネシア、マレーシアなどですでに11のニッポン式のパン屋をオープンさせている。

10月中旬。インド西部の町、プネに河上の姿が。パン屋開業の依頼があれば、海外でも飛んでいく。河上を呼んだのはインド人のラフル・デオさん。デオさんはもともとインドの大手IT企業の社員。日本に駐在中、食べたパンに感動して脱サラ。リエゾン・プロジェクトの研修を受けたのだ。

故郷にニッポン式のパン屋を開くのが念願のデオさん。2日後にレストランで試食会を開く。その結果を見て、店に置くパンを決めるつもりだ。

デオさんが準備を進めている間、河上はインドのパン屋を視察する。インドでも最近、パンが人気を集めている。朝食は必ずパン、という人も増えているそうだ。食パン一斤40円ほど。さっそく食べてみると「過発酵でちょっと酸味が出て、まずいな(笑)」。厨房を覗いてみると、職人が生地の重さも計らず、型に叩きつけるよう投げ入れていく。焼きあがったパンを冷ますのは、床にシートを敷いただけの店の外だ。

「おいしくないですし、衛生面は全く気にせず作っている印象。ただ富裕層はこれで満足しているとは思えないので、富裕層が食べたいパンを作ればよく売れるんじゃないかなと感じました」(河上)

試食会当日。デオさんは漢字で「夢」と書かれたエプロンを着用。いわば勝負服だ。

今回試食してもらうのは18種類。塩バターロールにメロンパン、クルミパンなど。あえて日本の人気パンを出し、どれがインド人の口に合うのかを確かめる。

今回、河上とデオさんには、ぜひとも試してみたいパンがあった。カレーパンだ。

「カレーパンが初めてインドでできる。皆さんどう思うかドキドキしますね」(デオさん)

カレーパンを鍋で揚げていると、匂いに誘われてか、近所の人たちが続々と集まってきた。「おいしい」「パンの中にカレーが入っているのは初めて」……カレーパンはインド人もビックリの味で圧倒的な人気。他の日本のパンもどれも好評だった。

デオさんは来年にはカレーパンを目玉にしたニッポン式のパン屋をオープンする予定。河上は日本のパンをもっと世界に広めたいと思っている。

~村上龍の編集後記~

苦労して名を成した職人は、「簡単に真髄がわかってたまるか」そう思いがちだ。

河上さんは違う。休日なし、睡眠時間3時間、恐ろしく過酷な環境で修行したのに、執着も郷愁もなく、「5日間でパン職人に」というアカデミーを創設した。

「時代も違うし、機械・器材も進歩してますから」あっさりと言う。

きっと「苦労」はしていないのだろう。大変だったに違いないが、ワクワクすることも多く、たぶん「苦」ではなかった。

そのクールで民主的な姿勢が、「毎日食べても飽きないパン」を支えている。

<出演者略歴>

河上祐隆(かわかみ・つねたか) 1962年、大阪府生まれ。高校卒業後、ベーカリー企業に就職。1996年、岡山に「おかやま工房」設立。2009年、リエゾン・プロジェクト、スタート。