シリーズ「伝統は革新だ!」~京都の老舗茶舗の革新力【福寿園】/読んで分かる「カンブリア宮殿」

茶作りも体験できる人気のお茶テーマパーク

京都の南に位置する宇治市。日本屈指の伝統を持つお茶の産地だ。

宇治にできた「福寿園宇治茶工房」。連日、詰めかける客が食べているのは、他にない味わいというかき氷、「宇治抹茶アイス氷」(1080円)。人気の秘密は本場の宇治抹茶をふんだんに使った濃厚な味にある。

ここには他では食べられない、お茶を使ったメニューがたくさんある。季節の具材たっぷりの茶そば。おにぎりには玉露の茶葉が混ぜ込んである。

だが、本当の人気の秘密は店の奥にある。なんとそこには茶畑が。この店では茶摘み体験ができるのだ。

それだけではない。摘みとった葉を熱したホットプレートの上で乾燥させ、さらに厚紙の上で、茶葉の渋みを揉みだしていく。これを繰り返すことで、香り豊かなおいしいお茶ができる。ここでは茶葉の収穫から加工まで、お茶作りの全てを体験できる。「茶摘み製茶体験」(期間限定)は食事付きで4860円。

茶葉を臼で引くところからできる抹茶作りも、1296円で体験できる。

年齢を超えて夢中になれる、まるでお茶のテーマパーク。この施設を運営するのが福寿園。あのペットボトルの緑茶「伊右衛門」で知られる京都の会社だ。

創業226年の革新が生んだ1兆円ヒット

今やコンビニの飲み物売り場で圧倒的な存在感を放つ緑茶飲料。1990年に伊藤園が「お~いお茶」を発売したのがその始まり。そこに2004年、サントリーが「伊右衛門」で殴り込みをかけた。京都の老舗と組むというそれまでにないペットボトル茶が“老舗ブーム”を巻き起こし、市場を大きく拡大させた。

「伊右衛門」の販売数は年間5000万ケースを突破。サントリーが扱う飲料のトップ3のブランドにまで育った。

「伊右衛門」を企画したのはサントリーの沖中直人氏(現在はサントリー食品インターナショナル執行役員)。発売以来の累計売上高は1兆3000億円。その成功を支えたパートナーが福寿園だった。

「老舗のお茶屋さんは日本全国にたくさんあるんです。そういうお茶屋さんを片っ端から調べていった中で、結局、我々が組む相手は福寿園さん1社しかなかった」(沖中氏)

福寿園は宇治の南にある木津川市で宇治茶の伝統を受け継いできた。江戸時代の創業から226年、現在は年商120億円を超える。

福寿園は、契約農家から仕入れた茶葉を加工し、自社ブランドで販売したり、原料として飲料メーカーに売る、お茶の製造販売を行なっている。

その現場を覗くと、職人が手揉みで茶葉の加工を行っていた。板を使って水分を揉みだす伝統の製法だ。京都府の無形民俗文化財にも指定されている。この手揉みを実に4時間以上も続け、渋みのない針のような茶葉を作りあげる。福寿園はそんな伝統の技でこだわりのお茶を作っている。

ところが別の場所を覗くと、先ほどとは打って変わった光景が。そこは最新鋭のお茶工場。ペットボトルの伊右衛門に使われる茶葉も、その全てを福寿園が加工しサントリーに販売している。

老舗とは思えないハイテクマシン。例えば、水に入れるだけで手軽にお茶が楽しめる「伊右衛門」緑茶スティック(30本入り648円)も作られていた。福寿園は最先端マシンと宇治伝統の技を駆使してお茶を作るメーカーなのだ。

そんな福寿園を作り上げたのが福寿園8代目、福井正憲。その信条は「二兎を追う」経営。「発展は発展。伝統は伝統。二兎を追っているからバランスがとれ、互いに吸収し合う」と語る。



伝統を守るための革新~二兎を追う経営とは?

手間をかけた高級茶から大量生産のペットボトルまで。福寿園の歩んだ道のりは、伝統を守るための革新の歴史だ。

1790年、福井伊右衛門が創業した福寿園。当初は、農家から買った茶葉を加工して小売りに卸していた問屋業だった。

そして様々な挑戦の中で、ビジネスを拡大する。福井の父である6代目が仕掛けたのは、1952年、当時の京都駅構内に作った店。問屋から、初めて小売りに打って出たのだ。

実はそのころ、まだ宇治茶というブランドは存在しなかった。お茶は街の小売店が、問屋から買った茶葉を、自分の店の名前で量り売りしていた。福井の父は、自分たちが加工した茶葉を「宇治茶」というブランドで売ることを始めたのだ。作り立ての鮮度を保つため、工場でパックに詰めて販売。そのおいしさがヒットとなった。

しかし福井が27歳の時に父が亡くなり、兄とともに会社の経営を任されることに。福井は百貨店などに次々と出店。その一方で、最新技術を駆使した商品を作った。

まだ珍しかった牛乳パックの包装技術を使い、茶葉の鮮度を保つ商品「福寿パック」。さらに1983年には、初の缶入り日本茶を発売している。

福井が、果敢に革新的な商品に挑んだ背景には、台頭するライバルの存在があった。

「コーラもジュースもできた。急須で淹れる昔の飲み方だけでは企業として成り立たない。技術を拒否して『博物館』になったらあかん」(福井)

そんな福井の伝統と革新の集大成が、京都の中心にそびえる福寿園の京都本店、福寿園タワー。

地下1階で人気を呼ぶのは、本物のお茶のおいしさを伝えるラウンジ。京都周辺から集めた極上の茶葉をブレンドし、お茶に合わせた最高の淹れ方で提供してくれる。

そんな伝統の味を伝える一方、レストラン「京の茶膳」では革新的なお茶の使われ方が。運ばれてきた「舌平目のベルモットソース」の上にのるのは、パン粉とからめて焼き上げた抹茶だ。この店はお茶を使ったフレンチを出す専門店。考えたのはもちろん福井だ。

伝統のお茶文化を大胆に変貌させる福井。そこには、革新の連続こそが伝統を築き上げるという信念がある。

サントリーが福寿園に惚れ込んだ理由

サントリー「伊右衛門」は、季節ごとにブレンドを変えるなど、味へのこだわりが長年の支持につながってきた。その絶妙の味わいを作り出しているのが、サントリーに茶葉を提供する福寿園だ。

その研究施設、福寿園CHA研究センターには、「伊右衛門」の味を決める男がいる。福寿園が誇る茶匠、谷口良三だ。

まず契約農家の茶葉の中から、「伊右衛門」に使うモノを選び出す。重要なのがその香り。膨大な茶葉の味を見極め、その中から欲しい味わいのものを見つけだす。

でも匠の技はここから。今度はその選び出した茶葉をブレンドしていく。そのブレンドで味を左右するのが、茶葉を熱する「火入れ」の工程。火入れの時間が長ければ茶葉の香ばしさは増すが、一方でさわやかさはなくなってしまう。火入れ時間を変えた茶葉を組み合わせ、狙った味に仕上げていくのだ。

「伊右衛門」の味は、こうして20種類以上の茶葉を複雑に組み合わせる匠の技で、作られていくのだ。

そんな伝統の技と大量生産の設備。その両方を兼ね備えることこそが、サントリーが福寿園に惚れ込んだ理由だった。前出の沖中氏は、「飲料の原料を加工できるような工場まで持った老舗は、福寿園さん1社しかなかった。老舗なのに飲料のところまでビジネスを展開している稀有な存在だと思います」と語っている。

サントリーVS福寿園、「伊右衛門」誕生のドラマ

しかし「伊右衛門」発売への道のりの中、福寿園8代目の福井とサントリーの間に対立があったという。

両社が最も緊迫した瞬間。それは福寿園の役員を前に、沖中が重要な案件を提案した会議だった。新製品のネーミングについての提案書を見た福寿園の役員たちは、目を疑った。

そこにあったネーミング案は「伊右衛門」。思いもよらない福寿園の創業者の名前だった。

「私どものご先祖の名前を引っ張り出すのはおかしい。僕の名前ならつけてもらって結構ですが、先祖だから私個人のものではないし、代々のもの、一族のものでもある。だからちょっと待ってください、と」

スタジオで当時を振り返った福井に、小池栄子は、最終的にサントリーの提案を受け入れた理由を尋ねた。

「過去の福寿園の歴史を調べてみたんです。そうしたらみんな、その時代に合う、あるいは明日のためになることをやってきた。次から次へと新しいことをやってこそ、伝統は守られる。私は8番目の当番だから、ちゃんと次に渡さないといけない」

 また村上龍は、創業者の名前を付けたことで、「ヘンな商品は作れない」という気持ちになったのではないかと推測した。

福井は「そうです。だから他社と違う、良い品質の原料を作ろうと、加工技術を開発した。ご先祖に恥をかかさない、この名前を潰してはいけないという使命感で、それまで以上にやった。私の名前だったら手を抜いていたかもしれません」と笑った。

茶を飲みにモンゴルへ!革新を貫く驚異の80歳

福寿園本店の5階にあるのは、茶器を売るフロア。そのほとんどがオリジナルだという。

茶道に使う抹茶用の器を見てみると、通常の焼き物でなく、なんとガラス製。「私の価値観では、その湯呑みで飲めばお茶がおいしく飲めるかどうかが一番大事。これで飲んだら楽しいでしょう」と、福井。

急須も変わっていた。なぜか内側が真っ白。内側が白い理由は、茶葉の美しい緑色が映えるようにとのアイデアだ。

伝統に囚われず、自由なアイデアでお茶を捉える福井の発想の源が、50年間続けてきた世界をまわる視察旅行。そこで見てきたのは世界各地のお茶に関するビジネスやその文化。福井は工業化のノウハウや新しい飲み方など、視察旅行から様々なアイデアを得てきたという。

8月中旬、福井が降り立ったのはモンゴル南部の小さな空港。絶対に見てみたいお茶の現場が、ゴビ砂漠の先にあるという。それが少なくなりつつある本物の遊牧民。ようやくたどり着くと、その住居ゲルへ案内された。

最大の目的は遊牧民のお茶。なぜかそのお茶の葉は、固められていた。らくだのミルクで煮だすというお茶の名前はスーテー茶。沸騰したところへバターと塩を少々。日本のお茶とは随分違う作り方だ。

世界中のお茶を知ることで、日本のお茶の独自性に気づかされるという。

福井が突然、持ってきた玉露を取り出した。福寿園自慢の玉露でスーテー茶をつくろうというのだ。世界初の玉露とスーテー茶の出会い。早速、みんなに飲んでもらうと、「すごく美味しい」と好評だ。すっかり打ち解けることができた。

「僕は世界中の誰と会っても話が合わせられる。というのも、お茶という共通の話題があるから。大なり小なり世界中の人が知っている。お茶ほどいいものはありません」

福井は世界中でこんな出会いを繰り返し、独自のアイデアを生み出してきた。

「茶の淹れ方」出前講座も~伝統のお茶文化を伝えていく

総工費15億円をかけた福寿園本店。中でも福井が特にお金をかけたのが茶室だ。伝統的な作りの茶室をわざわざ京都市内から移築してきた。

実際、お茶文化を体験できる場として外国人旅行客の間で人気スポットとなっている。抹茶体験は2700円。英語のできるスタッフがつきっきりでお茶の伝統を教えてくれる。

福寿園が伝統を伝えるのは外国人だけではない。この日、福寿園京都本店チーフの伊藤明子がやってきたのは損保ジャパン日本興亜京都支店。

そこで始まったのは、企業を対象に来客者へのお茶の淹れ方を教える講座。1回1時間の講習で、お湯の温度からお茶を注ぐ量まで、誰でも美味しく淹れることができるようになる。さらに裏技も伝授。急な来客でも、短時間で美味しいお茶を淹れられる方法。熱いお湯で淹れると出てしまうのが渋み。先に水を含ませてから熱いお湯を入れると、渋みが軽減されるという。

1人2160円の「オフィス向けお茶の淹れ方講座」。毎月20回開催するほど人気となっている。

福井の狙いは、日本人でさえ忘れかけているお茶の良さを伝えることだ。

「お湯の温度を変えてもいいし、お茶の量を変えてもいい。淹れる人によって味が違う。こんなすばらしい商品はないと思う」(福井)

大量生産の商品と伝統のお茶文化。その二兎を追うバランス感覚こそが、200年続く福寿園の真髄だ。

~村上龍の編集後記~

「伊右衛門」は「福寿園」の創業者名だ。ペットボトル製造販売自体「冒険」だったが、商品名に創業者の名前を使うという提案にはさすがに衝撃を受け、困惑もあったらしい。

しかしサントリーの誠意ある対応もあって、福寿園は決断した。断崖から飛び降りるような決断だったはずで、しかもその瞬間、身を切るような重圧が生まれた。

創業者名は絶対に汚してはならない、圧倒的においしいお茶を生み出す必要がある。その重圧こそが、伝統を守る変革の本質である。

変革は、身を切るような決断によってのみ、実現される。

<出演者略歴>

福井正憲(ふくい・まさのり)1936年京都府生まれ。同志社大卒業後、福寿園入社。1964年、父が死去し、28歳で専務に。1990年、社長就任。2002年、「伊右衛門」発売。2013年、会長就任。